第6話 家康と利家の会合

 1月10日、秀頼が伏見城から大坂城に移った。もともと、秀吉の遺言によったものであるが、伏見城より大坂城がより堅固であり、京に近いという利便性には欠けるが、争いが起これば、守りは固く、攻めにくい城にいる方が安全という配慮であり、前田利家も後見人として、秀頼に従い大坂城に入った。


 家康と三成の衝突を回避する役目をになっていたのが、前田利家だった。利家は、三成とは不仲であったが、しかし、家康に対抗するには、三成ともそれなりと仲をとっていなけばならなかった。と、いうより家康を牽制して置く必要があると感じていて行動したのであり、三成も逆に利用していたのだ。

 

 しかし、その利家も老齢になっており、病気には勝てなかった。当然、家康も利家に会ううちに、そう長くは生きられまいと思った。利家も自分の体のことであるから、先は読めていた。利家は大阪から伏見の家康邸に赴く決心をしていた。何かあらば、家康を切ろうと“政宗”を指し帯ていた。「利家夜話」には以下のように記されている。


「我等は太閤様御意に、秀頼事大納言次第と仰せられ、今はの御病中に、起上らせ給ひて、我等が手を御取り、奉行衆つくばひ居り申す所にて、御戴なされ、御頼なされ、繰返し繰返し仰せられ候を、今生、後生、忘れまじと存じ候故、今幾程もなきに、内府と申分して、天下を騒しければ、秀頼公御為悪しく候故、我等は内府に切られに行くは、太閤様に切られ申すと存ずるなり、家康此の度我等を切らぬ事は、百にして一つなり、其の時人数を揃へ置き、其の儘弔合戦にして、勝利を得候はんと、胸に持たずして、高らかに仰せらる、扨政宗の御腰物を、御抜き放し御覧候て、内府に対面して事あらば、此の刀を以て、一刀にと、当るを幸に打放し申すべしと、利長に気を御付けなされ候」


 2月29日利家は淀川を船で伏見に向かった。具したる弓衆20人を途中の橋本にとどめ、槍に大長柄を付けたるを10本、馬の先に持たせて行った。


 家康は、浅黄の裃を着け、有馬法印一人を帯同して出迎えた。


「かく遠方を、且つ病中のお越し千万忝く存ずる。今日は貴邸にてゆるゆる休息され、明日にでも御来駕を願いたい」

と家康が言うと、

「いやいや、それには及びませぬ。船より直に参堂いたす所存」

と利家は答えた。

「しからば、一足先にて迎接に準備を整えておきます」

と、家康は船を急いで、伏見に戻らせた。


 利家は伏見に到着すると、徳川五兵衛、斎藤刑部ら6人の供を伴い、家康の邸に向かった。利家らは家康の出迎えを受け、奥書院に案内して歓談した。利家は殺されるかもしれないという覚悟でいたので、緊迫した気持ちでいたが、酒肴を振舞われ、徐々に安心していった。料理も毒殺の恐れがあったが、家康の方が逆に利家方を台所に案内して毒味をさせており、懸念することは何事もなく訪問の時は無事に過ぎ去った。


 利家の危機を思う家来の一部は、家康邸の門外に待機し、事あらばと見張っていたほどであった。


 家康は結城秀康に命じて利家を河岸まで見送らせた。利家は其の夜のうちに大阪に帰ったのである。利家が来訪したのであるから、今度は家康が答礼として大阪の利家邸を訪問しなければならなかったが、家康にとっては頭が痛い問題ではあった。反家康方からの襲撃暗殺を考慮しなければならなかったからである。


「道中厳重に警戒せよ」


と、側近は厳戒体制を敷いて、淀川沿いの警備を練ったが、当然人数は足りない。逆に藤堂高虎は、内府の一大事となってはと、警備の手配をしていた。


 一方、三成は小西行長らと計らい、絶好の機会到来と、ここで家康を逃せば二度と来ないであろうと小西邸に集まり、策を練った。


「過般、一同談合の上にて、内府の曲事くせごとを責め立てた際、その折には内府は、今後きっと慎むであろうと返答いたし、双方とも秀頼公の為と思い仲裁に任せて誓約して事を納めたが、しかるに内府は、我々が大阪に下って大納言殿と会見されよと勧告したにも拘らず、従はないばかりか、細川、加藤、浅野が逆に大納言殿に伏見に往訪するよう促し、それを待ってから、今日やっと大納言邸に赴くという。斯様な仕儀では我らの身上にいかなる災難がかかるやも知れぬ。各々方の存念を聞かせていただきたい」


 行長が答えた。

「治部殿においては、御心痛の事と存ずる。内府の最近の所業は腹立たしいものがある。さらに秀頼公の後見人である大納言殿の首も締めようとしており、内府の振る舞い許し難しであり、このまま放置致せばこの先内府の思うがままにて、なんとか止めねばなるまい。内府は藤堂が宅に泊まるであろうから、押し寄せ焼き討ちするか、明日伏見へ帰る途中にて討ち果たすかござるまい。ここを逃しては他はないと存ずる。内府を討ち取れば秀頼公を仰げる輩は、皆愁眉を開き、また内府に追従していた輩もこちらに与するであろう。背く輩はあとはどうにでも処分できよう。早く決心し、ことを実行すべし」


「よう言うてくれた。心は決まった。内府を討つ!」

 三成は膝を持っていた扇で打って強い口調で言った。


 家康を討つことを聞いた三成の重臣である島左近は、

「病根を断つには劇薬が必要でござる。今や其の時。兵を挙げて間違いなく家康を討つのが必然と見申す。家康討たば天下長久、後顧の憂なきにございます。たとえ、残敵が敵対いたそうが、加賀、備前、安芸、会津がついており申す。兵を出しましょう。ご決断を」

「手荒きことは避けねばならぬ。家康一人狙えば良い。兵を出し、伏見に血が流れれば、秀頼公に申し訳ない。それはできぬ」

 左近は、本来の残酷な戦になれていない三成に落胆したが、それも殿の良いところ、戦になったら儂が無尽に暴れてやれば良いと感じていた。


 三成の密偵は家康の行動の情報をつかみ、三成は家康暗殺を命じた。藤堂家の警護は厳しく襲撃は不可能と判断し、道中の淀川での襲撃に変更した。甲賀者がその川筋に潜んで家康一行を待ち構えていた。だが、徳川方の伊賀者はこれを察知していた。間者として三成の家臣の一人として仕えていたのである。


 家康は密かに僅かな供とともに、川を下って大阪へ向った。影武者の家康一行は側近を引き連れて大阪へ向うために、伏見の屋敷を出た。実は、この影武者の方が本物であった。襲撃をやり過ごしたあと、船に乗り換える予定だった。徳川方の予防策が1枚上手であった。


「間もなく来ます」

「ぬかるでないぞ。配置に付け」

「はっ」

 太陽が真上に昇ろうとしていた。

ピュー。

矢が船べりに突き刺さった。それが合図だった。

「く、曲者だ!殿をお守りいたせ!」

 数人の黒装束の忍者が、水面から踊り上がり切り込んできた。船には警護する侍供以外に伊賀者が変装して船上に配置されていた。

「思い通りにはさせぬ」

「うっ」

甲賀者一人が早くも倒れていた。

「服部半蔵か?」

「だとしたら、どうする?そのたは?」

「引けッ!」

ボッ!

白い煙が上り、視界がさえぎられた。

「きりがくれと覚えておれ」


 もうその声は遠くから聞えていた。霧隠は鉄砲も放つ予定が狂ったので、其の場を去っていた。煙が薄くなると、死体が浮かんでいるのが見えた。一体は甲賀者、もう一つは伊賀者であった。


(すべてはお見通しであったか)と霧隠は去っていく船を見つめながら思った。

 暗殺の企ては見事に破れさった。


 変事を察して路上をいく家康は、其の先で別に用意された船に乗り換え大阪に向かった。三成は、襲撃失敗の報告を聞いて、しくじったことを今後後悔するであろうと感じていた。

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