伯爵令嬢と騎士公爵のおかしな関係

しきみ彰

 ランタール王国には、美味しいものが溢れている。


 国の主神が美食家な豊穣神だからとか、建国した女王がとても食にうるさく食文化を向上させるためにいくつもの改革を出したからとか。そんな理由から、食文化の水準が他国より高いらしい。

 そのため、領地ごとに独自の食文化が形成されていた。


 その中でも王都・コロンは、各領地の美味しいものがたくさん集まる場所だった。


 王都の一角には、カレンタ通りという様々な種類のお菓子屋が並ぶ場所がある。どこの店もカラフルなレンガ造りの建物をしており、とても可愛らしい造りをしている。店のドアを開けば、宝石のように美しい菓子たちに出会えるはずだ。

 今日も今日とてカレンタ通りは賑わい、甘い香りを漂わせていた。


 そんなカレンタ通りの昼下がりを、長く癖のある黒髪をなびかせ歩く少女が一人いた。

 歳は十九。こげ茶のワンピースにエプロン姿の彼女は、とても平凡な顔をしていた。しかし紺碧の瞳はキラキラと輝き、口元は隠しきれない笑みが浮かんでいる。


(三時間、並んだ甲斐がありました……!)


 シンシア・オルコットは、上機嫌だった。

 その理由は、彼女が大事に抱える箱にある。


 中には『パティスリー・ハピア』で一番人気のショートケーキが入っているのだ。ショートケーキに使っているフルーツが季節ごとに違っており、それがケーキ好きの女性たちから好評を博している理由だ。


 人気すぎるあまり、開店前から大行列ができてしまうそのショートケーキ。それを買うために、一体どれだけ食費を切り詰めてきたのか。


 しかも今日は、仕事の時間帯をわざわざ夜にずらし、春先の朝の中をケープ一枚で乗り切ったのだ。それらの苦労を思い出すと、涙が滲んでくる。


(でも、いいんです……このケーキを買えたのですから、今までの苦労なんてどうってことありません!)


 シンシアは一ヶ月に一度、自分へのご褒美としてケーキを買っていた。彼女の生まれた領地とは違い、王都には様々なケーキ屋が並んでいるのだ。


 甘いものと紅茶が何よりも好きなシンシアにとって、ケーキを食べることは癒しだ。


(これくらいの息抜きがなくては、仕事なんてやっていられませんからねっ)


 これでも一応伯爵令嬢なのだ。たまにはおしゃれなことをしたい。

 貧乏なため貴族令嬢らしい服装をすることを諦めていたシンシアだったが、せめて行動だけは貴族令嬢らしくあろうと考えていた。


 スキップをしながら、シンシアは浮かれる。


 夜の仕事までまだ時間がある。急いで貸家に帰らなくても良さそうだ。家に帰ったらとっておきの紅茶を淹れて、この宝石のようなケーキを食べよう。


「ああ、今日はいい日です」


 笑顔を浮かべたままそう呟いたときだった。

 曲がり角からいきなり、男が飛び出してきた。


「邪魔だ!」

「え、きゃあっ⁉︎」


 焦った様子に男にドンッと勢い良く押されたシンシアは、体勢を崩し尻餅をついてしまう。それと同時に、ケーキの入った箱が宙に投げ出された。

 シンシアは体をひねり、背後を見る。箱は綺麗な放物線を描いていく。


「あ」


 べちゃ。


 シンシアが声を上げるのとほぼ同じタイミングで、箱が道に叩きつけられた。


(わ、私のショートケーキが……)


 愕然としていると、通行人が箱を踏んでしまった。

 シンシアの頭の中が真っ白になった。


(は、箱が落ちただけならばまだ食べられますが……ふ、踏まれ、てしま、ったら、さ、さすが、に……む、り……です、ね……)


 三時間並んだ買ったショートケーキが。

 一ヶ月我慢したお金で買った、大好きな甘いものが。

 こんなにもあっけなく、食べれなくなってしまうなんて。


 衝撃的すぎて、泣いていいんだか怒っていいんだか分からない。


「わ、わたしの、ケーキ……」


 道にへたり込んだまま途方に暮れていると、視界に白い手袋が映り込む。


「大丈夫か? 先ほどの突き飛ばしてきた男のせいで、足でも痛めたか?」

「……は、へっ?」


 顔を上げれば、そこには綺麗な容姿をした男性がいた。


(わぁ……素敵な人です)


 歳は二十超えているだろうか。帽子をかぶった、黒い髪と紫色の瞳が特徴的な男性だ。

 目鼻立ちが整っており、見るからに美人。一見質素に見えるが、質の良い服を着ている。


(あ、そういえばこの方、ハピアの列に並んでいました。帽子をしていますし、もしかして貴族様なのでしょうか?)


 貴族がここにいるのは、あり得ない話ではなかった。女性への贈り物はお菓子が多いからだ。

 ただ、貴族本人が買いに来るというより、従者が代理でお使いに来ることのほうが多いが。


 しかしシンシアは、社交界デビューした十六歳のとき以来社交の場に出ていない。そのため相手のことが分からなかった。

 こんなにも美しい人なのだから、相当有名な貴族だろうとは思うが。


(そんな貴族様に手を差し伸べていただけるなんて……神様は意外と優しいのですね)


 泣きたい気持ちをこらえながら、シンシアは今の自分にできる最高の笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。ですが大丈夫ですよ。足は痛めておりませんし……ふ、は、ははは……悲しさのあまり、打ちひしがれていた、だけですので……」


 途中でケーキのことを思い出してしまい、どんよりしてしまう。そこを根性で持ち直したシンシアは、最後の気力を振り絞った。


「心配していただき、ありがとうございました。自分で立てますのでお気になさらずに。……私のように、ケーキが潰れる前に帰ったほうが良いと思いますよ。せっかくのハピアのケーキなのですから」

「……シンシア・オルコット?」

「……え? どうして、私の名前を……」


 しかし返ってきたのは、予想してなかった言葉で。シンシアはぱちくりと目を瞬かせる。


(会ったことがあるとしたら社交界デビューのときでしょうが……こんな方、いましたっけ?)


 黒髪で紫色の瞳をした美男子がいたら、貴族令嬢たちが黙っていないはずなのだが。

 そう思っていたら、ぐっと手を掴まれた。


「ふぇっ⁉︎」

「すまない、シンシア・オルコット。だが見られたからには仕方ない……少しの間、わたしに付き合ってくれるな?」

「え、あ……は、い」


 鬼気迫る様子の美男子に耳元で囁かれ、シンシアはこくこく頷く。断ったら無理矢理でも連れて行かれそうだと思ったのだ。

 結果が変わらないのなら、大人しくしておくほうがいい。それがシンシアなりの考えだ。


 素直なシンシアに、男性もホッとしたらしい。シンシアに手を貸しながら、その手をしっかりと握り締めた。


「さあ、行こうか。オルコット嬢」

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