第20話 記憶
ディランはぽかんとした表情で、ドラゴンの方を見ていた。ついさっきエヴァの名前を呼んだ、地の底から響くかのような大音量の声は、明らかにこのドラゴンから発せられたようだった。
「ああ……」
エヴァは感極まったように両手を広げ、ゆっくりと歩いていく。翼を閉じたドラゴンは、音も無く地面に降りた。口元からは、既に炎は消えている。
不意に、ドラゴンの巨体が消え失せた。代わりに、ウォードよりもさらに背の高い大男が、その場所に出現していた。短い髪は、
「エヴァ……」
男が困ったように言った。その声は、大きさを除けば、先ほど聞いた赤竜の声とよく似ていた。
「あなたに会いたかった、ディー」
そう言って、エヴァは男に抱き着いた。
(ディーだって?)
ディランは驚いた。それは、伝説の魔剣『エヴァ』の持ち主の名前だ。単なる偶然とは思えないし、ディーはエヴァのことを名前で呼んでいる。まさかこの二人が、あの冒険者と魔剣なのか。
「それがエヴァの願いなの?」
セリアがぽつりと言った。エヴァは男の胸に身を寄せながら、ディランたちの方を振り向いた。その顔には、こぼれるような笑みが浮かんでいた。
「そうだ。彼は以前の……唯一の、私の持ち主だった」
そう言って、エヴァは過去について語り出した。
彼女の話によると、やはりディーとエヴァは、伝説の二人と同一人物だった。ディランは偶然にも、彼女の本名を当ててしまったわけだ。ディーは一時期、人のふりをして冒険者として旅をしていたが、ドラゴンとしての生活に戻る際に、エヴァの所有権を放棄したらしい。
「もう二度と、あなたと離れたくない」
「私はもう人間のふりをするつもりはない。以前のように、お前を使ってやることはできない」
「それでも構わない。一緒にいてくれるだけで、いい」
肩を抱かれているエヴァは、ディーに熱のこもった視線を向ける。横から見ているだけのディランの方が、思わず赤面してしまった。
「お前はそう思っていても、今の持ち主はどうする」
ディーはディランに目を向けた。
「俺は……うん、手放しても構わない」
そう言って、小さく頷く。少し寂しい気持ちはあったが、もともと手放すつもりだったのだ。彼女が望む者のもとに行けるなら、喜ばしいことだろう。
「ちょっと待って!」
だが、そこにセリアが口を挟んだ。
「譲るのはいいけど、エヴァは私たちの物なんだから、ちゃんと買いとってよね」
語気を強めて主張する。赤竜相手によくやるよ、とディランは冷や冷やしながら見ていた。私たちの『物』といった瞬間に、ディーの眉がぴくりと動いたような……。
「対価を渡せというわけか?」
「そうよ」
「いいだろう」
ディーはそう言うと、身を
「この中から好きなものを一つ持っていけ」
金銀財宝や魔道具、上質の武具が、所狭しと並んでいた。一生遊んで暮らせる……どころか、いくつもの家族を養えるほどの量だ。
「もちろん、一人一つずつよね?」
「……ああ」
セリアの質問に、ディーは少し間を置いてから答えた。
目を輝かせながら、三人は洞窟の中を見て回った。セリアは最も高い物を探そうと、魔道具を中心に見ているようだ。王都に戻ったら、即売りに出すつもりだろう。ウォードは剣を手に取りながら、自分に合った物を探しているようだった。
ディランはどちらに参加するか少し迷ったあと、セリアと同じく魔道具を探し始めた。剣に未練はあったが、自分のせいでパーティの二人には迷惑をかけてしまったし、ここはお金に換えてパーティに貢献すべきだろう。
そう思ったのだが、セリアがちらりとこちらを見ながら言った。
「剣が欲しいならそうしなさいよ」
「……何も言ってないんだけど……」
「売るのは一つで十分でしょ。私はべつに欲しい物無いから」
セリアはディランを手で追い払った。ディランは仕方なく、そして心の中で感謝しながら、剣を見ることにした。
最終的に、セリアは守りの指輪――彼女が言うには、とんでもなく強力な魔法がかかったもの――を、ウォードとディランは剣を選んだ。前者は黒い刀身を持ったシンプルな意匠の剣、後者は全体に複雑な
「それでいいんだな?」
ディーは全員の選んだ品に目を向けながら言った。文様の剣を見た時に妙な表情をしたような気がして、ディランは少し眉を寄せる。
帰りはディーが抜け道を教えてくれた。この竜の巣から、山の
「ありがとう、ディラン。私の願いを叶えてくれて」
「うん」
柔らかな笑みを浮かべるエヴァを眩しそうに見て、ディランはその場を去った。
「これでしばらくは人間らしい生活ができるわね」
指に
「旨い肉が食いたいな」
「今日ぐらいはいいわよ。高い店にでも行って豪勢にやりましょう」
「おお」
そのやり取りを、ディランは少し心苦しい思いで見ていた。自分たちは剣を貰っているのだから、指輪を売ったお金はセリアが全部使ってもいいはずだが、彼女はそうはしないだろう。それに、もしセリアがいなければそもそも手に入っていたかも分からない。ディランだけだったら、エヴァを渡してしまっていたかもしれない。
今度ちゃんとお礼をしなきゃな、などと思っていると、
『ふわあ……おはよお』
不意に頭の中に声が響いて、ディランは足を止めた。一瞬エヴァのことを思い出したが、もっと幼い、女の子っぽい声だった。
振り向いたセリアが、訝しげに問いかける。
「どうしたの?」
「い、いや、なんか声が……」
ディランがうろたえていると、またしても声が聞こえた。
『あなたが新しいご主人様?』
「へ?」
思いもよらない単語に、ディランは間抜けな声をあげた。やがて、ある一つの可能性が頭に浮かぶ。
「……もしかして、君、この剣?」
『そうだよお』
柄に手を添えながら恐る恐る尋ねると、声はあっさりと肯定した。そのやりとりを見ていたセリアが、はっとした表情になる。
「まさか、また喋る剣に当たったの?」
「そうらしい……あっ、お願いがあるなんて言わないよな!?」
柄を揺らしながら慌てて聞いた。すると剣は、不思議そうに言う。
『お願いってなあに?』
「……いや、無いならいいよ」
ディランはため息をつくと、剣の柄を一撫でした。
「じゃあとりあえず、よろしく」
仲間たちを促し、また厄介なことになりませんようにと願いながら、ディランは洞窟を進んだ。
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