第30話 伊勢の西軍の動き

 月日は少し遡り、8月5日西軍の毛利秀元、安国寺恵瓊、長束正家らが関に集結し、その数は三万にも達していた。東軍に同意していた安濃津城の富田信高、上野城の分部光嘉、松坂城の古田重勝が守っていたが、皆小国ゆえ、守兵の数も少なく、とても大軍を防げるものではなかった。


 三城の城主は皆、家康に従い東下していたが、三成らの謀反により、家康より急ぎ戻って守りを固めよという命に従い、三河吉田より船にて、城に戻ったのであるが、其の時にははや、西軍の諸将の姿が見えた。だが、城外での戦闘は生起しなかった。西軍が家康が急遽西に向かっているとの風説が流れており、もしやとのことで、見守ってしまったのである。本来ならば、圧倒的多数の兵力の差があり、勝敗の分は十分西軍にあったので、城に入る前に撃破できたのであるが、なぜか躊躇してしまった。それどころか、鈴鹿や亀山に後退して陣をとったほどであった。いかに、西軍の勝負に対する士気が低かったかがわかる。特に、東国の往復を考えれば、兵卒の疲労は相当なものだったに違いない。城を間近に見れば、疲れも増すのが当然だ。これを早々に撃破していれば、城もたやすく落ち、関ヶ原に対する布陣も違ったものになったであろうに、東軍に比べれば、其の展開速度は遅かった。


 上野城の分部光嘉は関に西軍の大部隊が集結し、おそらく数日のうちに上野城を攻めてくるであろうという報告により、緊急に軍議を開き、現状の兵五百ではいかんともすぐに潰されるのは必定であり、近隣から兵を徴収しても二百が限度では、城を枕に討死にするよりは、この城を捨てて安濃津城に合流して事にあたるほうがいいとの意見にまとまり、安濃津城へと兵を移動させた。


 安濃津の富田信高は、分部勢の合流で城内の兵は壱千を超えるにいたったが、敵との差は歴然であった。上野城が空である以上、全兵力を安濃津に向けてくることは明らかだった。松坂の古田重勝に援兵を頼んだ。


 古田家は五万石の富田家より低い三・五万石であり、もし西軍が松坂へ押し寄せて来た時はいかなる態度をしようか思案していた。そこへ、富田家よりの使者が訪れた。


「殿、敵を食い止めるには是非ともわが古田家の与力がいると申してきておりますが」

「信高殿もさぞお困りであろうが、我がほうも手薄。兵を割いてはこの城を守れぬ」

「左様でござる。敵は多勢。たとえ一日で落城しようとも誰も咎めはせぬ。むしろあっぱれと褒めるであろう。この松坂とて同じでござる。敵3万と合間見えるならば本望というもの。ここに籠城すべし」


 側近の一人が殿の気持を察するように援軍の派遣は思い留めるべきだと言った。


「いや、お待ちくだされ」

 重勝の遠縁にあたる古田助左衛門が口をはさんだ。


「殿、よくお考えなされよ。徳川方は清洲に集結し、西上する構えを見せております。やがて伊勢にも駒を進めましょう。万一、安濃津城が落ちるまえに東軍が到着して敵が敗れれば、松坂城は富田の働きで救われたと世の嘲笑を受けましょう。だが、援兵を出していれば、安濃津城はこの古田の加勢によって無事を得たと評されるでありましょう。事の結果はわかりませぬが、ここは加勢するのが得策かと存じます」


 しばらく、重勝は考えた後、結論を出した。

「そうよの。助左衛門の言うとおりかもしれぬ。援軍を出すと信高殿に伝えよ」

「はっ」

「殿、とすれば、某に兵をお預け願いたい」

 助左衛門はそう言上した。


「やっていくれるか」

「この歳になれば、冥土の土産話が欲しゅうござる」

「頼んだぞ」

 助左衛門は兵五百を伴い、安濃津城に向った。


 8月24日、富田、分部、古田の諸将ら千七百名が守る安濃津城を西軍三万が取り囲み総攻撃を加えようとしていた。毛利秀元、吉川広家、鍋島勝茂、龍造寺高房、長曾我部盛親、毛利勝永、安国寺恵瓊、長束正家、松浦久信、山崎定勝らの諸将である。

「この城一日にて落としてみせよう」

「オゥー」


 城攻めをするが、城兵も激しい鉄砲を撃ちかけてなかなか城門までたどりつくことができない。城側が隅櫓の近いところにある建物に火矢を撃ちかけてこれを炎上させた。普通なら戦闘前に取り壊しておくのが常套手段だが、そんな時間はなかった。ところが、風向きが変り、その火炎が城内にまで吹き寄せて、煙や炎にあおられた。その隙を西軍は見逃すはずがなかった。


「天の恵みぞ。攻めかけよ」

 ドッと西軍が隅櫓に向って殺到した。

「毛利の軍勢が殺到しております。このままでは持ちこたえませぬ」

「わしが討手出て、蹴散らしてくれよう」


 名乗りを上げたのは、上野城の城主分部光嘉である。しかし、いち早く討って出た強兵がいた。宍戸隆家という者だった。


「先を越されては、一大事ぞ。皆の者ひるむでないぞ!」


 光嘉は僅か百の兵を率いて、城門から討って出て、殺到する西軍に突入する。西軍も突然押し寄せてきた、東軍に一時押されたが、多勢にまかせしりじりと追い詰める。


「殿!ここらが潮時かと。早くお戻りなされよ」

「そうじゃな、皆ひけー、ひけぃー」


 しかし、残った兵卒は手傷を負ったものも含め半数を割っていた。しかし、西軍も一気に攻めたれることを恐れ、攻撃は一時中断した。


 本丸大手口で奮戦する富田勢は、城主信高自信も槍を振るって、敵と渡り合い防いでいた。倒しても倒しても敵は次々と殺到してきた。信高のお側衆も次々と倒れ、残り僅かに数名にまで減っていた。もはや最後の時が近づいたと信高も感じ始めていた。


 颯爽と一人の騎馬武者が大手門より馬のいななきとともに信高の前に割って入り、数名の敵を槍で倒していた。そして、瞬く間に手際よく信高を馬上に上げると、大手門内に去っていった。西軍は、容顔美貌なる武者の登場に、あれは何物だろうと狼狽した。


「門を閉じよ!」

 大手門の中に入った信高は、下馬して助けてくれた武者を見上げた。見たこともない武者だったから、誰ぞという思いだった。


「殿にはお怪我はございませなんだか」

 馬上から発する声は、おなごの声、しかも聞き覚えのある声だった。武者は下馬すると、兜をとった。その顔を見るや、信高は驚きのあまり、一瞬声を失った。


(これは、わが妻ではないか)

「そのような甲冑姿でいかがいたした」

「わが殿が討死遊ばしたと聞き及び、女子なれど一太刀なりと敵にむくいんと、討って出ようとしたところ、殿をお見受けしたのでございます。ご無事で安堵いたしました」

「左様か、それほどまでに」

 信高は妻の所業に感嘆し、喜びにうちひしがれたが、敵は大手門を破る勢いであった。

「殿、ここは危のうござる。早く本丸へお戻りを」

「うむ」


 本丸へ入って、兜を外した信高は息つく暇もなく、情勢を残っている小姓らに伺わせた。寄せられる報せは、殆どの主だった重臣は討死したようで、分部光嘉も城外で討って出たものの、行方が知れず、側近中の側近である富田五郎右衛門の姿も見えないということだった。もはや、これまでか。やることだけはやったと。わしもこの上は後を追おうと、自刃する決意をして、その準備を小姓の佐治縫殿に命じた。


「佐治よ、わしの最後をよーく見届けよ。万一でも、わが首敵に渡してはならぬぞ」

「はっ」


 自刃する準備が整った頃、佐治はふと二の丸の方に目をやった。何と、そこに分部光嘉や富田らの重臣が二の丸から本丸へ引き揚げてくる姿があった。


「殿、殿!ご覧下され。分部殿が、富田殿がまだ存命です」

 信高は立ち上がって、その姿を見た。

「おう、まだ無事であったか。縫殿、わしはここにおると伝えよ。ここに罷りこすように」


 西軍の本陣に一人の僧が現れた。高野山の木食上人であった。


 毛利秀元の陣中に姿を見せた上人は、吉川広家と面会し、これ以上の流血は両軍とも無用であると説き、上人が富田信高を説き伏せて開城されるなら、これ以上の攻撃はしないと約束し、休戦状態に入った夕刻に、上人は広家の書状を持って城内に入っていった。信高と分部は木食上人と面会して、上人から十分な働きをしたからには、もうこれ以上の流血はいらぬとさとし、剃髪して高野山に入るなら、城内の全ての者は生きて解放されると話した。信高自信も最後の覚悟は出来ていたので、これ以上は全て上人に任せるということで、開城に踏み切り、勇戦した安濃津城は西軍の手に落ちた。

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