問2.6 : 夏川先生ってどんな先生ですか?

「不安だわ」

 自席で頭を抱え、島田美波は、ため息をついていた。

「どうしたんだ? そんな頭抱えてよ」

 声をかけてきたのは、隣の席でスマホゲームをしている坊主頭の男性教諭であった。

「そんなに悩んでっと皺が増えるぞ」

「……セクハラですよ、夏川先輩」

 まったく、このハゲは。

「はぁ、女はすぐこれだ。息苦しい世の中だよ」

「そんなんじゃモテませんよ」

「うっせぇ。それにここでは先輩じゃなくて、先生って呼べよ」

「わかってますよ、夏川せ、ん、せ、い」

「……かわいくねぇ奴だ」

 あんたにかわいいなんて思われたくない。

 嫌そうに、美波は顔を背けた。

 だいたい何でこの男がいるのよ。

 夏川先生こと、夏川俊平は、美波がまだこの文月学園の学生だった頃の先輩であった。時には敵として戦い、時には、やはり敵として戦い、そして最後まで敵として戦った。

 つまり、美波にとって、何の好印象もない、大嫌いな相手なのだ。

 それが今では同僚として、同じ職場で教師をやっている。

 はっきり言って、ストレス以外の何物でもないのだが。

 禿げたら訴えてやるんだから。

 美波がまた一つため息をついてから、気を取り直して、仕事を片付け始めたとき、

「で、何が不安なんだよ」

 夏川は、再度スマホに目を落として、どうでもよさそうに尋ねてきた。

「まぁ、Fクラスの副担任なんだから、いわずもがなって気もするけどな」

「うぅ、それは反論できない」

 けど、夏川に言われるとなんかむかつく。

「俺はAクラスの副担だから、もう暇でしょうがないって話だよ」

 それもむかつく理由の一つだ。

 文月学園の伝統のようなもので、文月学園の卒業生が教師として戻ってきたとき、卒業した際のクラスの担当になることが多い、らしい。

 夏川は、元Aクラスだ。それで、今はAクラスの副担任をしている。まぁ、Aクラスはそもそも副担任が五人いる。彼はその内の一人というだけなのだが。

 一方でFクラスの副担任は、美波一人。そして、担任は休職中という状態だ。

 不安になる理由など、星の数ほどある。

 それなのに。

「試召戦争をしたいだなんて」

「試召戦争?」

 夏川は驚いてスマホを落とした。

「Fクラスが? 冗談だろ?」

「冗談ならもう少しマシなのをつくわよ」

 落としたスマホを拾う夏川の手は震えていた。

 それもそうだろう。学生時代、夏川の所属していたAクラスは、美波の属していたFクラスに負けたことがある。いろんな偶然と、様々な努力と、無数の策謀を駆使して美波達は勝利を収めた。

 その恐怖が、今でも残っているのだろう。

「まさかAクラスに試召戦争をしかける気じゃないだろうな」

「さぁ、私に聞かないでよ」

 その気だ、間違いなく。

 美波は確信していた。

 あの織田真理子という女は、野心家の目をしている。

 その目は、美波のよく知る目であった。学生時代、Fクラス代表が同じ狂犬のようにくすんだ目をしていた。

 まぁ、ただのバカ犬だったとも言えるが。

 とにかく、自分の欲望を満たすためならば何でもする、そういう輩がする目を、現Fクラス代表、織田真理子は爛々と輝かせている。

 あとは、彼女にそれだけの素養があるか。

 あるんだろうなぁ。

 それは、ただの美波の直感であるが、何かをやり遂げてしまいそうな、そんな予感が、ひたすら不安を掻き立てるのだ。

「ま、まぁ、もしも仮にAクラスと試召戦争することになったとしても、絶対に勝てないだろうけどな」

 動揺を隠すように、夏川はあわてて付け足した。

「ふふん。それはわかんないわよ。夏川先生だって、私達に負けたんだから」

「そ、それを言うな! 今でもトラウマなんだ」

 本当に忘れられていなかったらしい。

「い、いや、だがな。今年の二年Aクラスはものが違うぞ。なんて言ったってクラス代表が飛び抜けている」

「う」

 美波は閉口せざるを得なかった。

「Aクラス代表の島田葉月。成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗、それでいて友達も多く、周りからの信頼も厚い。こんなによくできた女は、そういないぜ」

「そ、そうね」

「それに比べて姉の方は」

「うぅぅぅ」

 この手の話は、文月学園に赴任してから百回以上されたわけだが、今でも肩身が狭い思いになる。

「暴力しか取り柄のない姉とは違って、柔和で明るい性格だし、いやぁ、あれはまさに天使だな」

 妹のことをしたりげに話すハゲ男を見て、姉としては甚だ気味が悪いのだけれども、まぁ、葉月の方が優秀なのは間違いない。

「あぁ、彼氏いんのかな、葉月ちゃん。……おい、島田、わるかったから、スマホをおけ。110を黙ってプッシュするな」

「次、葉月にちゃん付けしたら、通報するから」

 やっぱり気持ち悪い。

 人の性格なんてものは、数年では変わらないものだ。学生の頃からきもかったが、今はいっそうひどい。

 こんな男が教師をやっているというのだから、日本の教育界の人材不足は申告なのだろう。

 ……それは自分にも跳ね返ってくる。

 Fクラスの試召戦争を鬱陶しがっている教師が、いったいどの口で夏川を非難するのだろうか。

 そうよね。

「まぁ、Aクラスに勝てるかはわからないけれど、あの子達がやるっていうんなら協力してあげなきゃ」

 不安がってなんていられない。

「ふん。意気込むのはいいがな、試召戦争をやるってことはその分授業が遅れるってことだぞ。ただでさえFクラスの連中は自分で勉強なんてしないのに、授業がなかったら、どんどんバカになるぞ」

「う、うちが教えるわよ」

「ただでさえ激務のFクラスなんだ。さらに担任もいない。そんな状況でバカが増強されたら、島田の仕事はそりゃもう膨大に増える」

「が、がんばればいいんでしょ」

「毎年、多忙で心を病む教師が後を絶たないんだよなぁ」

 こんのハゲは、どうしてそう不吉なことを言う。

 バンと机を叩いて、美波は立ち上がった。

「いいのよ。あたしが担任分もがんばるし。Aクラスに副担任が5人いるんなら、あたしが5人分がんばるだけよ。Fクラス魂を見せてやるんだから」

 これだから、と呆れたように夏川はスマホに視線を落としたが知ったことか。

 これがうちの仕事なんだから。

 そういう意味では、夏川も良い教師に違いない。

 反面教師という名の、だけど。

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