第14話 会津征伐

 伊奈がその返書を携えて大坂に戻ったのは5月3日のことであった。家康はその返書を見るなり、当然激怒した。


「このとしになって、未だかってかような無礼な手紙は初めてじゃ。必ずや東下して退治してくれよう」


家康はその手紙の端を握り潰して、側近に言った。

「出陣の触れを出せ」


 これより先、家康は一度伏見城に赴いているが、そこで各大名と面会し、会津討伐の節は、よくよく出陣するよう依頼していることから、家康の腹は、返書を待つまでもなく、会津討伐の意志が固まっていた。それもそのはず、この行動は、石田三成を動かし、滅亡させるための巧妙な仕掛けであった。しかし、前田利長のように脅しが通用するともわからず、上杉が脅しに屈するかどうか半信半疑でもあった。もし、万一にでも上杉が恭順の意を示し上洛するなら、思惑は水泡に帰すのである。しかし、武門の誉れ高い上杉は、そう容易く上洛の意を示さまいと信じていた。そして、その通りになった。だが、あまりの返書に堪忍袋の緒が切れたのである。


 家康の東下に対して、奉行の前田玄以、増田長盛らは反対し、是非とも東下を止まりたまいたいと懇願したが、家康が聞き入れなかった。そこで、奉行は中老ら五人の連署にて会津出馬に対する陳情書を出した。


今度会津表御出馬の儀、仰せ出され候に付て、面々存じ候條々

一、とても秀頼様、御取立の儀に御座候間、上方に御座候て、天下静謐せいひつに仰せ付けられ、遠国に出入り候はゞ、名代遣わされ仰せ付けられ候ように、存じ候事


一、各懇意の故、はばかり多く候へども、自然申す事の刻は、如何ようにも罷り出でなるべき程は、肝煎きもいり候ように、仰せ付けられ候故、今度直江所行相届かざる儀、御腹立御尤もに存じ候、去りながら、田舎人にて御座候間、不調法故かくの如くに御座候、当年中御遠慮加えられ、そのうちに成らず候はゞ、来春に至り御出馬尤もに存じ候事


一、太閤様、御不慮以後、如何ほど下々出入り御座候へども、いずれも御分別を以て、御遠慮加えられ、目出度く相済み申す処に、此の度御下向候へば、早速仰せ付けられ候とも、日本に創付き申す様に、下々存ずべく候事


一、第一秀頼様御若年に御座候、然れども是に御座候て社、諸人重々しく存じ奉り候只今、御下向なされ候は、秀頼様御見放され候様に、下々存ずべく候、是非当年の儀、御遠慮なされ候様に、達て申し上げたく候事


一、先々御兵糧、東山道より前々不作に仕り、殊更一両年、飢饉仕る由に候條、兵糧の事、如何御座候あるべきや、又雪前の御働きも差し詰め申すべきや、かたがた来春に罷りなり、御出馬なされ候様に、存じ奉り候事


  慶長五年五月七日

                         長束大蔵大輔

                         増田右衛門尉

                         徳善院法印

                         中村式部少輔

                         生駒雅楽頭


 書状を差し出して、再度出馬を自制するよう促した。


「内府殿、今は秀頼公を擁護して御政道を見守り申す最中でござる。故に遠国に事あらば代理を派遣されて、万事を処理されるがいかがと存ずる。直江山城守の所業不届きとしてご立腹の儀は尤もと存ずるが、今は見合せて会津の様子を静観し、その上で改めなければ春になって御出馬されても遅くはないと存ずる。太閤様没後いかなる大事が出来しようと、内府殿の分別次第で目出度く無事に相済み申すというに、会津へご出馬とあっては、如何に鎮静いたそうが、豊臣の天下にきずがつくという、天下の目もありまする。秀頼公はまだご幼少のみぎり。内府殿が在阪あらば、人々は敬意を表しておりまする。それが御出馬ともなれば、内府殿は秀頼公を見放したと世上の噂にのぼりましょう。今すぐ事を構えなくてもよい事と存ずる。ゆめゆめ、よく考え直されたく存じます」


 家康は長束の言葉を最後まで聞いていたが、眼光を鋭くして言った。


「各々の意見は尤もと存ずるが、さりながら会津中納言が上洛せぬことはどうでも良いことじゃ。だが、御公儀を掠むると申すは、看過して見過ごす訳には参らぬ。太閤殿下が北条、島津を召せども上洛しなかった節には、殿下が征伐した例もある。故に各々の諌事は承引しがたいこと。拙者は景勝を攻め込んで降参させるか、腹切らせるか、何れかにして征討する所存。したがって、少しも気遣い無用である」


 家康の決意は固かった。さにあらん、自分の政治体制を固めるには、他を排除して行かねばならないのだ。


 長束らは、引き下がるしかなかった。

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