顔認証

字理四宵

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冬。

付き合っていた彼氏と別れ、年始早々に暇になった私は、冬休みだというのに、ぽっかりと予定が空いてしまった今日という日を利用して、片っ端からクラウドに写真をアップロードすることに決めた。会社の後輩の子に教わったのだが、今どきは全ての写真をサーバにアップロードして、いつでもどこでもそこにアクセスするのだとか。


「今どき、紙のアルバムなんて重いっすよ。あ、二重の意味で!」


と、軽いノリで言われてしまった私は、重い女にだけはなるまいと、押し入れの奥にしまっていたアルバムを片っ端からスキャンし、捨てられずにいた古い携帯に入っていた画像ファイルも、すべてクラウドサービスにアップロードした。デジカメの写真などは、もともとの解像度に比べ、若干解像度を落としてファイルサイズを変えるらしいが、画面上の写真が高画質なのかどうか、私の目にはほとんど見分けがつかなかった。

キッチンで紅茶を淹れ、どんどんサーバに蓄積されていく画像ファイルを見ていると、無理矢理にでもノスタルジーに引き込まれる。初めて付き合った彼氏、貸したお金を返さないまま連絡が取れなくなった友人、両親の若い顔……。紅茶を飲み干すまで、色々なストーリーを思い出し、いかに今日まで自分が過去を振り返らずにいたかということに気づかされた。

ひとり身の正月休みにしては、有意義な使い方といえるだろう。彼氏と別れなかったら、こうはいかなかったはずだ。

少しでも自分の過ごす1日を意味のあるものにしたくて、負け惜しみを交えて評価する。

正月休みが終わった数日後、早くも仕事の波は動き始め、正月ボケを味わう間もなく忙しさに追われる私のスマホに、妙な通知が入る。

もしかして元カレが……なんて思ってしまう自分が悲しいが、その通知はクラウドサービスからの物だった。


「写真の整理が終わりました」


ん? と、しばらく首を傾げた後で、ピンときた。

私にサービスを紹介してくれた後輩の話を思い出すと、最近のクラウドサービスは、人工知能を使って写真の振り分けをしてくれる機能があるらしい。

あまり期待をしていなかったが、一応心に留めてスマホを消した。多少の興味はあったが、その時は目下の仕事に追われていて、それどころではなかった。


数日後、激務の期間が終わり、ようやく代休が取れた私は、ひさしぶりに平日の朝からのんびりとPCを立ち上げた。

詳しくは言いたくないが、前述のとおり付き合っていた彼氏と別れたばかりだったので、なにをすることもなくネットサーフィンをして暇をつぶしていた。

昼飯を買うのも億劫だったので、紅茶とクッキーで空腹をごまかしつつ、部屋の片づけなどをする。冷蔵庫にはいつ買ったのかも思い出せない、カチカチになった納豆くらいしかない。後で外出をして、少し食料の買いだめをしないといけない。

ふと、机の上に置いてあったスマホを見て、そういえば仕事中に通知が入っていたことを思い出し、画像をアップしたサイトにアクセスしてみる。


「わ……本当にアルバムができてる」


私が適当にまとめてアップロードしたファイルは、人、場所、被写体などの様々なカテゴリーで振り分けられていた。

なかでも面白かったのが人のカテゴライズで、私の知り合いたちが、几帳面にフォルダごとに振り分けられている。

顔の間違えはいくらかあるものの、その人物の顔フォルダに振り分けられた画像は、なかなかの精度で振り分けられている。


「これを人間にやってもらったら、一体いくらかかるんだろう」


たいして気にもならないことをつぶやきながら、フォルダの一つ一つを開いては、そこに写っている人たちの名前を付けていったり、人工知能が誤認識をした人たちを検索結果から除外したりした。

こういう細々とした作業は嫌いではなかったので、ついつい自分のウェブスペースを美しくするのに熱中してしまう。

中には名前を思い出せない人や、完全に忘れていた人もいて、自分の記憶の風化に驚いたりする。このままでは正月に続いてノスタルジーをむさぼるだけの時間が過ぎていきそうだった。


「ん? 知らない人のフォルダもできてるな」


フォルダの整理を続けているうちに何度か、そんな思いをすることがあった。

それは、たまたま結婚式などで多くカメラに映ってしまった人だったり、ほとんど話したことのない友人の友人だったりするのだが、中にはフォルダを開いてはじめて詳細を思い出すようなこともあって、なかなか油断がならない。


「この人は……あぁ、確か飲み会だけ顔を出す先輩だな。この人は……思い出せないなぁ。あ、この人は後輩の彼氏かな」


画像の仕分けをしながら、忘れてもいい人、忘れてはいけない人の選別をしている気分になる。ちょっとした人生の折り返し地点だ。


「うーん、この人は……知らない人だな」


私がその時に開いたフォルダは、全く心当たりのない人のものだった。どこにでもいるような、中年の眼鏡のおじさんで、ちょっと正直に言えばオタクそのものの見た目だ。好みじゃないこともあって、印象に残らないタイプの顔。期待をせずに画面に映し出されたリストを見ると、思いのほか大量の画像が表示された。


「あれ? この人、 誰かの知り合いだったのかな」


私がそう思ったのは、写っているシーンがいくつかの時間や場所で別れていると気づいたからだ。何かのイベントにたまたま多く写り込んでしまったのではなく、色々な場面で、ちょこっとだけ写っている。こういうのは、色々な場所へ一緒に出掛ける人じゃないと、ありえないのだ。


「あ、もしかして……」


私は、ある可能性に気づいて、一人でちょっと笑ってしまった。


「全部違う人なのかな、このおじさんたち」


つまり、同じようなオタクっぽい見た目の男の人を、人工知能が同一人物だと認識してしまい、一つのフォルダにまとめてしまったのではないかと、思ったのだ。

眼鏡の小太りの、目立たないおじさん。漫画でカツアゲされそうな冴えない見た目の男の人は、人工知能も見分けができないのだとしたら、ちょっと面白い。


「ふふ……」


改めて画面を見直すと、ピンボケをしたり見切れていたりする写真ばっかりだ。これでは、人工知能が同一人物だと判別しても無理ないだろう。私は、念のため全ページをスクロールして見た後、フォルダを削除しようとした。画面の一番上の、一番古い写真は、私が女子高生だったころのものだ。


「うわー、懐かしい……」


高校の修学旅行で、沖縄にいった時の写真が表示される。沖縄の青く眩しい海が、十代の私の笑顔と一緒に写っている。


「あー、もう、眩しい! この頃はよかったなー」


私も、友達も、最高の笑顔だ。一番楽しい時期に、一番楽しいイベントにいるのだから、しょうがないのだけど、それにしたって悩みなんて何もないような顔は、自分のことながら羨ましい。

もっとも、この時はこの時なりに、進路や友人関係で悩んだりもしていたのだろうけど、こんな笑顔をした子が悩みがあると言っても、誰も信じないだろう。

少しため息がこぼれて、唇をかむ。


「で、おじさんはここに写っているのね」



私の後ろ、数メートル離れたところに、砂浜にたたずんで、珍しくはっきり写り込んでいる、カメラ目線のおじさんがいた。私のウェブスペース上の、最初のおじさんということになる。

その人は、海に遊びにきていたとも思えない、暗い表情で立っている。土産物屋で売っているような、沖縄の島の地図が描かれている変な赤いアロハシャツを着ているものの、テンションを上げる目的で海へ来ているとは思えない。物静かな表情は、私を見ているようにも見える。

まぁ、そんなこともあるのだろうと、気にしないでいた。


違和感を覚えたのは、次の写真だ。

私たちは、飛行機の中で写真を撮っていた。この時に旅行に持って行ったのは携帯とデジタルカメラとインスタントカメラで、機内で使ったのはインスタントカメラのはずだ。

その手のタイプのカメラは、その場でピンボケが確認できないせいか、現像してから失敗だったと気づくことがよくあった。その写真も明らかにピントがあっておらず、自撮りをする私たちではなく、後部座席の方がくっきり写っていた。

うるさかっただろう、修学旅行の私たちと同じ飛行機になった、ちょっと可哀想な人たちの中に、赤いアロハシャツを着ている男性がいた。


「あれ、この人……」


顔が半分ほど隠れてはいるが、アロハシャツの沖縄の島の柄を見る限り、間違いなく海にいた人だ。

無表情で席に座っていて、視線は窓の外を見ているのか、横に逸れている。

相変わらず印象に残らない顔で、さっきの写真と連続で見ない限り、見落としてしまうだろう。


「海にいた人が、同じ飛行機だったんだ。凄い偶然……」


その男性でまとめられたフォルダなので当たり前なのだけれど、その後も、私たちがクラスメイトの寝顔を撮ったりする写真にも度々写り込んでいた。

一人旅なのかずっと無表情で、相変わらずつまらなさそうにしている。それも、私たちのせいなのかもしれないと思って、写真が表示されているページをスクロールした。

私の手が止まったのは、その次の写真だ。

その写真のことは、よく覚えている。校長先生が「家に帰るまでが修学旅行です」という台詞を本当に口にしたのがおかしくて、旅行からの帰宅時に、友達と通学路の路上で校長先生の真似をしながら撮ったのだ。

そこには、私と友人以外は、写っていないように見える。だけど、それが人工知能で仕分けられた写真である以上、それは考えづらい。つまり、この写真のどこかにおじさんっぽい人がいるはずなのだ。

私は、パソコンのズーム機能を使って、左上からゆっくりとスクロールしはじめた。写っていても嬉しいわけではないが、人工知能が何をおじさんだと判別したのか、興味があったのだ。

ぼやけたポスター? 空の雲? ゆっくりと探したが、それらしい人は見当たらない。やっぱり、何かの誤認識なのだろうか。ついに諦めかけたときに、ガラスの中に人の姿があるのを見つけた。


「え……嘘……」


それは、コンビニのガラスの向こう側。緑色のガラスに遮られた男性は、赤色かどうかはわからないけれど、アロハシャツを着ていた。よく注意して見ないとわからないが、前の写真の特徴的な模様と照らし合わせれば、紛れもなく同一人物だ。

あの赤いアロハシャツが印象に残っていなければ、いや、意識をしていたとしても、人間の選別では気づかないと思う。それくらい、目立たない写真だった。人工知能じゃなければ、拾えなかっただろう。表情はよくわからないが、私たちの方をじっと見ているような気もする。


おじさんの写真は、それが最後だった……修学旅行の中では。


人工知能が仕分けた「似たようなおじさんがたくさん写っているフォルダ」のはずが、違う意味を持つようになってしまった。沖縄から始まった写真の、次のシーンは三年生の時の文化祭だった。

校庭で焼きそばのヘラを持つ私のはるか後ろに、それらしい男性が写っている。遠景に溶け込んでいて、ボヤけた写真の中では確信は持てなかったが、「あの」おじさんだと言われれば、そんな気もする。確信が持てないまま、次に進む。

その次の写真は、母親の実家に向かう新幹線の中の写真で、妹が私を撮ったものだ。この写真に写っていたのは、明らかに別人物だったので、思わずホッとする。


気がつけば、喉がカラカラになっていた。私は冷蔵庫からグレープフルーツジュースを取り出して、一息に飲む。コップを流しに置いて、今の気分と酸味の強い飲み物の相性は最悪だったと思った。


深呼吸をして、頭を冷静にしようと思った。修学旅行の写真はともかくとして、文化祭の写真は別人物の可能性も十分ある。そうだ、10年以上も前の写真で変な人が写っていたとしても、それは過去の事なのだ。気にしない方が、いいに決まっている。

後数枚だけ確認したら、あのフォルダは削除非表示にしてしまおう。人物のフォルダを消しても、写真データが消えることはない。

フォルダ内をスクロールして、次の写真が表示される。


「ひっ」


私は小さく悲鳴をあげてしまった。

その写真は、私の19歳の誕生日のものだ。私の家では、私か妹の誕生日に、いつも近所にある小さなイタリア料理のお店で食事をしていた。だから、この写真は父親が撮影したのだろう。私を中心に、母親と妹の三人が並んで写っている後ろに、「あの」おじさんが写っていた。今度は、見間違えようがないくらい、鮮明な写真だった。

恐ろしいのは、おじさんがスーツにネクタイと、正装の様な格好をしているのだ。おじさんの正面に人はいない。皿も一人前だ。つまり、一人で正装をして食事に来ているのだ。

まるで、誰かを祝うような格好で……私の誕生日に!?


「なに……なんなのよ……」


私は泣きそうになりながら、画像を消してノートパソコンを閉じた。

私の高校、私の誕生日、私の家族。

沖縄からついてきた男は、どこまで私のことを知っているのだろう。

私は頭を抱え、しばらくテーブルの上のコースターを見つめた。考えがまとまらないのが、自分でもわかる。そうだ、この時一緒に写っていた妹に相談してみよう。

意を決してノートパソコンを開き、パソコンの画面を写真に撮ると、妹にメッセージを送る。


「この人、知ってる?」


スタンプまみれの私達の会話の中で、異様にテンションが低い一言。

すぐに既読がつかないのを確認して、スマホから目を離す。私は、どんな返信を期待しているのだろう。

イタリア料理屋さんでは、父は数枚の写真を残していた。そのうち、おじさんが写っていたのは数枚。こちらを見ないで食事を続けているように見える。事情を知らなければ、私の誕生日に騒いでいる私たち家族に怒っているようにも見えるだろう。


妹からメッセージの返信がないので、もう一度パソコンに向き合う。返事はないものの、妹に問いかけをしたことで、少し勇気が湧いた。

画面をスクロールし、次の写真に備える。

意外といっていいのか、続く数枚の写真は他人が写っているものだった。その間、年月は順調に過ぎていく。

表示されている画像ファイルと画像ファイルの隙間には、数週間から数ヶ月の時間が挟まっている。一刻も早く、時間を送りたくて、私は矢印アイコンをクリックし続ける。


大学に入り、アウトドアイベントサークルに入ると、一気に写真の間隔が狭くなる。入学祝いに買ってもらったデジカメが活躍しはじめたころだ。

ビーチ、ハイキング、スノボ、そして数え切れないほどの飲み会。サークルの面々の底抜けに明るい顔に混じって、おじさんはずっと遠景に紛れ続けていた。人が注意しないギリギリの距離に、ずっと無表情でたたずんでいる。大抵は手ぶらで、時々携帯を持っているが、カメラなどを持っている様子はない。

私は、おじさんがカメラ目線の写真が一枚もないことに気がついた。通りすがりの人でも、偶然カメラ目線になってしまうことは多々ある。私でも、街中で誰かがカメラを持っていたら、一瞬はカメラの方を見てしまうだろう。

おじさんは、それがない。

考えたくもなかったが、それはつまり、おじさんがずっと私たち……いや、私を注視していたということだろう。私や友達がカメラを持ったら、視線を逸らすということをしないと、説明がつかない。


「もうやだ……なんなの」


髪をさわりながら、爪を噛んでしまう。ずっと前にやめたはずの癖なのに、ストレスを感じると繰り返してしまう。


私が一番気になっているのは、このおじさん……いや、このストーカーが、今も私につきまとっているかということだ。

その答えは、恐らくこのクラウドサービスの最後の写真にある。

勇気が出ないで悩んでいる間に、スマホが振動する。ビクッとして、思わず身じろぐ。画面には、妹からのメッセージが届いたという通知があった。

不意のバイブ音は、どうしてこんなに大きく感じるのだろう。結果を見るのが怖い気持ちはあったが、少しでも人との繋がりが欲しくて、スマホを手に取る。


「全然知らないよー新しい彼氏? 笑」


妹は、私が元カレと別れたことを知らない。のん気なコメントに、少しホッとする。私は妹に、このストーカーのことを相談しようか少し悩んで、スマホを置いた。

気持ちが落ち着いたので、一気に最後の写真を見てしまおうと思ったのだ。

最後にストーカーが写っている写真が昔のものだったら、例えば私に彼氏ができたことを知って諦めたとか、そんな説明がつく。そうあってほしい……というより、それ以外は無理。そう思って、PCの画面をにらみつける。

マウスのホイールを勢いよく回転させて、私は一気にフォルダを駆け抜ける。様々な思い出達が、駆け足で飛ばされていき、ついに「ストーカーフォルダ」の最後の写真に到達した。

それは、二年前の写真だった。元カレが撮ったもので、私が元カレとの付き合った記念日を祝うためにレストランを予約したものだった。ストーカーは、斜め後ろで一人で食事をしている。

この時のことは、まだよく覚えている。確か、この写真の数枚前に……

やっぱりあった。元カレが、私の頬にキスをしながら撮った写真だ。別れた今となっては、複雑な感情を覚える写真だが、私が注視したのは、もちろんストーカーの方だ。彼氏の顔で半分見切れ、おでこから上は隠れているが、確かに私達を見ているのがわかる。

それは、いつもさり気なく視線を外していたストーカーにしては珍しい写真だった。珍しく表情を隠さず驚きの形相を見せている。一般客の中でも、むしろ目立つ写真と言えるだろう。

私はあることに気づいて、もう一度最後の写真に戻った。それはディナーのメインディッシュの前あたりに撮った写真だが、私の記憶が正しければ、この後私たちはデザートの写真を撮っている。

一旦ストーカーフォルダから移動し、全体のフォルダに画面を変える。二年ほど前のあたりに行くと、やはりレストランの写真には続きがあった。

花火を添えた、フルーツたっぷりのケーキ。それを持った私の、嬉しそうな顔。その後ろの席は、空になっていた。


「席を、立った……?」


その次の写真も、次の次も、ストーカーがいた席は空いたままで、時間が進むほどテーブルの上が片付けられていくのがわかる。


「もしかして、怒って……私を諦めたの?」


人前でキスなんてしたことがなかった私は、レストランで彼がキスをした瞬間、とても驚いた反面、思わず幸せを感じてしまったことを覚えている。もちろん、ストーカーにとってもそれは初めて目撃する出来事になる。信じられないものを見たような、あの表情。私という人間に愛想をつかしたとしても、不思議ではない。

それから二年間、全ての写真を探したが、ストーカーは私の全てのフォルダに現れていない。


「やった……。よかったぁ……」


ほっとして、思わず涙が出てくる。一言も話したことのない、謎のストーカーの追跡は、私の知らないところで始まり、私の知らないところで終わっていたのだ。気づかなければよかったとも思ったが、こうして終わっていれば、まずは一安心だ。

私は、少し考えてストーカーフォルダを非表示にする。画像データ自体は残るが、これであの顔がトップ画面に出てくることもなくなる。


「大丈夫……うん、大丈夫……」


心を落ち着かせて、台所で水を飲む。気がつけば、部屋は冷え切っていた。エアコンのスイッチを入れて、セーターを羽織り、膝掛けを持ってもう一度パソコンに向かった。目をつむり、嫌なことを考えないように気持ちを集中しようとしたが、上手くできなかった。


「あのケーキ、美味しかったな……」


さっきのレストランの写真を思い出して、そうつぶやく。悔しいが、あの時の私は、今の私より幸せだったのは間違いない。


部屋が寒かったからかもしれない。私は、元カレのフォルダを開いて、その色とりどりのサムネイルを眺めた。その語源の「親指の爪」が示すように、海や食べ物やイルミネーションがちりばめられた画面は、デコレーションをたっぷり盛ったマニキュアを見ているようだった。


「……」


無言で髪をいじりながら、未練たらしく元カレの画像を見ていると、時間はあっという間に過ぎていく。適当なところで切り上げなければと、わかっていながら、なかなか画面から離れられなかった。

だけど、私の中でそれは必要な儀式だった。思い出の写真を開くのをためらうようになるなんて、絶対に嫌だったのだ。


プールに二人で行った写真を見たところで、PCの時計が夜になっていたことに気づいた。


「そろそろ、何か食べないと……」


これで最後、と思いながら、もう一枚だけ画像を表示する。それは、プールでとった最後の写真だった。水着で飲み物を持つ私と友人、そしてその彼氏。それを私の元カレが撮った写真だ。

目を細めてノスタルジーに浸った後、私はおかしなことに気が付いた。この写真は、「元カレフォルダ」の中にあるものだ。だが、写真を撮ったのは元カレだったのを、はっきり覚えている。ということは、この写真のどこかには、「元カレっぽい人」が写っているはずだ。

私は、無意識に写真を見直す。人込みでごった返すプールには、元カレと誤検出されるような人物が写っていても、不思議ではない。


「あ、この人かな……」


誰かの放り投げたビーチボールの陰で顔はよく見えないが、髪型が元カレにそっくりな人物が、そこにはいた。体格も同じような人物で、一枚前に写っている元カレ本人と比較しても、あまり見分けがつかないほどだ。この人物なら、元カレと間違えてもしょうがないと思う。

つくづく、人工知能の顔認証には驚かされる。

謎が解けたところで、PCを落とそうとしたが、はたと手が止まる。その男の画像をズームして、気が付いてしまったのだ。

その、赤いアロハシャツに。

プール内で赤いアロハシャツを着ている男の人は、他にもいる。だけど、沖縄の島の形をプリントしたその柄は間違いなく、あの沖縄の店のものだ。

私は慌てて、プールの写真をもう一度見直した。

いる、いる、いる。

鍛えたのだろうか。体型が変わって、別人のようだが、あのストーカーと同じような位置で、写っている。一枚だけ顔がぼんやりと写った写真があったが、眼鏡をしておらず、手で影を作っているために顔がよくわからない。もしかしたら、整形をしているのかもしれないと、思った。


「偶然……た、たまたま……同じシャツを着ているだけかも」


そう思いながら、もう一度男の画像を見直したとき、男が手に持っている食べ物と飲み物の両方とも、私が頼んだものと同じだったことに気づいてしまった。


「嫌……いやぁ……」


髪の毛を掴んで下を向くと、涙がボロボロ出てきて、テーブルに落ちる。

まだ、続いている……。そして今度は、あの男がどんな顔か、わからない。


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