1話 君と過ごす青色の皐月

2057年、5月。

 高校を卒業し、大学生となって一ヶ月が過ぎた。

 朝、右腕に装着されたライフデバイスが就寝してから8時間ぴったりの時間に僕の意識を覚醒させる。学生寮の固いベッドから起き上がると、端末に内包されたAIが僕の健康状態を計測し、それに見合った朝食のメニューが食堂へと送られる。着替えて食堂に行き、ライフデバイスをかざすと先ほどのメニューに沿った料理が出てくる。

 その間にも煩わしく僕の今日の予定が、ライフデバイスから視覚ディスプレイに表示され、僕が所属している様々なコミュニティごとにチャットが届く。

 

【総合都市設計演習グループ2】>>克己:グループワークの資料を送っといたぜ、マモル。まとめてレポートに打ち込んでおいてくれ


【上代大学男子学生寮】>>管理人:明日5月12日(水)に補修工事が行われます。12時-15時の間に寮内でライフデバイスが使用できなくなります。ご注意ください。


【十字高校8組】>>涙井:みなさん、いかがお過ごしですか~。卒業してからもうすぐ2ヶ月ということで、みんなで会って話しましょ~。参加の人は返事お願いします。5月21日の18時から、十字駅集合です!!


【鯨乃家】 >>母さん:新生活はどうかしら。こちらは新しい土地に戸惑いながらも元気でやっています。遠くから応援してるよ


 僕は届いた会話に参加して、一通りの話をしながら大学に向かって寮を出る。

 周りを見渡せば同じように会話しながら街中を歩く人が大勢いる。それを見ていると、ライフデバイス上の会話と現実での会話は変わらなくなっているといつも思う。

 そんな世界が始まりだしたのが、2043年。今から14年前だ。

 インターネットが発明されてから世界の人々は互いを容易に感じられるようになり、スマートフォンによってそれを持ち歩くことができた。そしてこの年、世界はもう一歩先に足を踏み出すことになる。数々の情報をインプットし成長するAIが安価に端末に内包し提供できるようになり、生活に関わる全ての必需品およびそのサポート機能がひとつの端末に統合された。

 その名も統合装着型個人端末・通称ライフデバイス。

 その他大勢の様々な形のコミュニケーションを初めとして、生活用品の注文、目的地までのナビ、健康状態の確認など全てAIにより自動的に行われ、人々の生活はより効率的になった。大げさに言ってしまえば、ライフデバイスを身に着けていることが社会に認識されているということと同意。社会に属しているという証明のようなもので、要するに社会で生きていくために必要不可欠なものなのだ。

「また来たんだ、マモルくん。君も物好きだね。こんな場所に来るなんて」

「……ここは、そんなに息苦しくはないですよ、先輩」

 そして目の前の赤月結衣先輩は、見る限りライフデバイスを一切身に着けていない、『死んでいる』人だった。

「そうなんだ、珍しいね……って今更言うのも変かな? ほら、そんなとこで立ってないで、座りなよ」

 ぽんと自分が座ってる隣の場所を叩き、手招きされる。僕はそれに合わせて、先輩の隣に腰を下ろす。

 風に吹かれてなびく先輩の髪から花のような甘い香りがして、少し心臓が高鳴る。

「なに読んでるんですか?」

 そんな状況の中、隣の先輩はいまどき珍しい紙の本を読んでいた。

「あ、これね。わたし体のせいで、ラーニングスペースに何だか行きづらくてさ。それを相談したら、代わりに指定図書読んでレポート書いてくださいって言われて、それで」

「レポートですか」

「うん。A4 罫線6mmの真っ白なレポート用紙にペンで言葉を並べるの。手は汚れちゃうし、疲れちゃうし……君は、もうそんなことしないよね?」

「そう、ですね。ライフデバイスのガイドラインに沿って、できたものを多少修正するだけなので、レポートを仕上げるのにはそこまで時間はかからないですね」

 手が汚れるわけでも、疲れるわけでもなくレポートを仕上げることができる。

「いいなー。やっぱ便利だよね、ライフデバイス」

「日本中のほぼ全員が使っているくらいですから」

「うん……でもね、時々紙にペンで文字を書いてもいいと思うんだ。なんて言うんだろ。確かに煩わしいことばっかなんだけど、書き終えたときの達成感とか、できたものを眺めたりすると、あぁー確かに私はここにいる、生きているなぁって思えるんだよね」

 最後のほうは消え入りそうな声で、自分の思いを吐き出すように、つぶやく。

 そんな先輩を見て、心のどこかでこの一ヶ月何度か会って、話してきたことを思い出していた。

 初めて会った時に名前とここでライフデバイスが使えないことを聞いて、二回目に先輩が病気でネットワーク環境下にいられないことを聞いて、三回目からはどうでもいいような話をいろいろとした。このベンチは元々この場所に生えていた桜の木を使って作られたこととか、秋口にはこの場所は黄葉したイチョウでとても綺麗だとか、最近料理にはまっていて今度一緒に作ったお弁当でお昼でも食べないか、とか、本当にそんな他愛もない話だ。

 これもそんな話なんだろうか。

 でも先輩の話を聞いて、思うのは。

「あはは、なんか真面目な話になっちゃったね。ごめんごめん……あ、そうだ――」

「……先輩は、ここにいますよ。ライフデバイスは使えないかもしれないですけど、傍にいる僕の目に確かに映っているので。だから、その…………」

 そんな言葉を出してから、少し後悔する。会って間もない僕がこんなこと言っても何様だと思われるかもしれない。

 僕の言葉に対する先輩の反応が少し怖くて、ちらっと横目で見ると、先輩は目を見開いていて、何か言葉を発そうと唇を震わせていた。でも、結局何も口にはしなくて、しばらくしてから

「………………うん、ありがとう」

 そうただ一言、まるで本当は口にしたかった言葉があったように、小さく感謝を伝えられた。

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