そして彼らは…
凪辺
大草原の暴走賊
プロローグ
――力が、欲しい。
雨露で湿った地べたを目前に、彼は腹を抱えて無様にうずくまりながらそう願った。
指の隙間からしとどに流れ出る赤が、彼の命の灯が残りわずかなものであると残酷なまでにもの語る。
傍らに放り出された刀身が半分以下になってしまった愛剣の柄に手をのばせども、その手はむなしく空を切り、力なく地面をたたく。
――くそ、動けッ 動けよ!
疲労と激痛で潰れた声帯を震わせ、声にならない声で絶叫しようとも、その喉元から溢れてくるのは腹に溜まった血の塊だけ。
吐き出された自身のそれを見て、彼はただ己の無力を涙した。
彼の耳朶をたたく仲間たちの甲高い喧騒が、まだ終わっていないのだと叫んでいる。
彼の鼻孔をくすぐる鉄臭い汚臭が、もう終わってしまうぞとほくそ笑んでいる。
まだ戦える。そう思うだけで再度立ち上がれるのなら、彼はそれを何度でも願い、その身が粉微塵に砕け散り、魂が灰燼に帰するまで立ち上がっただろう。
また一つ、声が消えた。
――畜生ッ!
傍らで、ベチャリ、と何かが倒れる音がした。
――畜生。
やめてくれ、と哀願する声が、中途で途切れた。
――畜生……。
そして、
――畜……生ぉ……ッ。
辺りは、静寂に包まれた。
「「「あーあ、終わっちゃったねぇ」」」
雨露と傷口から溢出る赤い液体で泥濘む地面に無様に這いつくばる俺の頭上から、やけに愉しそうな口調で話すその声は、幼い少女のソプラノであり、中性的なテノールであり、成人男性のアルトであった。
視線を地面に向ける彼に、声の主の姿をうかがい知ることはできない。
だが、頭蓋に響く三色の音色の演奏者が、今己の頭上に立って、嗜虐に塗れた愉悦の表情で自身を見下しているのだと、彼のすべての五感が警鐘を鳴らしていた。
「「「どうだった?ワタシの最も愛らしく、ボクの最も美しく、オレの最も猛々しい、歴史に残るであろう荘厳なる演目は?」」」
一体、こいつは何を言っているんだ?
愛らしい?その醜悪な精神が?
美しい?その汚物に塗れた魂が?
猛々しい?今こうして、死に態の人間に鞭打つその有様が?
喉に溜まった血塊を吐き出し、腹に溜まった全てを、空いた喉から垂れ流す。
「はっ……クソ、みて……ぇな、演目だ、ったな……三流、がぁ……っ!」
「「「うーん、そうかなぁ?ワタシとしては結構いい線言ってたと思うけど。やっぱり劣等風情には、この素晴らしさは伝わらないのかなぁ?」」」
彼の言葉は、途中で後頭部に振り落とされた衝撃に、顔面を地べたに叩き付けたことによって遮られた。
そして、その衝撃を与えた何かが後頭を躙る感触で、初めて自分が頭を踏まれ押さえ付けられているのだと感じとることができた。
声の主はその蠅声に不服の感情を多分に乗せると、グリグリと乗せた足に力を籠める。
今にも頭がつぶれてしまいそうな激痛に呻き声をあげる彼をクスクスと嘲笑しながら見下すソレは、そうだ、とあたかもいいことを思いついたというように手をたたく。
「「「ねぇ劣等。君、まだ生きていたい?死にたくない?ボクを殺したいくらい憎んでる?」」」
何を当然のことを。
そう口にしようとして、彼は自分の口がピクリとも動かないことに気付く。
視界に靄がかかり、あれだけ自分を苛んでいた体の痛みが全く感じられないことでぼんやりと、ああ、死ぬのか、と彼は薄れゆく意識のなかで思った。
「「「うんうん、だよねぇ。そう言ってくれると思ったよ」」」
だというのに、ソレはまるで彼の言いたいことがわかっているかのように声を弾ませる。
「「「それじゃあ、そんな無駄な執念に燃える愚かで哀れな君に、優しく慈悲深いこのオレが、特別にチャンスを上げようじゃないか」」」
後頭部からの圧が消え去り、横たわる地面の感触も失せるなか、ソレが放つ三色の音色だけがなぜだか鮮明に頭の中に響いていた。
「「「クフフ……ああ、楽しみだなぁ。ああ、そうそう。いくら何でも、相手の顔も名前も知らないで、こっちだけが一方的に識しってるだけじゃあフェアじゃないよねぇ?」」」
もう、何も感じない。聴こえない。思えない。
暗黒に閉ざされた意識の中で、何かが彼の体につきこまれ、そこから灼熱の奔流がズルリと全身に染み渡っていく激痛に、閉ざされた瞼の裏側が真っ赤になって燃え盛った。
「「「そうだ、感じ取れ。受け入れろ。思考を切らすな。お前はワタシの、ボクだけの
激痛と、耳鳴りと、猛烈な吐き気に襲われる彼が、混ぜ繰り返してグチャグチャにペーストされた意識を放り出すまでのわずかな合間に、蠅声の主が垂れ流す言葉は彼の意識に鎖のように絡みつく。
「「「よく聞け。覚えろ、忘れるな。お前が復讐すべきモノの名を。お前という存在の根源となるモノの有り様を。ワタシ(ボク)(オレ)の名は――」」」
その言葉が聞こえたのを最期に、彼は意識を手放した。
■ ■ ■
~ 拝啓、親愛なるお母さんへ ~
お久しぶりですお母さん。
私が旅に出てから、早いものでもう一月が経とうとしています。
お父さんたちは元気にしてますか?体は大丈夫ですか?けがはしていませんか?私は変わらず元気です。
私が村を旅立ってからの道中、幸いなことにモンスターや暴漢に出会うことなく、予定通りシフの港に着き、現在ルクシャに向かう定期船の船室からこの手紙をしたためています。
今日まで連絡を入れなくて、ほんと~にごめんなさい!
でも、ルクシャについたら暫く留まるつもりなので、また一月くらいしたら手紙を送れると思うから心配しないでね!
なんでさっさと帝都に行かないのかって?
えーっと、話せば長くなっちゃうし一から書いちゃうと紙が足りないから、結論だけ言っちゃう。
旅費が底をつきました。
いや、だってシフって交易港湾都市ってだけあっていろんな場所の美味しいごはんがいっぱいあっていくら食べても足りなかったんだよ!
結論、全部シフのせい!
はい。反省してます。ごめんなさい。
せっかく村のみんなが持たせてくれたお金なのに、つまらないことに使っちゃってごめんなさい。
そういうわけなので、ルクシアについたら旅は一時中断って感じになっちゃう予定でいます。
でも、これっていい機会だよね?
お母さんもお父さんもキースも村のみんなも反対してたけど、私、決めました。
私、冒険者始めます!(キラッ)
お金稼ぐためだもん、仕方ないよね。ね?
大丈夫だよ~冒険者って言っちゃえば町の人たちの雑用係みたいなものでしょ?よゆ~よゆ~♪
私、これでお掃除得意なんです。どやぁ~。
というわけで、次に送るお手紙にはもしかしたら仕送りも付けられるかもよ?期待して待っててね。
一応近況報告と、これからの予定はこんな感じです。
次の連絡は一月以内に絶対入れるからね!
ではではノシ
~ 貴女達の可愛い娘より ~
※ ※ ※
たった一晩。されど一晩。
急な時化にも嵐にも海賊にも襲われることなく、穏やかな波に揺られながらハンモックの上で過ごすだけの至極快適な船旅だったのにもかかわらず、その一晩であっけなく船酔いにやられた私は、腹の奥底からあふれ出る熱い塊を口元に手を添えることで押し返し、ふらつく足取りで船室を飛び出して一路デッキを目指していた。
正直に言おう、私は舐めていたのだ。
生まれてこの方十五年、初めての船旅に浮かれ騒いで、揺れるハンモックの上で仄かなランプの光源をたよりに村に置いてきたお母さんに近況報告の手紙を書いたりなんかしたからだ。
おかげでこんな有り様だ。今にも口からモザイク垂れ流す寸前だよチクショウ。
「おっと、いけない。私は可愛い。私はお利口。私はウ ッ プ ……」
だ、だめだ。このままじゃホントにだめになりゅ。
限界が近いと悟った私は、一心不乱にデッキへと続く道を早歩きで踏破する。
そして遂にデッキへと至った私は、一度周りを見渡して誰もいないことを確認してから、欄干から身を乗り出して眼下に流れる大海原にあどけない風貌の少女に似合わない獣のような呻き声とともに腹の中身を
ぶちまける。
その後、全精力を費やして燃え尽きた私はそのまま欄干にもたれて、肩で荒い息をしながら座り込む。
そうしていると、視線は自然と宙を仰ぐように上を向き、昏い海原を照らす蒼い満月が、大小多様な星々を引き連れている光景が目に飛び込んでくる。
その幻想的な光景に、吐き気と頭痛が治まらない最悪な体調であるにもかかわらず、体は無意識に月にかざすように右手を上げて、掌を上に向けた。
(ついに、ここまで来たんだ)
村にいるときには見慣れたと思っていたこんな光景も、こうして海の上というシチュエーションで見るとまた違った風に見えるような気がして、何とも言えない感情が胸の内からわいてくる。
一月と少し前、ついに成人を迎えた私は家族の幼いころからあこがれていた冒険者になるべく、『帝都に出稼ぎ行ってくるわ』と適当な理由を付けて、周囲の反対をも押し切って辻馬車に乗り込んだ。
旅立つ前日に、お父さんたちが私に『先立つものは必要だろう』といって渡してくれた、ただでさえその日暮らしも困ってるっていうのに、村のみんながちょっとづつ出し合ってくれた資金も、シフの港で防具や道具袋等を買うのに大半を消費してしまったため、手元に残っているのは銀貨十枚と銅貨三十四枚だけ。
宿屋で一泊ご飯ナシだと相場で銀貨二枚。朝夕二食付きで相場銀貨三枚くらいだから、全力で節約しても早くて三日、延ばせて五日分しか手持ちがないことになる。
シフにつく前に持っていた金額の約四分の三をたった一日で浪費してしまったが、後悔はしていない。もう少し計画的に買うべきだったかと反省はしているが。
家族含めて村のみんなには、旅立つ前日まで女の一人旅なんて危ないからやめておけと耳にタコができるほど言われ続けた。
それでも、私の決意が変わることはなかった。
憧れなのだ、子供のころからの。
村長の家の書庫で見つけた、一冊の本。世界征服をもくろむ強大な魔王と戦う冒険者たちの姿が子供にもわかるように絵で描かれたそれに出会ったその時からの、憧れなのだ。
不安じゃないわけじゃない。むしろ不安しかない。
一寸先も見えない闇の中を手探りで歩くかのような恐怖に、何度踵を返そうかと考えたことか。おそらく両手の指を使っても数えきれないだろう。
「でも、逃げない」
かざした掌を握りしめ、言葉を形にすることで、心におっ立つ一本の意志という名の巨大な柱を補強する。
――夢なのだ。
あの日、絵本の中に見た彼の勇者達に並び立つことが。
――魅せられたのだ。
なまくら剣一本と貧相な革鎧で強大な敵に挑む、ちっぽけな少年少女たちが見せた勇気に。
――だから、逃げられない。
彼らは、彼女らは、特別だったわけじゃない。選ばれた英雄なんかじゃない。それを私は理解しているから。
私もなりたい。心の底からそう思えた。
弟からは、『なんか男みたいなこと考えてるな』と笑われた。
お父さんとお母さんからも、『女の子なんだから、もうちょっと何かないのか』と呆れられた。
それでも諦めなかった私の意志の固さを、他でもない私自身が認めている。
だから、これでいい。
「なってやる。まってろ冒険者――ウップぅ……ッ!」
水平線のその先に小さく見える島陰に、ほんの少しの不安と、それをはるかに上回る未来への希望に胸を高鳴らせて、私はひたすら眼下に見える海原にキラキラと光る水飛沫を作り出すのだった。
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