異なる貌

 彼女と接吻を成したのは数年前の事柄だ。彼女は私の唇を奪い、悲しそうな貌で手を握られた。私の身体は緊張で硬直し、激的な眩暈で気を失いそうに為ったのだが、彼女は私を支えてくれた。結局、彼女は私の『酷い脆弱性』に惹かれたのだ。可愛い。可哀想な。私を『悲しい』眼で慰める事が。勿論、私も厭ではなかった。寧ろ『うれしい』と思ったのだ。彼女の類稀なる過保護さが私を、救ってくれた。ああ。何と。素晴らしき人生だった! 私は彼女の抱擁に融解し、堕ちるような朦朧に浸って在った。永劫のような。蜿蜒と伸びる、緩急の皆無な道は優しい。怠惰……罪を犯した私は、提供する彼女への依存に沈み……現実が起きた。否。現実とは彼女の存在で成り立つものだ。ならば起きたのは何事か。何者か。何物だろうか。答えは彼女の肉体。ああ。神よ! 私を赦し給え!


   ――私は彼女を殺してしまった。


 理由。理由だと。貴様に教えるものか! 彼女は私を堕落させた。私は彼女に溺れて死んだ。何。貴様。理由が解っただと。莫迦な! 私は貴様に吐いた『言葉』など忘れたのだ。貴様には何の用も要も無い。さっさと失せろ。糞が……待て。貴様。黙れ。人間の言葉を発……ああ! 助けてくれ! 貴様は。


   ――我等の母を殺したな!

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