畝火山心中

連野純也

旅人来たる

 都からだいぶ離れた山里に、雨が降っている。


 明るいうちから暗くなるまで、昨日も今日も、おそらくは明日も、冷たい木枯らしが吹き抜ける。松を少しばかり残して、大方の木の葉は風に飛ばされてしまった。

 山は物悲しく痩せ細り、森は骨の立つがごとき有様であった。

 そんな谷陰に、小さな庵があった。


 旅人が一人、悪天候に逆らうように歩いていた。

 旅人は僧であった。日は暮れ落ち、民家の灯りも近くにはない。遠くで猿が鳴いている。

 旅慣れぬ若い僧――良照りょうしょうは雨風をしのぐ一夜の宿を求めて方々を歩き、ようやく庵を見いだした。


「すみません。どなたかいらっしゃいませんか」

 障子にあかく明りがともる。棒を外す音がし、がたりと開いた。

 

 中から出てきたのは、やはり若い僧衣の男であった。

 しかし。

 良照は狐狸こりに化かされたような思いにとらわれた。

 何という美貌であろうか。

「どうかなさいましたか」

 男が問う。

「あ、いえ。隣の村まで歩くつもりで御座いましたが、旅慣れぬゆえ思うように進まず、道に迷うほど暗くなってしまいました。もしよろしければ一夜、泊めていただけないでしょうか」

「それは難儀なんぎなことで御座いました。さように濡れていてはお体にさわります。このようなあばら屋でよろしければ、中へどうぞ」

「有難う御座います」

「ちょうど飯の支度をしておりました。ご一緒しませんか」

「いえ、泊めていただけるだけでも感謝しておりますのに、そこまで――」

 途端に良照の腹の虫が鳴る。

 良照は赤くなった。

「きちんと腹が減る。体が丈夫な証拠で御座いますよ」


 借りた服に着替え、濡れた僧衣を壁際にかけると、芋粥いもがゆと漬物が出された。

 暖かい食べ物が冷えた腹に染み渡る。

 凛とした姿勢を崩さない男。玄信げんしんと名乗った。

「助かりました。人気もない山で迷ったところに、地獄で仏とはこのことでしょうか」

「大げさですよ。私はこちらに住まわせてもらっているだけで」

「玄信さまは、どうしてこのような辺鄙へんぴなところに?」

「――この土地は古来より何度も戦場となってきました。明るくなれば、いまだに野晒しの骸が転がっているのがわかることでしょう。私は無念に散った者たちを弔うためにここにいるのです」

「それはご殊勝な心掛けで――感服いたしました」

「良照さまは旅をしておられるのですか」

 玄信の美貌に陰が差す。意図的に話題をそらしたな、と良照は感じた。

「私はまだ出家して日が浅いのです。修行をしておりました寺の住職に、少し世間を見てこいと、隣村の大きな寺院を紹介されました。そこにしかないといわれる大切な経典を学ぶつもりでいましたが、玄信さま」

「はい」

「ここで玄信さまのお手伝いをさせていただくわけにはまいりませんか」


「見ての通りの貧乏暮らし。食べることさえ満足にはいかぬ始末で御座いますよ」

「それでもよいのです」

「……困ったお人ですね」

「よろしいですか」

「その前に、一つ聞いておきたいことがあります」

「何でしょう」

「先ほど、出家して間がないとおっしゃいました。良照さまは何故、出家なされたのです?」


「父と妻を立て続けに失いました」

「……それは」

「そのまま日々を暮らしていくには、穴が大きすぎたのです」

「周りは引き止めませんでしたか」

「私に空いた穴、その闇を知るのは私だけですから」

「私のそばにいることで、その穴を埋められるとお考えか」

「そんなことは申しておりません。ただ玄信さまから学びたいと思ったのです」

「私が何かの役に立つとは思えませんが――」


 良照は、はじめて玄信の微笑んだ顔を見た。

 まるで、やんちゃな弟を見るような。


「あなたはこうと思い込んだら突き進む猪のような方。断る術が私にはない」

「有難う御座います!」


 そうして、庵に住む変わり者が一人増えたのである。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る