二人の約束
伊東デイズ
第1話 プロローグ
「約束は約束だ。文芸部の存続を認めよう。だが、SOS団とやらの存在に対しては……」
そこから先は俺もハルヒも覚えちゃいない。
敵の敗北宣言を勝ち取ったハルヒは部室に
「さあ、みくるちゃん! 勝利の踊りよ!」
「ええっ!」
「みくるちゃんも頑張ったんだから勝利を味わう資格はあるわ! さあ!」
ハルヒは朝比奈さんの手を取って棒立ちの長門の周囲を円舞しはじめた。ハルヒはこっちが妙な気分になるほどの笑顔で、古泉も珍しく肩の力を抜いて安堵している。
踊りがフォークダンス風のぐるぐる回りからなぜかハワイアンへと変化したのち、ハルヒは一冊だけ残った文芸誌を俺によこした。
「キョン、コピーを取ったら図書館に寄贈しなさい。入学する生徒全員が読むべきだわ。普通紙だとカビたりするから、なんか永久に残るような方法を考えて明日あたしに報告ねっ!」
俺の返事も待たず、ハルヒは朝比奈さんを引き連れて部室をでていった。長門がその後をつつつ、という感じで後に続いていく。
戦いすんで日が暮れて……。
文芸部(というかSOS団)の存続をかけた戦いは終わった。
生徒会長の文芸部は文芸部らしく成果を上げろ、でなきゃ廃部、とのご託宣に真っ向から立ち向かったのがハルヒである。長門を生徒会室に呼び出した時点でハルヒの逆鱗に触れてしまい、団員はほぼ強制参加を余儀なくされた。
よく考えてみると、これは古泉の周到な作戦だったと言える。狙い所がよく解っているというか。役達者の生徒会長のお陰でもくろみは成功したようだ。
室内はまだ原稿用紙やら創作資料が散らばっている。机には朝比奈さんのネタ本の童話集が数冊、ハルヒの絵なのか文字なのかわからん落書きが一枚あった。生徒会長が持ち込んだ数冊の古ぼけた文芸誌も積んである。片付けるのはいつも俺の役目だ。
「痛て」
椅子に腰を下ろしたとたん、背中に痛みが走った。原稿争奪戦でハルヒに投げ飛ばされた痛みが残ってやがる。
顔をしかめる俺に古泉が薄い笑みを見せる。
「なんとか無事終わりましたね」
「これが無事って状態かよ」
「表向きは文芸部も存続しますし、このところ涼宮さんも退屈から解放されたようで何よりです」
「あの生徒会長も適役って感じだな」
「まあ、それなりの人物ではありますね」
「あいつはお前みたいな超能力はないんだよな?」
「彼は『機関』が
部室でタバコをくゆらす生徒会長の姿を思い浮かべる。年齢がほとんど同じなのに、不思議に人物に重みがある。背後で悪事を働いてそうな権力者タイプだ。ハルヒが猛烈に毛嫌いするのもわかる。ただ、俺が少しばかり奇妙な魅力を感じたのも事実だ。
「まだ最後の課題が一つのこっています」
「これか」
ハルヒが放り出した文芸誌を見下ろす。印刷した二百部はあっというまに生徒たちの間で評判となり、残ったのはこの一冊だけだ。文芸部の制作物としては大ヒットだろう。
俺はこの文芸誌の保存方法を考えないといけないらしい。ハルヒ団長が明日まで、と期限を切ったからには明日までなのだ。
「永遠に残る方法、と言われてもな」
「耐久紙に印字して保存用を作ったらどうでしょうか」
「学校の印刷室だと無理じゃないのか」
「僕のほうでそれはなんとか。この際、作成したものはぜんぶ電子化しておきます」
僕、というか『機関』のほうだろう。こんな作文レベルの紙束でも調査対象らしい。ご苦労なこった。
俺たちは漫研と美術部に出向いてイラストの原稿データをもらってきた。弁舌さわやかな古泉の説得力のおかげで交渉はうまくいった。こういうときは助かる。
集めた原稿を古泉は持ち帰って保存するという。まあどんな記憶媒体に焼いたところで十年もすれば読み取り装置なんか売ってないんじゃないか?
将来どんな媒体が主流になるか朝比奈さんに訊いてみたい気もするが、それはたぶん禁則事項のはずだ。過去の人間が知るべきでない知識はすべて禁則で、未来に悪影響を与えないようにうっかり屋さんの朝比奈さんでさえも鉄壁の
玄関から正門に向かう坂には霜が降りていた。夜はまだ冷え込みがきつい。
カバンに資料を詰め込んだ古泉と俺は正面玄関を出て、正門までの短い坂を下りていく。
「今回は完全にお前のシナリオだったんだな」
「SOS団対生徒会長の構図を実現するのは以前からの課題でしたからね」
「ひょっとして相当やばいのか。あっちのほうは」
俺はこの事件が始まる少し前から古泉の焦りのようなものを感じていた。もうかれこれ一年近い付き合いだ。それくらいは俺にもわかる。
少なくとも文芸誌事件は一段落したことだし、話していい頃合いだろう。
「生徒会長はお前らの飼い犬なんだろ。ハルヒが退屈で危険な状態になったら注意をそらすためにお前らが
「確かにそうですね」
「たぶんお前ら超能力者にはハルヒの退屈ゲージみたいなもんがあって、ヤバくなったら生徒会長のご登場ってわけだ。背後でおまえらがお膳立てして……」
「さすがはご
お前がどっかから引っ張ってきたくせによく言うよ。
だが俺は古泉の立場も理解できるのだ。生徒会との闘争ぐらいなら学内の些細なエピソードだ。俺だって問題解決の一助となれるかもしれん。閉鎖空間での激闘よりはな。俺の知らないところで古泉だけが苦しむのは不当なような気もするし、少々後ろめたい。
正門を出て俺たちは長い坂を下りていく。冷え切った空気のせいか、遠くの街の灯がくっきり見える。こんな時間だから坂道に生徒は見当たらない。静まりかえった坂を歩いていると、まるで閉鎖空間に俺と古泉が二人きりでいるかのような気がする。
「今回は思わぬ収穫がありました」
「なんだ?」
「長門さんですよ」
「あの小説か」
「ええ」
長門の一人称小説は、ハルヒですら頭をかしげる内容だった。俺だって中身はさっぱりだが、幽霊や死神が登場する暗いイメージだったのが気になる。
「機関員は閉鎖空間の外では普通の人間に過ぎません。中には例外もいますけどね。未来人は我々の子孫ですから意思の
正確には超絶宇宙種族の手になる有機アンドロイドだ。作り主よりは人間にずっと近い作りになっているはずだ。なにしろ対有機生命体用コンタクトインターフェイスだからな。もともと俺たち向けに特別に作られた存在なんだ。しかも去年の暮れ以降、さらに俺たちの方に降りてきているような気がする。それはきっと良いことなんだ、と俺は思いたい。
坂を下りた先の交差点で俺たちは別れた。古泉は重そうなカバンを持って通りを右に折れ、やがて姿が見えなくなった。
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