第21話 尾行とトラウマ
『シャドウ、”僕”の様子はどうだい?』
『誰の来客もなく、順調に課題に取り組んでいるようです』
『了解』
シャドウと”僕”による、魔力を介した通話、通信魔法は順調なようだ。
ちなみに、通信魔法は”僕”自身だけでは使えなかった。この魔法は複雑で知恵を擁するらしく、シャドウが使えることで、”僕”との通信が可能になっている。
本当にありがたいものだな、彼の存在は。
僕は”僕”の心配を頭の中から追い出すと、目の前の出来事に集中した。
つまり、尾行だ。
僕は探偵でも何でもないので、尾行の経験はない。
けれど、そつなく、相手に悟られず、周りに溶け込むのは得意分野だった。
相手に違和感を覚えさせないことなら、家の中で十二分に鍛えられている。
それに今は家の中に僕の影武者もいて、アリバイ工作までもばっちりだ。
絶対にバレっこない。
しばらく尾行相手を追っていくと、その人は普段なら取らないであろう行動をとり始める。
普通なら会社に行くはずなのに、その道から逸れ、段々と電光掲示板のたくさんあるよりいかがわしい地域へと向かっていく。
ラブホ街だ。
予想は当たっていたようだと喜ぶ一方で、心の中でトラウマが呼び覚まされていくのを感じる。
そう、あれは。
僕がまだ小学生の時だった。
その日、僕は学校で急に体調が悪くなった。
僕はそのころ、胃腸が弱くてよく保健室に行っていたのだけれどその日は特にひどかった。あまりのひどさに僕は家に帰りたかったのだけれど、ある理由から、僕は保健室で寝ることを余儀なくされた。
それは児童の帰宅には保護者が迎えに来なければいけないという決まり事。
母さんも父さんも仕事で——うん、実は母さんは別に仕事ではないんだけれど、学校に対してはそうなっていた——来られないとなり、それなら帰すわけにいかないと養護教諭の先生が一点張り。
母さんに無理に迎えにきてもらったら、何の文句を言われるかわからない。母さんの機嫌を損ねようものなら、治る腹痛も治らないからね。だから、親にこれ以上連絡してとは言えない。でも、帰りたい。小さな僕の心の中で二つの思いがせめぎあっていたんだ。
そんな僕に、チャンスが訪れた。
何の用か忘れたけれど、養護教諭の先生が保健室を留守にしなきゃいけなくなって。僕はチャンスと思ったね。今考えればとても浅はかだけれど。
僕はそろりそろりと、保健室から直接外につながるドアから外に出た。
今ならそれがどれだけ馬鹿なことかわかるし、どれだけの迷惑をかけるかもわかっているから絶対にしない。でも、まだ幼かったから、つい、ね。
僕がもし抜け出してしまったらその先生に責任が行くとか、いないのが見つかったら騒ぎになるとかそういうの考えなくて、ただ家に帰ることだけが頭の中にあったんだ。
しかももう一つチャンスなことに、その日は学校で甲斐甲斐しく世話を焼いてくる相手がいなかった。
誰の目も無かったら、小さな望みを叶えたいと思ってしまっても、子供を責められないだろう?
僕は保健室を出て、家に向かった。
お腹はまだまだ痛かったから、歩みは随分とゆっくりだったけどね。
とても時間がかかって、なんだか永遠に家につかないんじゃないかと、子供の頭で錯覚したりもした。
けれど、もちろん、歩みを進めれば家にはつく。
やっと見えてきた家にほっとして近づいていくと、なんだかかすかに声が聞こえてきたんだ。
女の子の声だってことはわかった。なんだかたまに甲高くなったり、鼻にかかったような声になったりするので、当時の僕からしたら不思議な音だった。
今思えばあれは喘ぎ声だったんだろうけど、その時の僕は、そんな声聞いたこともないから中で何が起こってるかなんて想像も出来なくて、もしかしたらお化けでもいるんじゃないかと恐ろしくなった。
それでも帰るのにも疲れてお腹も痛い僕は、自分の部屋で一刻も早く休みたくて、びくびくしながら玄関の扉を静かに開けた。
すると、目の前には見覚えのある二つの靴。
僕はそれを見て、ほっと息を吐き出した。
ああ、なんだ、お化けなんかじゃないじゃないか。
よく聞いてみれば声の主は靴の持ち主の声とよく似ているし、玄関の中に入ってみると、男の低い声も聞こえてきた。
僕はあろうことかそう、安堵したのだ。
でも、それはお化けなんかよりもずっとずっと怖いものだった。
見なければよかったと一生後悔するもの。
僕はそれが見知った二人だとわかって、でも変な声を上げているし、驚かせてやろうとそろりそろりと声のする方向へ進んでいった。
そこで見てしまったのだ。
蛇のように絡まりあう少女と男の姿を。
当時、それが何の行為かはわからなかったけれど、自分が見てはいけないものを見たんだ、ということは直感でわかった。
だから、僕は反射的に家でいつもするように声を、存在を押し殺した。
押し殺してしまうと、僕の心は僕の体から完全に置いてけぼりになる。
だから、心がどんなに、もう見るな、早くここから出ろ、と叫んでいても、体は静かに、見つからないための動きを優先した。
僕はだから本当にほとんど全部を、見ていたんだと思う。
その体も、音も、自分の下半身についているのとは違う大きなものも、育ちかけの小さなふくらみも、見たことないような深い吸い込まれそうな小さなピンクの色の穴までも。
全部見終わって二人が疲れからか浅い眠りについてしまってから僕は静かに、自分のいた痕跡を消して、家を出た。
そして僕は来た道を戻りに戻り、最終的に保健室にたどり着いた。
その床で、僕は我慢していた腹痛の影響をもろにうけながら、倒れた。
先生方の間ではちょっとした騒ぎになったけれど、外につながる扉はちゃんと鍵をかけてから倒れたし、僕の状態があんまりひどいんで、抜け出したと疑う人なんて一人もいなかった。
もちろん父さんも母さんも、僕に汚した服の処理だけさせて、心配なんて、してくれない。
これが、僕のトラウマ。
最後には糞尿にまみれた悲しい記憶。
そう、つまり。
「ハジメさん、お待たせ。教えてもらった通りだったわ、シュウちゃん、なんか怪しい」
「しっ、ここではまずい。中で話そう」
そう言って連れだってきらきらとしたホテルの中に、恋人のように腕を組んで入っていく二人。
幼馴染のマミと、父さん。
あの時の、二人。
僕には、盗み聞ぎされない場所としてそこを選んだのか、それともそういう行為をするためなのかは、わからない。
でも、過去にそんなことを見たうえで、その相手に迫られて、その上そんなことをした相手が血のつながりはないとは言え、自分の父親だったとしたら。
あなたは、それでも、彼女のアプローチを受け入れられるだろうか。
僕には、無理だ。
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