第15話 家康東下へ

 徳川家康は、6月2日会津征伐が7月下旬になることを告げ、6日には大名を大坂城西の丸に集め、軍評定を開き、諸将の部署を定めた。


 井伊直政が部署を告知した。


「白河口は、徳川本隊及び上方筋の諸将、仙道口には、佐竹義宣殿、信夫口には、伊達政宗殿、米沢口には、最上義光殿ならびに仙北の諸大名、津川口には、前田利長殿・堀秀治殿・村上義明殿、溝口秀勝殿が受け持ち願いたい。異存があれば、伺おう」


「同意!」「同意!」


「異存がなければ、それぞれ軍備を整え、出陣に備えよ。此度の討伐は、大老の上杉景勝が、秀頼様に対し謀反の恐れありと考え、同じ大老職の家康殿が上杉を討つことに決した。上杉は前謙信公より武門の誉れ高く、激戦も予想されようが、敵は孤立無援、わが徳川の前に屈するであろう」



 長束正家の家臣が早馬にて佐和山城に向かった。


「治部殿、火急の要件にて伺い申した」

三成は慌てて、長束の家臣に会った。

「ついに家康が会津征伐の触れを出しました」

「そうか」

石田三成の元へ家康出陣の知らせが届いたのである。決起するかどうか決断する時が来たのである。


 三成は立ち上がり館から雲間から陽が差す外を見ながら、自分が逼塞ひっそくして以来、急激に自分のやりたい放題のことをしていることを、間者から聞いており、いてもたってもいられない心情になっていた。やはり、頼りは上杉殿しかおらぬか。だが、他にもいるに違いない。太閤殿下の義に報いる武将さむらいは必ずおるはずじゃ。家康が上杉討伐に出陣したならば、これ以上家康の好き勝手にはさせぬ、と覚悟を決めていた。


「豊臣恩顧の諸将に檄文を届けよ」


三成はあらかじめ用意しておいた書状を渡した。

三成が動き始めた。家康の思惑通りに。


 6月8日、朝廷より権大納言勧修寺晴豊が勅使として大阪に臨み、曝布さらしぬの100端を賜った。15日家康は秀頼に対ししばらく告別の挨拶をする。秀頼は宝刀、茶器及び黄金2万両、米2万石をはなむけとして与えた。


 6月16日、家康は大坂城を出て伏見城に入った。家康が伏見にたちよる理由があった。城主である鳥居元忠との面談だったし、股肱の臣としてこの伏見を死守する労いでもあった。それをわざわざ口にださなくとも、長年臣従してきた元忠には城を訪れた家康の姿を見ただけで肝に銘じていた。


 元忠は天文9年(1539)に鳥居忠吉の次男として生まれた。忠吉は家康の祖父清康から仕えていた譜代で、12歳になる元忠を家康に仕えさせ、よく鷹狩りのまねをして遊んでいた仲だった。武田との長篠の合戦では先鋒をつとめ、鉄砲に撃たれて股を傷つけ不自由の身となったが、その後も家康を支えていた。


 伏見城に在籍する勇将は元忠だけにあらず、内藤家長、松平家忠らがいた。内藤は天文15年(1546)生まれで、元忠より6歳下であったが、剛弓の名手として名高く、今川氏真を攻めた天王山合戦の折、弟信成が矢を受けて倒れ、その首をとろうとした敵を弓で射倒した。二俣城攻撃の際は、家長の矢に倒れる敵兵の数が多く、城将はこの矢を使う者は何者か問う。源為朝に非ざれば平教経かと弓の名手を褒め称えた。松平家忠は三河松平一族で、弘治元年(1555)生まれで、父伊忠とともに活躍し、数々の戦功をたて、その冷静沈着で的確な指揮は家康から賞賛された。


「殿、此度の出陣にあたり、ご武運をお祈りいたします」

「うむ、元忠とは、幼いころよりよう遊んだのう。また、よう働いてくれた。そちがこの伏見を守ってくれれば、憂いなく東国に参ることができる。よしなに頼む」

「はっ。いずれ、旗印を掲げる武将がありましょうが、一歩たりとも後には引きませぬ。三河武士の真髄を見せましょうぞ」

「頼もしきことかな。そなたたちもよろしくにな」

「ははっ」


 内藤家長、松平家忠の二人もこれが殿との見収めになるかもしれないと思いつつ、家康の出陣を見送った。


 元忠は、密偵を佐和山に放ち、治部が挙兵の動きを見せたならば、すぐに連絡をするよう指示した。また、伏見城の普請を行い、戦に備えた。伏見城で敵の包囲を受けて戦うことになろうが、何倍の大軍でもできるだけ持ちこたえるよう、激励して回った。伏見の普請を行なうのは、城内の見取り図を少しでもかえて、敵に容易に攻めさせないためでもある。

 

 6月18日家康一行は、伏見から大津に入り、京極高次の饗応を受け、石部にて宿泊した。その夜、水口城主であり、五奉行の一人である長束正家の使者が来て、鉄砲200挺を進上すると共に、明日は是非とも水口城に立ち寄っていただきたいと申し出た。家康は、当然自分との誘引を考えて、こころよく引き受けた。しかし、使者が立ち去った後、矢文が寝所近くに打ち込まれた。


「長束正家、三成と謀り家康殿の命をねらう段あり。直ぐに退くべし」

「殿、いかがいたしましょう」

「大蔵大輔が曲ごとを図るとは思わなんだが」

「治部にでも言い含められたかもしれませんな」

「尾張に入るまで街道筋はどんな罠があるやもしれません。ここは、伊賀越えをされては」

 本多正信が言った。本能寺の折のことを思い出したのだ。

「うん。それはいい考えじゃ。殿!」

 井伊がその案を押した。今はこの状況を避けるのが先であった。

「よし、そういたそう。信長公が本能寺で明智に討たれた際、わしは命からがら伊賀越えをして、無事三河にたどりついた。服部半蔵のおかげじゃ。すぐに支度せい」

「はっ」

 

 一方、水口城では、長束正家は三成が遣わした使者と腕のたつ刺客が、これからの段取りを話していた。その中には、大阪にて暗殺未遂に終わったが、霧隠なる者もいた。再びの暗殺に望んで参加していたのだ。


「わが殿は、このような機会はそう容易くござらぬと申しておる。しかも、無防備に等しい。家康をここに案内すれば、もう命は預かったのも同然。再び、豊臣の世となり、殿も大坂に伺候できるというもの」

「ゆめゆめ、正家殿、手抜かりめさるな」

「承知いたしてござる。先刻、使者派遣の折、必ず立ち寄ると返事をいただいておる」

「間違いなかろうな」

「御意」


 しかし、夜中密かに水口城下を通り過ぎていった家康一行に、全く気づかず、夜明けになって、風のように去っていったことを知り、愕然となった。霧隠は肩透かしを食らったことを知った途端に、その場から脱していた。一人であとを追った。忍びなら、数刻もすれば追いつけるはずだが、とりあえず、各地に潜在している仲間に家康の東下する方角を聞き出すためでもある。


「誰か内通した者がいるやもしれぬ」

 今となってはどうしようもなかった。

「三成殿に、家康が三河に向かったと伝えられよ。もう決起するしかないと」

「承知仕った」

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