ビニールハウスの呼び声
「モホロビチッチとリボゾームとアンシャンレジームが起きたからー」
昔からそうなんだが、こいつは何にでも勝手な名前をつける。しかもそれを何の説明もなしに使うのだからタチが悪い。
「だれだ? モホロビッチって?」
「モホロビチッチだよー。モホロビチッチはねー、下の川のー」
「…カエルか」
「そうだよー。下の川のー石の橋の丸石のとこにいるんだけどねー」
そしてたいていどうでもいいものだ。
「冬眠する前より大きくなっててね―、冬眠してるときって大きくなるんだね―」
とてもどうでもいい。
3月も真ん中をすぎるとだんだんと暖かい日が増えてきて、ここド田舎ではいろんなもんが目覚めてくる。あのクソ雪もおおかた溶け、地面には草が生え、木には花が咲き、冬の間寝てたカエルだのヘビだのが目を覚ます。
「みるるも大きくなるかなー」
「おまえはあと2000年ぐらいそのままだ」
かれこれ14年となんとかの付き合いになるけど、こいつだけはずっと寝てるんだか起きてるんだかよくわからない。でっかい目を半分ぐらいはあいてるから起きてるんだろうけど、言ってることはことごとく寝言でいいんじゃないかとも思う。
たぶん、リボとアンもカエルかヘビだな。熊ってことはないだろう…。
「あとねー、ザトーくんも起きそうなんだよー」
佐藤? よくある名前だけど知り合いにはいないような気がする。もしかして佐藤もカエルか? だいたいこいつの命名パターンだとそのたぐいはよくわからん横文字名前で、和名が付いてるのは珍しいんだが。
ここ、ど田舎では知り合いの知り合いというのはだいたい知り合いだ。こいつに俺の知らない知り合いがいるというのはちょっと意外でなんかくやしい。まあ、人間以外はよくわからんが。
ていうか起きそうってなんだ? やっぱりカエルか?
「でねー、たっちゃん『こんとん』ってほしかったりするかな?」
「なんだ? パンダか?」
「ちがうよー」
スマホを取り出して謎の儀式のような動きを始めた。たぶん、辞書かなんか調べてるんだろう。会話だけじゃなくて動きも怪しいやつだ。
「要はー英語表記のカオスと同じ意味ー。大体はどうしてこうなった、これはひどいとしか言いようのない…」
「混沌かよ。そういうのはおまえだけで間に合ってる。てか、どこの辞書だそれは」
「みるるは混沌じゃないよ?」
「『どうしてこうなった』とか、まんまおまえじゃないか」
「んー」
いつものように考え込みながらもテキパキとなすびを箱に詰めていく。
このなすび、米茄子というちょっとアメリカンなでっかいなすびで、ちょうどサイズなダンボール箱にびっしり詰めるとなかなか高級な感じになるんだけど、微妙な大きさや形を見切ってきれいに詰めるのはなかなかに難しい。
適当に並べると最後がギリ入らないし、無理に入れるとクソおやじが小遣いを削りに来る。なので、ちょうどいいのを選ぶのに無駄に時間がかかる。三箱めをやっとこさ詰め込むころには、どこにも入らなかったなすびに取り囲まれるとこまでがテンプレだ。
やつは七箱めを詰め終わると、
「じゃあー、たっちゃんが『これはひどい』担当ー」
わけのわからないことを言う。
こいつはどういう仕掛けだか、なんの迷いもなく次々となすびを詰めていく。戻したり入れ替えたりもほとんどしない。それでいて、できあがった箱は揺すっても音ひとつしない出来栄えだ。
頭おかしいやつってだいたい変な能力持ってる気がする。
「みるるちゃん相変わらず上手ねえ。うちにお嫁さんにきてくれないかしらー」
こら、おかん。なすびの箱詰めがうまい嫁とか農家的発想やめろ。
「おまえはなにを勝ち誇っている?」
みるるもまた、ただでさえふやけた顔をにへらとゆるめてこっちを見てるのがむかつく。
「たっちゃんがそういうんだったら、ザトーくんには断っとくねー」
言いながらみるるはさくさくと八箱めを詰め始めた。
***
春の日差しは暖かい。暖かいと人間、いや、大体の生物は眠くなる。
起きたら昼近かった。米茄子の箱詰めは思ったよりおれの精神の健康的なものをガリガリ削ってたらしい。にしても、あの息子をブラック社員としか思ってないうちの両親がこんな時間まで起こしに来ないとか妙だな。今日も箱詰めやるんだろうし、その分のなすびを朝から収穫やるのに叩き起こしに来るはずだ。
居間に行くとクソおやじの野良着がほっぽってある。まさかおやじも寝坊か? いや、おかんが起こすだろ。もしかしてそろって寝てるとか…
あいつらあの年で変に仲いいからな。…気色悪い想像になりそうなのでやめよう。
台所を覗いてみると、刻みかけの野菜やら、コンロで湯気を上げている鍋やらが並んでる。
…最悪の事態は回避したか。
にしてもどこいったんだろう? 料理はやりかけ感満載で、いかにも火だけ消して中断した感じ。うっさんとこのおばちゃんでも来て外でしゃべってるんだろか?
それにしても腹減った。なんせ昼だもんな。なんか食えるもんないのか。おかずでもあさろうと台所に足を踏み入れて、気づいた。
な、んだこれ?
うちもいっぱしの農家なので、流しの横に木箱があって自分とこ用の畑で取れた野菜が入れてある。
人参、じゃがいも、玉ねぎ、キャベツ、ほうれん草。
うちの畑で昨日今日採れたやつだ。新鮮なだけは無駄に新鮮。芽なんか出てたりするはずもない。
それが、どれもこれも芽が出まくって葉が伸び切り、箱からはみ出して生い茂っている。よく見ると、まな板の上の玉ねぎまでまっぷたつのまま、葉を繁らせていた。なんの冗談だと考えるひまもなく、
ガタン
と冷蔵庫が鳴った。とっさに開けてみると、フタの開いたタッパーの中でアサリだかシジミだかが口を開けてばしゃばしゃと動き回っている。
なんなんだよっ! 台所荒れすぎだろ。おかんなんとかしろよ!
気色悪くて家から飛び出した。
きょろきょろと見回すが、おやじやおかんの姿も気配もそこにはなく、地面がのそっと動くのだけが見えた。
見たまま言うぞ。
カエル・カエル・カエル。
見渡す限りにカエルが並んでいる。地面にびっしり。アマガエルからトノサマガエル、食用ガエルまで大小様々なやつが、喉を膨らませて鳴いている。いくらここがド田舎でも、これは普通じゃない。カエルとカエルの間からわずかに見える地面からも、またカエルがわきだしてくる。
おれはとりあえず止まった。わけわかんなくて。
おれのことなんかにおかまいなく、カエルどもはモゾモゾと動く。地面で大きな模様がのたうつように。ときどきその中に黒っぽいしま模様が走る。地面から這い出したヘビがカエルの間を走り回ってる。
おまけに、そこらに生えてる草、花、木、どれもこれもが見る間に伸びていき、ヘビやカエルが押しのけられて跳ね回る。
「うわああああああああああっ」
たまらず家に逃げ込んだ。
目の前の景色がグロいってのもあるけど、思い出したんだ。この景色、前にも見たことあるって。
***
記憶の中のみるるとおれは派手なピンクのチェックの服を着てるから、あれは小学校に入る前、寺のやってる保育園に行ってるころだろう。
やつとおれはあたり一面のカエルに囲まれて、二人並んで地面の暗い穴をのぞいている。ここみたいなド田舎の、目を開けてるんだかつむってるんだかわからない夜の闇よりも、もっともっと暗い穴。
その穴の底に澱むように、その闇よりももっともっと昏い目が、じっとこっちを見ていた。
それが何だったのかはわからない。ただ何か、とてつもないものの視野に入ってしまった感覚がまとわりついた。
やがてみるるが手を振ると、目は静かにゆっくりと閉じ、辺りにいたカエルもヘビも、一匹、また一匹と土の中に帰っていった。
思い出した。いや、覚えてる。あれは米茄子のビニールハウスの奥の、五角形の積み石のところだ。
行かないと、行って確かめないといけない。
***
頭が痛い。
痛くて重い。
なにか、重い塊が頭の中に押し付けられているみたいだ。
玄関の戸が見える。カエルとヘビが溢れかえる外。でも、ビニールハウスはあの向こう、開けないと、あの向こうにはいけない。
閉じる。闇が閉じようとしている。
扉を開けた。耳がキンと鳴り春の景色が暗いトンネルからのぞき込むように、ぎゅっと縮こまる。その黄色く濁った景色の中に、あれだけいたヘビもカエルも、いない。虫の羽音さえ、風の音さえしない。
生暖かい空気の中を進む。闇のチューブにいるように、前だけが見える。
すぐに現れたビニールハウスの、奥に、奥に、やがてたどり着いた突き当りのビニールシートの角に爪をかける。なかなかひっかからない。やっとかかった薄い膜を指先で無理やり引っ張り、半ば引きちぎるようにめくって持ち上げると、案外と大きく開いた。
闇の中の、闇の中に、こっちを見ている、あの目を、あの目は、そう、ビニールハウスの、米茄子の、ビニールハウスの奥のビニールの裂け目の、おれが、みるると、秘密の、子供がやっと通れるぐらいの、作った裂け目の外の、星型に、みるるが、積んだ石の、穴の中。
みるるが、手を振っている。ゆっくりと、闇の中に、もっと闇が、閉じる、ゆっくりと。
この奥の、中の、あの闇が、また、閉じていく!
春の光が目に飛び込み、目の奥がズキンと痛む。外の景色はさらに縮こまった。狭まった視界の端っこに、石造りの星が、10年も前と何も変わらずそこにあった。
ずっしりと重い手を伸ばす。思うように動かない手はたどたどしく星の一辺に届き、
動かない指がそのザラザラした石を掴む。20センチばかりのその石は地面の一部であるかのように動かない。
ああ、闇が!
確かめないと!
この奥の!
闇を封じる石を取り除こうと、脚に力を入れた、その時。
背中に柔らかな感触を感じた。
「たっちゃん、だめだよー」
耳元でみるるの声がする。
「ザトーくんは、もう、寝ちゃったからー」
春の景色が眼の前いっぱいに広がり、風の音が戻る。
眼の前をモンシロチョウが2匹、ひらひらと通り過ぎて、いった。
***
連日の作業の不出来と今日の寝坊を理由に、クソおやじは卑怯にもおれの小遣いを削った。
それを原資にしたのかどうかはわからないが、みるるにはバイト代が支給された。
「やっぱりカルネ焼きはおいしいねー」
そして、ド田舎最強グルメ、農協売店の『カルネ焼き』を食っている。
やつのおごりで。
どこまでが現実だったのか、今となってはよくわからんけど、当分混沌はたくさんだと思った。
冷たいアイスバー 奈浪 うるか @nanamiuruka
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。冷たいアイスバーの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます