第45話 島津軍 全軍敵中に突撃す

 西軍の陣中にまさに孤立状態の部隊があった。十字紋を本陣になびかせていた島津隊である。名門で戦闘果敢な島津勢は、乱れることもなく、東軍を攻撃に耐え、逃げてくる西軍も受け入れず、ただ忍耐の如く、陣を動かさずに戦の移り変わりを眺めていた。僅か千五百の兵も八百ほどに減っていたという。孤立した今、この場からどうするかが、大将たる島津義弘の腕の見せ所であった。しかし、本多隊、福島隊のみならず、小早川までも島津を殲滅せんと包囲していた。空いているのは、後に聳える伊吹の山中でしかない。義弘は六六歳。山中を突破するのは無理であった。ここは、一同戦って討死するしかあるまいと思った。


「豊久、島津の戦ぶりを徳川にとくと見せようではないか」

「叔父上、ここで討死には無駄死にでござる。ここは薩摩に戻り、家康を迎え撃つのが得策と考えますが」

「逃げおおせるか」

「島津には大将の首を決して敵に討たせてはならぬという教えがありまする。渡すときは、すなわち全員討死のとき」

「うむ」


 義弘は敵中突破の方法を考えていた。少し高台になっており周囲の情景が眺められた。周囲を見ると、まだまだ激戦であるが、旗印を見ると東軍の旗が多く見えた。特に前方にはまだ、乱れていない東軍の旗印が望見できる。戦力に余裕があるのだ。それを考えると後方へ逃れるのが一番妥当だと誰もが、考えるであろうが、逃げるには易いが、地理不案内ではいずれは敵に包囲され徐々に討たれていってしまうであろうし、島津には背中を見せて倒れる道理はない。北国街道をひたすら走りぬける。が、そこから先が問題が残る。残るは、前面の敵。真正面は徳川四天王の一人本多忠勝、そして井伊直政の旗印も視界に見えていた。其の奥には家康の軍旗も見えた。いっそう家康ならば、突進する相手にとって不足はない。しかし、敵の意表を突くにはもっともよい作戦かもしれないと思った。よもやこちらに向かい突撃してくるとは思いもよらないことだろう。しかし、回りは敵だらけ。数もこちらの何倍もいる。


「目立つ旗竿は外せ!」


 ここから先、島津の所在を簡単に知られては、敵が殺到して面倒なことであり、できるだけ素通りして逃げるには、ただただ敵の目を欺く必要もある。万一意の通りにならなければ、それこそ家康に一泡吹かせ、一死を遂げるまでである。


「豊久よ、敵中を突破してみようではないか」

「はっ、さすれば、前面の福島、本多の陣営を抜け、家康の本陣を目指すと見せかけ、牧田より鈴鹿越えを果たし、大坂へ抜けましょう」

「全軍、支度はよいか」

「はっ、すぐにでも」


 島津軍は、退却のための準備を短時間に行った。しかし、進むべき方向は後ろではなく、前方だった。動き始めたそのときだった。前方より突進してくる一団があった。


「放テッ!」

ダ、ダーン!


 群がる雑兵が倒れ、一旦ひるんで、退くのが見える。

「チェスト!行けぃ」


 騎馬徒歩が一斉に動き始めた。敵の中に侵入していくと、目印のない集団は、敵からすると、敵か味方か判別が出来ないまま、通りすぎていってしまう。

「うっ、島津か?」

と思うが、反する間もないのに、逆に討たれてしまう。あまりにも近い場合は、鉄砲も使えないし、乱戦となり、同士討ちもある。精鋭といわれた島津も少しずつ兵力が減っていく。


「前に敵!福島隊と見受け申す」

「引き付けてから殺れ」

 ダ、ダーン!と鉄砲を放ち、主従が通りぬける道筋をつけるとともに、敵が追従しないように楯となる。


「島津が正面より突進して参ります」


福島正則に注進が入るが、正則は島津の突進を見て、尋常ではないものと即断した。手向かいせず、やりすごすよう、命じた。


 福島隊を抜けた一団は、半数ほどの兵になっていたが、構わず突進を続けた。落伍しかけた兵は、主従のために楯となって立ちはだかり、敵を阻止する役目と化す。

 前方には桃配山から進出してきていた家康の本陣があった。家康の印しは、遠めにもよく見え、その存在は明らかだった。


「叔父上、あれは」

「おう、内府め。のこのことここまで出馬ってきたか」

(われにまだ千の兵があれば、本陣に突進し、家康が首はねられたものを)

と思ったが、もはやどうすることもできない。

 周囲の騎馬兵卒の数を見て、その数は多い。諦める方が無難だが、油断しているようにも見受けられる。呆然とただこちらを見ているだけだ。


「頃合いはよし、ここが肝心ぞ」

「旗印を目立つように出せ!」

 たたんでいた丸に十字の島津紋を高々と掲げた。

「それッ!」


 騎馬は一斉に動き始めた。それはあたかも家康の陣に突入していくように見えた。


 家康の本陣でもざわめき始めていた。

「何事ぞ」

家康は軍監として側に控える本多忠勝に命じて、前方の状況を調べさせた。暫くして物見が戻ってきて、忠勝に報告した。忠勝は驚き、家康のもとへ急いだ。


「大御所様、島津が軍、突進してまいります」

「島津と?その数は」

「数百と」

「わが旗本はどうしておる。何を島津がごときに抜けられるか。潰せ」

「はっ」


 しかし、家康は内心不安にかられていた。万一、島津がもっと多くの兵をもって攻めてくれば、わが命がないかもと思ったからだった。


(さすが、島津じゃ。後に逃げず、前から来るとは。あっぱれじゃ)


 しばらくすると、島津は踵を返して、進路を南へと転じて、伊勢目指そうとしているのがわかった。それを聞いた家康は安堵していた。


 本多忠勝は従兵を率いて、島津を追撃すると同じに、井伊直政も追撃に加わった。忠勝は途中追撃する中、愛馬が鉄砲を受けて、忠勝が落馬したため、追撃を断念していた。執拗に追撃したのは、井伊勢である。井伊の赤備えと敵を畏怖させる全軍赤朱色の具足で統一していた軍団である。朱色の軍団が追いすがる様はさぞ壮観であったに違いない。


 井伊直政は防ぐ島津を蹴散らし、義弘に迫りつつあった。島津の兵も新たな兵を留め置いて鉄砲を放ち、少しでも義弘の疾走を助けようと必死だった。直政には義弘の旗印が眼に入った。


「島津兵庫はあそこにおるぞ!早く討てッ」

 と馬上より叫び、包囲するよう采配した。しかし、島津からも直政の甲冑姿は判別できるほど、もう接近していた。義弘の側近柏木源藤がその姿を見て、それは井伊直政とわかった。白糸威の鎧に小銀杏の立物指した甲から間違いないと確信していた。源藤は鉄砲を構えると、直政を狙い定めて撃った。弾は狙った胸ではなく、腕に当たったが、直政は激痛のため落馬して、ここで追撃は断念した。井伊勢はそのために動揺を起こし、隙を生じてしまった。その隙をついて、義弘は再び疾走を始めていた。


 しばらくして井伊勢は、負傷した大将の仇とばかり、再び島津を追い始めた。ここで、さらに殿軍を引き受けたのが、義弘の家老である長寿院盛淳と島津豊久である。盛淳は、大垣から関が原への陣替えの折、義弘から具足・羽織・甲を拝領し、今こそ殿の身代わりとなる時とばかり、拝領の品を身につけて前に立ちはだかった。


「島津兵庫頭なり!この首とって手柄とせよ」


 多勢を相手に奮戦した盛淳は、槍衾の餌食となり、壮絶な討死にをとげた。豊久は退却戦を制止ながら途中で、疲れきって休んでいる義弘一行に追いついた。そこは、鬱蒼としている烏頭坂あたりであった。


「叔父上。早く退きくだされ」

「これ以上は退けぬ。おいも島津らしく戦いここで討死いたす」

「何を申されますか。叔父上は島津家にとって安危に関わるお方です。安易に死ぬことは考えずに、できうる限り落ち延びていただきたい。ここから先は一歩たりとも、敵は通させませぬ」


 しばらく義弘は豊久の眼を見つめていた。その眼は輝いていた。必死で訴えるものが伝わってきた。

「わかり申した。ここは頼んだぞ。武運を祈る」

「ご無事で」


 義弘は馬にまたがると、護衛を頼んだ屈強の者たち数十名とともに牧田方面から伊勢街道へと進むべく去っていった。残った豊久は百名近い兵を迫りくる井伊隊に備えて、左右に配してここから先へは通さんと陣を布いた。烏頭坂は狭い一本道であり、左右が開けていない場所である、坂の下った所には集落の入り口があり少しは開けているが、兵の展開は無理であり、井伊勢は一気に蹴散らして抜くことができず、多勢で包囲殲滅するのも無理であった。井伊勢としては新手を次々と投入して、切り進むしかなかった。


「われこそは、島津中書豊久!一歩も譲らぬ!」

と、敵陣に飛びこみ、乱戦となった。しかし、力尽き、槍に二度、三度と突き上げられ、島津の武人として華々しい最期を遂げた。この豊久らの奮戦により、井伊勢の追撃の気力も萎えてしまい、しばらく追ったが、はるか向うにあげる土煙が見えるばかりで、ついに追撃をあきらめた。


 義弘一行は、夜になって追撃がないと知ると、一旦休息をとり、甲冑を脱ぎ捨てて、再び大坂への道を急いだ。鈴鹿峠をぬけ水口から信楽、上野を経て大阪へと潜入した。合戦は15日だが、大阪堺へは20日に入り、大坂城の様子を伺い、大坂城から妻子を引き連れて、22日大阪湾を船で出帆して九州へと向かった。

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