だいじょうぶだよ
「…………授業」
突然、ほんとうに突然現実に戻ってくる。むくりと起き上がり、スマホで時間を見てまだホームルーム中であるので一時間目に間に合うことを確認し、もたつく足を操り教室に戻る。
「……え」
「……」
角を曲がったところで、目が合う。切れ長の、すっきりときれいな澄んだ目と。
「ごめん彰吾! おまえ抵抗しなさそうだったし、もしかしたら中原にボコられるかと思ってつい……」
大坂千寿の背後で、トシがのたうち回るように顔を覆って暴れながら釈明している。ええっと、つまりトシは、俺を心配してくれて、なぜか先生じゃなくてわざわざとなりのクラスの大坂千寿を連れてきた……?
まっすぐな、意志の強そうな瞳がじっと俺を見ていて、そのことをうれしいと思うより先に、俺はとあることに気がついた。
「……まさかさっきの全部聞いて……」
彼女がふいと目を逸らすように伏せ気味にする。そのしぐさが、何もかもすべてを物語っていた。
泣きたい。もう散々泣いて目の周りを腫らしている自覚はあるけど、すごく泣きたい。頬がかっと熱を持って、羞恥のあまり火を噴きそうになる。どうしよう。あの恥ずかしいぐだぐだ、全部聞かれた。しかも、中原くんにブチ切れてから泣いて床に転がって、そのあとふっと現実に戻ってくるまでの一連の流れ、全部見られた。
「……だいじょうぶだよ」
気まずそうにしていた大坂千寿の口から零れ出でたのは、妙に甘ったるくてやさしい響きだった。
顔を、上げる。
彼女は、泣き出す三秒前くらいのような笑みをその凛々しい顔に乗せていた。
「……とくべつでもなんでもないって、わかったから」
最初、何を言っているのか分からなかった。とくべつでもなんでもないって、わかった。
俺がまばたきを繰り返して言葉を飲み込もうとしているうちに、大坂千寿はふいと踵を返して、ホームルームが終わるチャイムと一緒に教室のあるほうへ消えた。
残された俺とトシは、顔を見合わせて、首を傾げる。
「何がだいじょうぶなんだ……?」
「……さあ……」
教室に戻る途中、一時間目から体育らしいのんちゃんと、そのお友達の一群に遭遇する。
「彰ちゃん」
「ああ」
「……どうしたの? なんかひどい顔してる」
「あ、いや」
大判の絆創膏に付け足して、泣き腫らした目の周り。のんちゃんの顔色がみるみる青くなる。
「まさか……」
「え?」
「どこのどいつ!? 彰ちゃんを傷物にしたのはどこのどいつ!?」
「き、傷物? まあたしかにけがはしてるけど」
「佳音落ち着いて!」
「武本先輩たぶんそういうのじゃないから!」
慌てて、周囲のお友達がのんちゃんをなだめにかかる。なんだ、傷物って。なんの話してるんだ。
発狂しそうな勢いで喚き散らしているのんちゃんに、とりあえず、落ち着け落ち着け、と手で示し、絆創膏を貼っていないほうの頬を指で掻いて説明する。
「これは、昨日けんかして殴られて……泣いたのは、ちょっと、まあなんていうか……俺は無力だと気づいたからで……」
「無力なうちに何をされたの!?」
「ええ?」
「佳音!」
「すみません、武本先輩、この子漫画の読みすぎなんです!」
「え、え?」
真っ青な顔で俺に迫る彼女を、遅刻するから、と引きずっていくお友達。その背中を見送りながら、俺たちは再びきょとんとする羽目になる。
「漫画の入れ知恵で、俺が何をされた設定になってるんだろうな……?」
「……さあ」
教室に戻り、席に着き、中原くんが何食わぬ顔で席に座っていることを確認してなぜか少しほっとして、それから授業の準備をする。
のんちゃんの大騒ぎがインパクトが強すぎたけど、俺はそのあとはずっと、大坂千寿がこぼした言葉について考えていた。
だいじょうぶだよ、とくべつでもなんでもないって、わかったから。
◆
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます