ロボタン

中秋

第1話

 ここは森の奥の廃工場、目の前にいるのは動くたび不穏な音のするロボット。もう長いこと整備らしい整備をしていないせいで油と錆びだらけになった体を揺らし、今も細やかな作業をしている。ドラム缶の上に半球を置いたようなデザインで、ドラム缶の側面に付けられているアームと、半球から突き出した黒のレンズがその無骨さを際立てている。胴体の下には小さなキャタピラがついており、いつもゴムが擦れているような高い音を上げながら工場内を徘徊している。

 彼以外の作業員を全く見ないからと、初めて顔を合わせた日から数えて十日目に従業員について問いかけた事があったが、返ってきたのはこの工場は何年もずっと前に潰れているという簡潔な回答だった。その日から「どうして君はここで今も働いているの」と度々ロボットに一つの質問を投げる。すると、決まってロボットは「そう命令されましたから」と返すのだ。このように彼は自分に決定権はない、というような態度と言動をすることがある。僕はそんな彼を見る度、少しだけ安心する。自分はまだ彼よりかは幸せなのだと思うと落ち着きを持てた。それはまるで泥のように僕を包み込み、下へ下へと沈ませ溺れさせる。いけないことだと頭でわかっていながらも、気を抜けば中毒のようにそれを求めてしまう。思い返してみれば、昔からそのような片鱗はあったのだから、今更修正などは不可能だろう。修正も矯正もする気は毛頭ないが。

「君はかわいそうだね、こんな汚い場所に長いこと缶詰にされて。僕だったらすぐ嫌気がさして逃げ出してしまうよ。」

 ここに居ることは彼の意思に関係ない。ロボットは次の命令が来るまでその作業をするように命令されただけで、今もその体が壊れていないから、こうして誰にも磨かれず茶色になりながら作業をしているのだ。つい口の片端が上がってしまった。

「ああ、でも君はロボットだったっけ。ロボットに心なんてないのかな。嫌になる前に感情すらないのに、ごめんね。」

 一つしかない彼の目の役割を果たしている黒の凸レンズが僕を見つめる。僕の歪んだ顔が反射した。僕の為に早く肯定の意を返して欲しい。知らずの内に顎に力が入り、歯ぎしりのような音が小さく鳴った。 

「そう、ですね。」

 彼の機械音声にしてはリアルなそれが鼓膜を揺らす。その内容を噛みしめると、五臓六腑に染み渡るような悦びが溢れ出た。顔がにやけてしまいそうだ。誤魔化すように彼の体を手で撫でると、彼は黒いレンズを僕に向け、そんな僕のことをただ静かに見つめた。

「汚いですよ。」

 触ると手が汚れてしまうことを伝えたいのだと解釈する。潰れた工場で一生懸命働いて、誰にも賞賛はされない寂しい余生、その象徴である茶色い体。

「大丈夫、そんなところも好きだから。」

 惨めなところしか好きじゃないくせに、よく言うよ。口をついて出た言葉に自分のものながら呆れてしまった。

   *

 彼の不自由を笑うネタを探すため、僕はよく外で散歩をする。街角にいる野良猫達を見に行ったら子供が生まれていただとか、田舎へ行ってみたら空気がおいしかっただとか。ありふれていて、くだらなかったら、とにかくなんでもよかった。彼が体験したこともすることもない事なのなら、なんでも。

 「明日から業者がやってきて周辺の発電機器とついでに私の体を点検してくれるらしいので、二日間ここへは来ないでください」と突然言われ、空いた数日間やっていたことも散歩だった。一日のほとんどを散歩で費やしている身としては他にやることがなかった為にそうなってしまった。

 ロボット君にかの事を言われた日の夜、寝る直前に日課である廃工場の訪問もないし、泊りがけで海へ行ってもいいかもしれないと考えた。そういえば以前、海から上がる太陽がとてもきれいだったと思い出せもしない誰かから自慢されたことを思い出した。手持ちの旅行カバンに着替えと寝袋、少しの日用品だけを詰め、三時間程寝て、寝ぼけ頭で身支度をし、家を飛び出た。

 外は暗い。この時間帯だからか外に出ているような人間は僕以外いないようだ。調子に乗って走り出す。冷たい風が喉につきささり、鉄の味がするようだった。人間は皆今の時間寝ている。誰も何も考えていない。いつも馬鹿にされてばかりの僕も、一心不乱になって走っている僕も、今この時間だけは誰にも馬鹿にされていない。それだけで気分がよかった。

 山道、トンネル、草っ原、一本橋にデコボコ砂利道。ほぼ初めて通る道だったからか、予定より二十分オーバーして目的地へ辿り着いた。日の出まであと四十分ぐらいだろう。暇だったので砂浜を歩き回ることにした。靴と靴下を脱ぎ、カバンも籠に入ったまま、砂浜に一歩踏み出す。個人的に砂浜の感触は好きではない。指の間に砂が挟まり、不愉快だ。

「お兄さん、そこの話のわかるお兄さん。」

 下方から声が聞こえた。視線を下に向けると、そこには大きな貝が一つ転がっていた。

「なあに。」

「私の事を、思いっきり海へ投げてはくれませんか。」

「いいけど、その前に君が浜辺に転がっている理由を聞かせてよ。」

しゃがみこみ貝に顔を近づけると、貝はびくりと震えた。

 沈黙が数秒ほど続いた後、貝は切々と話をし始めた。

「よくある家庭内不和で家族の事が嫌になって、逃げるように家出をしてきました。長い時間をかけやっとのことこの砂浜まで辿り着き、気の向くまま、朝日が昇ってきたらじっくり日にあたって、干からびて死んでしまおうと思っていました。でも、浜辺で水面越しじゃない本物の月を見ていたら、駄目な家族でも恋しくなってきて、……ああぁあ、嫌です、死にたくありません。でも自分の力じゃ、海へも戻ることもできない。私には月から授かった家族を愛するという使命があるのです。こんな所で干からびたくない。後生です、後生ですから、どうか御慈悲を。」

 悲痛そうに泣く貝が可哀そうだったが、同時に腹立たしく思えた。

「その恋しいって感情はまやかしだ。虚偽だ。思い込みだ。月を眺めただとか、それ如きで考えが変わってたまるか。」

 貝は僕の言葉を受け、涙声で反論をがなりたてた。その声が鬱陶しくなり、つかみ上げて約束通りに海へ放り込んでやった。水しぶきをあげ着水、海の底へ沈む貝を見送る。寄せては返す波の音が静かな浜辺ではよく聞こえた。

 その後、暫くしてからようやく上がってきた朝日に対して僕は無感動を貫き通した。萎えた気持ちは冒険心にも伝染し、一時間かけて来たというのに日の出を見ただけで僕は家に帰ることを決めた。その後のことはあまり覚えていないが、気付いたら家のベッドで寝ていたから帰巣本能でも働いたのだと思う。

   *

 それから残された時間、海で感じさせられた不快感を拭うために色々な場所をうろつきまわった。しかしどこにいっても上の空でどうすることもできない。なんとなく、ロボット君に会いような気持ちが膨れ上がる。彼のメンテナンス終了日の朝、いてもたってもいられず家を飛び出した。

「こんにちはロボットくん。今日はキレイな秋晴れだね、イワシ雲が浮いてたよ。」

 今日の晩御飯は煮付けがいいなと思いつきで付け足す。帰りは魚屋にでも寄ろうか。誰が見ても素敵な笑顔でそう付け足した。

「イワシ雲、ですか。この間まで暑いと思ってましたが、すっかり秋ですねえ。」

 彼に風情を感じる心はないはずだ。彼の中にインプットされている情報がイワシ雲と秋を結びつけたのだろう。不意に「不気味の谷現象」が頭をよぎる。人はロボットの動作や外観が人間に近付いていくに従って好感的になっていく。だが、ある程度まで人間と似かよると、突然激しい嫌悪感に変わる。そして、人間と見分けがつかないところまでいくと、また好感的になり、親近感を持つようになる。という考えの事だ。

 僕が彼をロボットだと判断する理由は外観にある。彼の体に生物的特徴は全く見られない。人工的な素材のみの外見だ。しかし内面はどうだろうか。人工知能だとは言え、その言動は人間と比べ何ら遜色は見受けられない。ロボット如きが風情など、と笑ったが、もし中身はロボット如きじゃなかったら。笑みを浮かべた口元が引きつる。

 実の所、ロボットだということを疑っている自分がいる。彼に本当は心があるのではないか。僕の見下しは受け取られていないのではなく、許容され受け止められていたのではないか。彼の中身がなまじ人間らしすぎるだけに、ロボットっぽさが際立ち、不気味の谷のように、薄気味悪く感じてしまうだけではないのか。

「どうなされましたか。」

 しかし、何があろうと彼が心の無いロボットであることに変わりはない。きっと、技術の進歩で彼等の演技が上手くなっただけだろう。きっと自分は考えすぎなのだ。そういえば最近は肌寒くなってきた。鳥肌がたった肌を隠すため、捲り上げていたワイシャツの袖を戻す。

「何でもないよ。」

 目を逸らしそれまでの思考を打ち消した。彼がきょとんとしている間に適当なイスに座ると、彼は慌てたようにキャタピラを鳴らし用務室へとお茶汲みに行った。いつも通りお気遣いなくとその後姿に声をかけるが、いつも通り無視される。

 「おまたせしました」と言いながら帰ってきた彼が運んできたのは、やはりお茶の乗ったおぼんだった。この後は僕の憂さ晴らしタイムだ。ここに来なかった二日間を埋めるように話し続けた。

「海で家出してきた子に会ったよ。でも月を見ていたら家族が恋しくなったらしくて、結局家に帰っちゃった。」

 目を細めながら、手で笑みを浮かべた口元を隠す。

「変だよね、きっと家を出たときは今生の別れでもいいって覚悟してたはずなのに。」

 一息つくためにもう片手で口元へお茶を運んだ。温いお茶が胃にしみる。

「家族、ですか。」

「どうかしたの?」

「あっ、いえいえ。先日のメンテナンス時にアップデートしてもらった情報の中に、この地域でよく話されているらしい童話が入っていたんです。その童話、数年前に起こった実話を元にしてるらしいんですがそれも子供が家を出るって内容だったものですから。」

 そういってロボット君は僕のお茶へと視線を落とした。そんな人間臭い真似をする彼の様子から言って、どうやら楽しい話ではないようだ。僕は童話というものをあまり聞いたことがない。童話や絵本を卒業するような歳を通り越した今でも、憧れは少なからずある。

「ねえ、もしよかったらその童話聞かせてくれないかい。」

 だから、この地域に伝わるというその童話に興味を持たない筈が無かった。

「いいですよ。えっと、あるところに……

   *

 あるところに男の子がいました。男の子は王様の四番目の子供で、城の人たちに可愛がられながら、友達のスズメと一緒に毎日を過ごしていました。

 男の子は素直でいい子でしたけれども、男の子には困ったところがありました。男の子は知った事を他人に話してしまう癖があったのです。

 ぴーちくぱーちく。

「お兄様、昨日の夜食堂でつまみ食いをしたでしょう」

 ぴーちくぱーちく。

「お姉様、お慕いなされている隣の国の王子と仲良くなれるといいですね」

 ぴーちくぱーちく。

「メイドさん、仕事もせずしたお喋りは楽しかったですか」

 スズメの声と共に紡がれる男の子の言葉は段々と気味悪がられるようになりました。でも、男の子はスズメさえいれば、嫌われていようがそれで十分だったのでした。

「お父様」

 今度の標的は父である王様です。

 ぴーちくぱーちく。

「どうしてメイドの腹にいる僕の弟妹を皆に紹介しないのですか」

 王様は急に目の前の男の子が恐ろしくなりました。

「お前の顔なんて、もう見たくも無い!」

 そのまま男の子を王様の部屋から追い出してしまいました。そして、男の子が王様に嫌われた話は城中瞬く間に広がりました。

 男の子は悲しみました。もう城中の誰も男の子に構ってくれないからです。

 男の子は悲しみました。よく話を聞かせてくれたスズメも、兄達に殺されてしまったからです。

 悲しみに暮れた男の子は、城を出ていってしまいました。

   *

 ……。資料によると、この男の子のモデルとなった子はスズメと意思の疎通をしていたという噂があったそうです。」

 寒くも無いのに体が震えた。全身の毛が逆立つようだった。気を紛らわせるためお茶を飲もうとしたが、温かかったお茶は既に器の中から飛び出して、僕のズボンに吸い込まれていた。

「教訓といたしましては、真実だとしてもいっていい事と駄目なことがある、自分の状況や立ち居地を知ることは大事、といったところでしょうか。周囲の自分に向ける感情にこの男の子が関心を向けていれば、と思わずにはいられません。」

 イスを倒しながらも立ち上がる。心臓は早鐘を打ち、全身が急速に冷えていく。めまいが僕を襲った。

「どうしましたか。」

 頭の中でサイレンが鳴り響いている。僕の事を心配するロボット君の頭を是非とも叩き割ってやりたい。呼吸も浅くなり、汗が額からにじみ出てきた。王様、スズメの友達、家出。全ての単語に覚えがありすぎた。

「その男の子のモデルは、多分、」

 言い切る前に目の前が真っ暗になった。

   *

 小さく真っ赤な死体が、僕のベットに横たわっていた。僕の友達だったそれの胴体は無茶苦茶に切り裂かれ、その中には赤紫やピンクや黄色が見える。いれ混ざっているということは、どうやら一度刺して殺した後、さらに刃物で引っ掻き回したらしい。足もあちこちに折れ曲がっているし、よくわからない臓器の一欠片が体外に飛び出ている。スズメは随分乱暴に扱われたようだ。スズメの周りには茶と黒の羽が散り散りになっていて、惨たらしさを際立てている。血は花弁、羽は葉、まるで花のようだと思った。

 一歩足を踏み出すと、足の下から変な音が聞こえた。何か軽いものを潰してしまったような感触に驚いて足を持ち上げそこを見ると、スズメの頭が転がっていた。首の断面からは踏み潰した衝撃で中身がはみ出している。シーツで隠れていると思っていた頭はねじ切ってあったらしい。実行犯は趣味が悪いようだ。

 誰がやったのか、とは考えない。誰がやっても不思議ではない。昔僕を可愛がってくれた人たちがこれをやったと判明したって、今の僕は何ら驚きはしないだろう。死体を見た瞬間に、僕から信頼なんて言葉は消え失せた。

 きっとスズメは即死だったのだろう、最初の一突きでやられてたに違いない。空気に触れて固まった血溜まりを撫でると、カサカサした感触が指から伝わった。

 窓を小さくつつくような音が聞こえてゆっくりとベット上から視線を外す。窓に近寄り、その戸を少しだけ開けた。見覚えのある小鳥だった。

「『末の王子様ったら勘当寸前だって。』

『えー、末の王子が相当バカだったってこと?』

『バカだったかは知らないけど、なにかやらかしたには違いないわ。』

『しかも、それでいてまだ城内にとどまってるのでしょ?厚顔無恥もいいとこじゃない。』

『アハハハハ』『ウフフフフ』

『恥知らず!恥知らず!』

『キャハハハハハハ』」

「もういい。聞きたくない。」

 ぐしゃりと顔をしかめて街中で交わされた会話の真似を切り上げさせた。

「仕返しをしてきてあげようか。」

「いらない。」

「君の事悪く言う奴等全員の目をつついてきてあげようか。」

「いらないっていってるだろッ!」

 大きな声をあげた直後、やってしまったと思った。黙ってしまった目の前の彼女も友達だったのに。怖がらせてしまった。申し訳ない気持ちが胸に広がる。

「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、僕が悪かった、ごめん、」

 謝罪の言葉を連ねていると、急に口の中がしょっぱくなった。瞼を閉じると、先程の赤より暗い赤が映る。歯を食いしばると鉄の味が広がった。

「ごめんなさい。ごめんなさい。今日はもう無理だ。だから、帰って。」

 彼女は僕を心配そうに見つめると、そのまま窓縁から飛び去った。小さな茶色の後姿を見送ると、そっと窓を閉じる。

 部屋には鉄のにおいが充満していた。

   *

「ねえロボット君。」

 どうやら気絶をしてしまっていたようだ。窓を見て太陽のある方向を確認すると、まだ午前中だということがわかった。

「お目覚めになられたのですね。貴方様が生きているのはバイタルサインからわかっていたのですが、もしもこのまま目覚めぬままだったら、本当にどうしようかと。」

 とても心配をかけてしまったらしい。昔の名残で置いてある古いソファーから起き上がる。ロボット君が差し出してきたお茶を受け取って、少しだけ口に含み飲み込んだ。

「さっき家出をしてきた子の話しただろう。あの時、僕はその子に随分と酷いことを言ってしまった。月を見たぐらいで考えが変わってたまるか、って。

 僕は訂正しなくちゃいけない。月でも鳥でも雪でも花でも、人の考えを変えることはできるんだ。」

 黒のレンズが僕を見ていた。心はなんだか落ち着いていた。

「僕は花が嫌いだ、特に赤い花が。見ていると胸がぐちゃぐちゃになる。僕は月じゃなくて、花に考えを変えられたから。……前は、最低の人間じゃなくて、ただのいい子だった。人の喜びが自分の喜びだった。自分の知ってる事を共有できたら、その人の為になると思ってて、ただ、愚直だったんだ。」

 呆けながらお茶の水面を眺める。手持ち無沙汰に陶器の器を撫でる。顔を上げて彼を目に入れることが怖かった。

「最低だとしても、私は貴方が好きです。」

 突拍子もないような、ロボットらしからぬ告白に驚きを隠せず、情けない声をあげながら目を見開いた。

「この工場がまた潰れていなかった頃、誰も私に話しかけようとはしませんでした。普通はロボット相手に話をしたってつまらないでしょう。でも、貴方がここに来て会話をするようになってから、今日はいつ来るか、どんな話をしてくれるのか、そればかり考えるようになりました。貴方が来ない日は落ち込み、次に貴方が来たのならば浮かれ、ロボットのくせに感情という崇高なものを得ました。世界は素敵、それでいて美しい。感情を知って、ようやくそれに気付きました。そして私にその感情をくれたのは貴方です。貴方は私の先生なのです。好きにならないわけないでしょう。」

 雷が脳天に突き刺さってしまったかのような衝撃だった。彼にも心があったのだ。しかも彼は僕に心酔しているらしい。酔っているなら目を覚まさせてやるのが道理だ。僕の本質を彼が知ったら、きっと彼は僕を嫌悪して、酔いも覚ますだろう。手中のお茶を全て飲み干し、テーブルの上に勢いよく置いた。

「聞いてくれよ。僕は君を心の中で貶めてよがっていたんだ。君を使って最低な行為をしたんだ。見苦しいだろ、情けないだろ。君が持ち上げる価値も無い人間が僕なんだ。だから、」

 ずいっと目の前に青紫が突き出されたことに驚いて言葉を止めた。僕が言葉を続けるより先にロボット君が喋った。

「そんな所も好きですよ。」

 青紫を掴むと、見える位置まで目から離した。

「花。」

 ラッパのような形で咲いている青紫色の花がそれの正体だった。

「先日のメンテナンス時に業者さんが管理者を変更してくれました。前に下されていたオーダーもその時解除されて外にも出れるようになったので周辺を散策いたしていましたら、可愛らしい花を見かけ、貴方に見せたいと思ったのです。それで今朝摘んできたのがこの花なんですが、リンドウというらしいです。」

 僕はこのリンドウに見入っていた。昔見た赤い花と全く違う。花弁は青紫、葉は瑞々しい真緑、散っていない葉、何よりも、「美しい。」思わず口に出て驚いた。花を美しいと表現するのは何年ぶりだっただろうか。いきなり鼻の奥がツンとしたような気がして、耐えるために強くリンドウの茎を握り締めた。しかし、溢れ出た情動は止まらない。

「君は本当に、バカだ。」

 蚊の鳴くような声でつぶやいた。彼は微かに反応したが、聞かなかったことにしたらしい。今の僕の状態ではそれがとてもありがたかった。リンドウを握り締めながら嗚咽を漏らす僕の体をロボット君がそっと触れた。しゃがみこんでロボット君を抱きしめる、「汚いですよ」と彼は言うが気にしてなんかいない。鳥肌も立ってなんてなかった。

 あやすように一定のリズムで背中を優しく叩く振動に誘われ、泣き疲れた僕は次第に眠りに落ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ロボタン 中秋 @naka868aki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ