第42話 動かず
西軍は、この時戦いに参加していた兵力は三万五千ほど、対して東軍は六万に及ぶ兵が参加しており、あきらかに東軍有利のはずであるが、実際には一進一退を繰り返しており、家康自身も届けられる報告にこんなはずではないと、苛立ちを覚え始めていた。
「松尾山に動きはないか?」
「まだ、動きは見られませぬ」
石田隊と小西隊の中間に陣をおいていた、島津隊は襲来する敵は撃退するものの、前面には攻勢には出ず、傍観する立場をおいていた。
「島津は何故動かぬ。小早川も日和見に徹するか」
三成はどちらとも勝敗のつかぬ激戦に焦りを感じていた。
合戦が始まってから、はやくも二時間を過ぎていたが、東西の決戦は互角の戦いで推移していた。家康は、たまらず南宮山方面で毛利勢の監視にあたっていた山内一豊、有馬豊氏らを主戦場に向かうよう指令をだした。不戦と誓った吉川との約束を信じたのである。
石田三成もただ無駄に時が過ぎるのを傍観しておるわけにもいかず、石田隊も苦戦をしており、隣に陣を置く島津隊の動きはまったくなく、向かってくる敵を退けているだけで、攻勢にでようという素振りはなかったのである。
(島津は何をしておるのだ?)
我慢を重ねていた三成は、たまらずに八十島助佐衛門を義弘のもとに派遣した。
「島津殿に主三成からの言上あり!加勢されたしとお取次ぎ願いたい」
助左衛門は下馬せずに馬上から、口上を述べたため、島津の武将から反感を買
った。
「馬上からの口上!無礼千万であろう。下がれ下がれ」
「治部の指図は受けぬ。わが島津の戦い方がござる」
助左衛門は、自分の非礼も心の中で感じたが、これは歯が立たぬとも思い、馬首を返して三成の元に帰り、事の始終を伝えた。
この八十島なる者、いざとなると臆病風に吹かれたのか、敗色が濃くなった時、馬に駆け乗り一目散に何処となく逃げていったという。それを見ていた者が詠んだという歌が伝えられている。
関ヶ原八十島かけてにげ出ぬと 人にはつけよあまりにくさに
三成は床几から立ち上がった。
「左様か。わしが行く」
三成は馬に乗って島津の陣へ駆けつけ、豊久に面会した。
「これは、治部殿。この激戦の中何事でござるか」
「是非に島津勢の力が要り申す。狼煙の合図とともに前面に討って出て、戦況を有利に進めたい。島津殿、ご尽力を願いたい」
「左様な検分でござれば、無用。今日の戦いは前面に殺到する徳川の兵を撃破するのに精一杯。左右の隊にまでかえりみている暇はない。それに小早川殿の動きがないのに気にかかる。この勝敗の帰趨は、この島津に非ず。ただ小早川殿のみの働き如何」
「わかり申した。豊久殿のご武運をお祈りいたす」
「治部殿!何事にも時の運がある。それを信ぜよ」
(三成め。いまさら何を乞うておるのじゃ。大垣城ではわしの講じた案を捨て置いて。あの時、決断しておれば、もっと楽に戦をできたものを。やはり、三成は戦下手じゃ)
義弘はいまや戦いは、三成の為ではなく、島津家の存続のための戦いを考えていた。
三成は唇をかみしめていた。自分の言い分では動いてはくれぬ。この戦の結果は吉か凶か。不安がつのりはじめていた。あと最後の頼りはやはり小早川秀秋だった。三成は島津の陣を去り、笹尾山に戻って、総攻撃の狼煙をあげるよう命じた。
西軍がやや押され気味の情勢は、南宮山より徳川の軍勢を背後からつけば、東軍は挟撃されて不利な状況に陥るはずであった。だが、三成からその様相は全く見れなかった。
笹尾山からあがる狼煙を見た南宮山に布陣する毛利隊、長束隊はかねての通り、徳川勢と後から挟撃する形で、一斉に攻撃に移る手筈通りにことを運ぼうとしていた。
長束正家と長宗我部盛親は、副大将ともいうべき毛利秀元に使者を遣わして、ただちに出陣の合図を下されるよう催促した。が、秀元は采配を振るわなかった。広家からきつく出陣を止められていたからである。
「おうー!いよいよ
長束正家が陣営で叫んでいた。
「殿、長束正家殿の御使者が参上いたし、出陣のお触れをと催促をしておりますが」
奏者番が使者の口上を聞き、本陣に来て、奏上した。
「うん」
秀元は軍扇を振り、背後より徳川に攻め入りたかった。しかし、
「殿、吉川殿より、決して早まって動いてはならぬと聞いております」
「だが、石田殿より合図の狼煙があがっておる。手筈どおりの総攻めのときぞ。今を逃していつ攻めるのじゃ。刻を逸しては一大事ぞ!」
「是非に、殿にはがまんしていただきとうござる。広家殿は毛利の為にと申されております。ここは広俊に免じていただきたい」
福原広俊は広家から家康殿密約のことを内々に聞いており、毛利家を存続させるには、この戦いには傍観していることを依頼されていた。無論、秀元はその密約のことは聞かされておらず、総大将である毛利輝元も同じように広家が、家康に通じていたなどとは知る由もなかったが、広家の戦ぶりからして、何か魂胆はあろうとは薄々感じていた。大局は徳川家が握っており、この戦に勝利を収めても、徳川の勢いは弱体化せず、むしろ豊臣恩顧の大名の勢力がお互いに弱体化するだけだと見ていた。そんな、広家の見識など、毛利本家は深く考えていなかった。
「このまま西軍の負けるを見ておれと申すか!」
「御意!我慢くだされ」
南宮山の諸将は結局戦局をただ見守るだけに終始していた。本当であれば首謀者の一人である恵瓊などは、戦うべきであっただろうが、恵瓊は戦略家ではあっても戦は苦手であって、臆病者であったのだ。長束正家も同様で三成と同じ奉行でありながら、やはり官吏であって、戦する武将の器ではなかった。長宗我部ももともと家康に従い東下したが、途中石田の関門に止められ、やむなく西軍となったから、あえて無理して戦う必要もなく、傍観に徹することに異見はなかった。
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