蒼銀のアストライアと白い猫
禾常
第1話 君、死にたもうことなかれ 前
『大変だ! ユスティア様が! ユスティア様が!』
本来、二人である筈の『正義の乙女候補』に三人目が現れた事で混乱の渦中にあった城内に、更なる衝撃が襲った。
現・正義の乙女であり次代の正義の乙女を選定する役目を負ったユスティアが、自室で死亡しているのを発見されたのだ。
紅く染まったベッドの上に、灰色にも似た長い銀髪を散らして、若い女が横たわっている。派手さは無いが、複雑な紋様の描かれた布で目元を覆われていても、整った顔立ちと判る、清楚で美しい女だ。
その布の下の瞳は、二度と開かず。その薄い唇は、二度と声を発する事は無い。その控え目に膨らんだ胸に、深々と突き刺さる短剣に寄って。
ロムレス王国の貴重なる祭儀、『
実家のリビングのテレビ画面に映し出された、美女が刺殺されている陰惨な場面を見て、俺達――俺と隣に座る姉は、しばし言葉を失っていた。
「…………なぁ」
「言わないで。私も戸惑ってるところだから」
連休初日の朝から、久し振りに顔を合わせた姉弟の間に気不味い雰囲気を立ち込めさせた元凶は、一本のゲームソフトだ。
姉が学生時代の友人から熱烈に勧められ購入したこのゲームは、『乙女ゲーの皮を被り切れていない』と評判の、本格アクションRPG系乙女ゲーム『ジャスティス・メイデン』。通称『ジャスデン』だ。
このゲーム、俺達姉弟が中学の頃にドハマリしていた往年の名作ゲームの外伝的な続編であると話題になっていたので、俺も気にはなっていたのだ。
なので、姉がプレイすると聞いて、俺も同席したのだが。
結果は、この通りだ。
三十路を越えた姉弟が、朝から仲良く並んでソファーに座り、昔を懐かしみながら胸を高鳴らせていたのだ。熱いオープンムービーを見たあと、主人公たるプレイヤーキャラクターのエディットを経て、物語の導入部分が終わる、今の今までは。
せっかくの連休初日の朝に、思い出ごと期待をを台無しにするとか、なんて事しやがるんだ。
「……オープンニング詐欺だろ。この死んでる人、ムービーでめっちゃ活躍してたやん。ボスっぽい邪神的なヤツ倒してたやん」
「…………」
姉はゲームのパッケージ裏を見終えて、今は説明書をもの凄い勢いで読んでいて応答が無い。
俺もパッケージを手に取り、裏面に目を通してみる。そこにはストーリのあらすじと、登場キャラの簡単な説明が書かれていたのだが……。
「……おい、ちょっと待て。この人、この死んでるユスティアって人、あの娘じゃないよな? ほら、『ディスジャス』のラストで、ラスボス倒す時に女神の依代になって記憶を無くした女の子。違うよな? ここに『元救世の巫女』って書いてあるんだけど」
俺のちっぽけな願いは、説明書をとっくに読み終え、スマホで何やら情報収集していた姉の言葉に断ち切られた。
「残念ながら、その『ユスティア』よ。一作目の『ディスティニーセイヴァー』で家族を亡くし、二作目の『ディスティニーセイヴァー ジャスティス』で記憶を無くし、一作目のリメイク版の三作目である『ディスティニーセイヴァー リロード』では救済の機会どころか存在自体を無かった事にされた、不遇の少女『ユスティア』。
そうよ。
今、掲示板もその事で大炎上中ね」
「うおおおおおおおお!! くそすたっふぐぅああああああああ!!」
許さんぞ! 無垢な少年の心を踏み躙るだけでは飽き足らず、
「って、姉ちゃん! 青春うんぬんは今言うことじゃないだろ!」
「でも事実でしょ?」
「史実だから痛いんだよ! いろんな意味で!」
そうなのだ。俺は中学から高校にかけての時間の大半を、ユスティアを救う為に費やしたのだ。
ゲームをプレイして救済ルートを探すのは勿論の事、セーブデータの改竄やソフト内のジャンクデータのサルベージにも手を出した。
そこまでしてもユスティアを救えなかった俺は、身体を鍛え始めた。基礎体力の向上に始まり古武術にも手を出し。高校を卒業する頃には、忍術や陰陽道にまでどっぷり浸かっていた。
おかいしと気付いたのは、大学に入って西洋魔術に手を出し始めた頃だった。あの時気付いていなければ、もう後戻りは出来ていなかっただろう。
そんな青春時代を送ったのは、八割りがた姉のせいなのだ。
そもそも、俺の姉はおかしい。
俺の知る限りでも、医師や司法書士、公認会計士に公務員国家1種、他にも技士系やエンジニア系も含めて、有名どこのろ資格は各種ほぼ持っている。どうやって取得したかは、「秘密」との事だ。もうこの時点で相当におかしい。
しかしこれだけでは無い。小学生の頃から様々な武術を修め、長期休暇と言えば武者修行と称して世界中を巡り歩いていた。もうホントおかしい。
そしてどんな仕事をしているかと言えば、去年までは何処かの紛争地域で独立運動のリーダーをしていて、独立に成功して国を立ち上げて来た等と宣っていた。確定的におかしい
そんな姉が、二歳上にいたのだ。懐くか反発するかの二択で、俺は反発した。
しかしそれも中学まで、
そう。ユスティアの事で心を痛めた思春期真っ只中の俺の弱味に付け込んで、姉は自分のライフワークの片棒を担がせたのだ。主に肉体方面で。
流石の姉でも、俺の頭脳を姉の水準まで引き上げるのは、片手間でこなせる仕事では無かったらしい。
そう聞いた日の俺の枕さんは、その晩びしょびしょだったさ。
因みに、そんな姉の学生生活が、どうだったかと言えば、俺と違って誰もが憧れるような輝かしいものだった。
もうね、うん。おかしいだろお!
まぁ、過ぎた事はいい。そして俺の暗黒史なんて、
それよりも今だ。今問題なのは、二十年近く経った今頃になって、いたいけなユスティアちゃんを、年頃の娘さんに成長させた上で更に酷い目に遭わせやがった制作スタッフだ。
「姉さん、確かショットガン持ってたよね。あれ貸してよ」
いつの間にかノートPCを持って来ていた姉は、それとゲーム機本体をケーブルで繋ぎながら、手を休める事無く答えた。
「ん? レミントンならあるけど、貸さないわよ?」
「貸してお姉ちゃん! アイツらコロせない!」
「馬鹿な事言ってないで、手伝いなさい。
先ずはこのゲームよ。まだ慌てるような時間じゃないわ」
コントローラを手にソファーに座り直した姉の冷静な言葉で、俺は落ち着きを取り戻せた。
そうだよな。先ずは、宣戦布告をして、ヤツらに罪を数えさせねば。
「ちょっと、どこ行くの?」
習字道具を探そうと腰を浮かせた所で、姉に止められた。
「いや、果たし状書くのに、習字道具を――」
「だから馬鹿な事言うなっての!」
「デボラッ!」
……くっ。いきなり肋骨の隙間に抜き手を突き立てるのは止めてもらいたい、切実に。
お陰で、今度こそ冷静になれたけど。俺をこれ程までに錯乱させるとは、恐るべき罠だったぜ、『ジャスデン』さんよぉ。
「いい? 確かに今この時点では、ユスティアは死亡している。でもね、これはゲームなの。それも、乙女ゲー。
つまり、トゥルーエンドを迎えるなり、全ルートをクリアするなりすれば、まだ彼女の死を回避する道が残されている……かも知れない」
姉の説明を咀嚼し、呑み込む。
そうか、ユスティア生存ルートか!
「俺の姉は天才か!?」
「そうよ、私は天才。不可能は無いわ」
不遜に過ぎる言葉を言い切る俺の姉は、しかし至って平常心であった。
それもそのはず。姉の言葉は、ただの事実でしかないのだから。
「さぁ、始めるわよ。この連休中に終わらせるからね」
この姉の宣言により、俺の連休は全て『ジャスデン』に――否、ユスティアの生存のために費やされる事になった。
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