緋のクルシュニカ

若生竜夜

蕾蓮の舞姫

 王はただ一言、娘に『舞え』と命じた。


                  *


 はなびらのようなうすべにのつま先が、軽やかに床を蹴る。色のない石の上に、ふわりと幻が花ひらく。

 五年に一度の大祭にわくカジャギルマは、舞姫たちの花舞を一目見ようと押し寄せた人々で賑わっている。

 屋台からただよう甘いの臭い。串刺し肉タルテあぶるうすい煙。椰子酒を売る店主の舌が時折もつれるのは、売り物で喉を潤したせいだろうか。

 日神ティーダが三度空を巡るまで、老いも若きも貴きも下々も、誰もが浮かれ騒ぐこの祭りの間は、すべての身分の者に寺院が解放される。時には神々までもが交じるという歓喜神ヤガーシャの祭り。だから、イーファルージのように窮屈な王宮を抜け出した王や王子たちが、人混みへ紛れ込むことも珍しくはないのだ。

 洞に落ちる雫のくぐもりに似た青銅琴クンガルの音色。それを合図に、群舞がひらいた。石舞台の中央に、舞手が一人進み出てくる。細い腕が持ちあがり、薄いが天へとかかげられる。地を離れぬすり足と、やわらかな流れのような手つき。ゆらゆらと水にゆれるカジャ女神スーサリをたたえ舞う神舞クルシュニカ。生み出される夢幻まぼろしの中で、あえかに香る蓮の群れが、緋の宝珠のように連なり花ひらいていく。

「あれは誰だ」

 イーファルージはまだあどけなさを残す舞姫を指して、かたわらで酒のをただよわせる従者に訊ねた。

 イーファルージが目にとめた幻を紡ぐ主は、朝のはじめの光に触れて、ようよう咲き初めそうな少女だ。

「ムルビダ、あの蕾のような舞手の名は?」

「どのでございましょう」

 しこたま屋台で仕入れた酒で顔を赤く染めた従者は、人々の頭越し伸びあがるようにして舞台をながめる。

「ははあ、あの神舞クルシュニカの舞手でありますか」

 高く結った黒髪の上で花ゆらす銀冠を見つめ、記憶の中をさらえるように従者は酔った目をまたたいた。

「このたび初の舞姫と見えますが、はて、かんむりまでは……」

「ヨーナン藩王国エルド蕾蓮カラジャと呼ばれる舞手さ」

 かたわらで同じようにつま先立って舞台を見物していた客が、口をはさんだ。

蕾蓮のカラジャラージャニカ。あの通り、藩国エルド随一のはなばすまいの舞姫だよ」

 ほう、とイーファルージがもらしたのは、感嘆だ。

蕾蓮カラジャと冠されるか。なるほど、名の通り愛くるしい」

「いささかまだ幼のうございますが、お気に召されましたので?」

 踵を下ろしたムルビダが、イーファルージの顔色をうかがった。彼の意向次第では、あの少女に王の花庭ワランで舞わせねばならぬと、算段しているのだろう。イーファルージはまだ若く、花庭ワランには子をなさぬ年上の妃が一人あるばかり。新たな花を入れよと貴族達もかまびすしいのだ。

「ああ気にいった、あの舞が」

 イーファルージは目を細めた。大祭で遠くながめるだけでは、惜しい舞だと思うのだ。王子のころ、初めて白鷹の献上を受けたときのような高揚に、胸が今躍っている。

「良い舞手だ。まだ後ろ盾がないのなら、俺が寵を与えてやろう。カジャニリへ呼べ」

 神舞クルシュニカの舞手を目で追いながら、彼が従者に申しつける中、青銅琴クンガルのゆらぐ楽音に乗って、緋蓮の幻が流れゆく。


 敷きつめられた蓮の白花を小さな足が踏むたびに、花芯にそっとしのばされたが甘く香り立った。壺にしたたる水滴の澄んだ音色が、淡い影にいろどられた王の庭で、こちらへ向かえと手招きする。

 棕櫚葉の落とす影の下、ラージャニカが膝を折った。蓮のはなびらに似たうすべにきぬがふわりとゆれて、あまやかな花絵を描き出す。

「舞手ラージャニカ、お召しにより上りました、王よ」

 小さな鳥のさえずりに似た愛らしい声が、イーファルージの胸をくすぐる。今日の少女は髪をほぐし、摘みたての緋蓮を耳の後ろに簪のように飾っている。イーファルージは目を細める。ムルビダか、侍女頭あたりのさしがねででもあったのか、ラージャニカの紅と青を眼尻に入れる化粧は、まるでにいどこを待つのように、においやかに彼の目に映った。

「いかような仰せをたまわりましょう、藩王イーファルージ様」

 長い睫毛が持ちあがり、黒真珠のような目が、琥珀色の肌の中でつややかに濡れ光る。間近で見れば見るほどに、まことに蓮の蕾のようだ。

 あまくほほ笑む舞姫へ、イーファルージは笑み返した。

「そなたの舞を所望する、蕾蓮のカラジャラージャニカ。花蓮舞の舞姫よ、女神へ捧げるその舞を、我が花庭ワランで舞うように」

 存分に舞うさまを、間近でながめて暮すのだ。焦がれる緋蓮の幻影に、彼の心臓は躍りだす。

「できませぬ」

 そうきっぱりと響いた声は、笑みむすぶ愛らしい唇から放たれたものだった。鋭い刃にたち切られ、流れる緋蓮の幻が散る。何、と王は眉をあげた。

「ただ人のために舞うことは、わたくしにはできませぬ」

「カジャン藩王国エルドの王をと申すのか。この俺を愚弄するか」

 見据える若き王の気迫は、怒りに猛る樹林の王虎ラダナだ。

「いいえ」と、臆さぬ舞姫は、やわらかく首を振った。

カジャ女神スーサリに捧げる舞は、女神のために舞われるもの。人のために舞うことは、ゆるされておりませぬ」

「舞わねば首を落とされるとあってもか」

 イーファルージの代赭の手が、腰の剣の柄にかかった。

「人に乞われて舞うならば、神舞クルシュニカ夢幻まぼろしは力を失い、女神の加護も離れましょう」

 首を落とさば落とせというように、花蓮舞の名手の姫は、深々と頭をたれる。

「他の舞なら舞いますれば、どうぞ、王にはご容赦を……」

 鈍い光がほとばしる。抜き身の剣を床へ突き立て、王は静かに恫喝する。

「ならば舞え、今ここで。別の舞を舞ってみよ。花蓮舞と同じほどごとに舞って見せたなら、そなたの無礼をゆるしてやろう」

「仰せのままに、藩王様」

 優美きわまる一礼の後、蕾蓮の舞姫は、うすべにきぬを脱ぎ落す。

 白きうすぎぬ一枚で、うすべにきぬを炎に見立て、はなびらのつま先が踊り出す。

 小きざみに舞踏むラージャニカの、天地を指してしなる腕。轟いてあふれ出した幻は、炎吐き出すアグンラ山だ。火神アグンラ踊る山頂いただきから、真白き羽毛の神鳥ルルアグララが、いかづちをはらみ生まれ出る。

 魅了の瞳を王へ向け、くるりとまわるラージャニカ。金の冠虹の尾羽、神鳥ルルアグララの瑠璃くちばしが、梔子パルチャの花にたわむれる。

 たわむれ飽きた神鳥は、麗々しき翼をはばたかせて、青くしげる樹林から蒼穹へ離れ行く。日神ティーダ目指して高く飛ぶ、風切る翼が雲を呼び、雷と雨が虹を生む。

 行くな、アグララよ、舞い戻れ――。神鳥ルルアグララの羽ばたきが、イーファルージを駆り立てる。

 思わず伸ばした代赭の手が、捕まえたのは蕾蓮だ。

「もう、よい」と、王はかすれて張り付く声を渇く喉からしぼり出した。

「もう、よい。ゆるす。ラージャニカ、そなたの舞を、以後我が花庭ワランで舞いつづけよ」

「仰せのままに、わたくしの王」

 蓮の吐息はささやいて、彼の前にみずから折れた。



 蓮の宮カジャ・ニリを花がうずめる。王の寵を一身に艶冶に咲いた緋の蓮が、夢幻をはらむ花群れで、宮をとり込みしげりだす――。

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