そろそろお茶にいたしませんか?
瑞光 琢磨
第1話
「若旦那様、そろそろお茶にいたしませんか?」
それが彼女の口癖だった。彼女の名はレイチェル。うちの屋敷で雇っているメイドの中で私専属のメイドである。
何かと理由をつけては「そろそろお茶にいたしませんか?」といって、嬉々として私に紅茶を煎れてくれる。おもえばこれも彼女なりの愛情表現だったのであろう。
「あれ?今日のはちょっと違うな…」
彼女が煎れてくれた紅茶を一口飲んでそう思った。昨日飲んだのよりも香りが芳醇だ。鼻孔をくすぐるような甘さがある。
「若旦那様、お気づきになられましたか。つい先日ティークリッパーで到着したばかりの新しい茶葉でございます♪」
気づいてくれたのがよほど嬉しいのか、満面の笑顔を私に返す。
六月の心地よい風が庭に面したテラスを通り抜けてゆく。
彼女は私を慕ってくれていた。そして私も彼女を愛していた。だが…
利発な彼女はわかっていた。いくら愛し合っていようとも、この時代のイギリスにおいては主人とメイドとが結ばれるなどあり得ないということを。「私は若旦那様のお側に仕えさせていただくだけで十分なのです。この静かな時の流れの中に身をゆだねることができるだけで満足なのです。」と、何時だったか云っていた。
だが、私はあえてその因習を打ち破るべく努力していた。力が欲しい。心底そう願っていた。名誉や社会的地位などのためではなく、純粋に一人の女性を護ってやりたいと思う気持ちから。
私にとって、彼女と一緒になることに比べれば、ダウニング街10番地に住むことなど、取るに足りないことだった。笑いたければ笑うがいい。たかがメイド一人のために何故そこまでする必要があるのかと。確かに単なる打算だけに生きているのであればその通りだ。しかし、こればかりは理屈ではない。辛いとき、悲しいとき、もちろん嬉しいときも、彼女に側にいて欲しい。彼女は私を一人の人間として愛してくれた。私も彼女を一人の人間として愛した。お互い一人の人間として同じ立場で愛し合いたい。ただそれだけなのだ…
ある日、レイチェルは忽然と屋敷から姿を消した。私はすぐに感づいた。父母とハウスキーパーの仕業であると。レイチェルは暇を出されたのだった。私に暇乞いをする時間さえ与えられずに。
追い出されたも同然に暇を出されたにもかかわらず、私は彼女の後を追うことすら許されなかった。私はこの日ほど力が欲しいと思ったことはなかった…
数年後、父が死んで領地、屋敷を相続し、押しも押されもしない当主となった私はやっとの思いで心底望んでいた力を手に入れた。
こうして力を手に入れた私は、真っ先にレイチェルの行方を捜した。私立探偵はおろか、コネを利用してスコットランドヤードの力を借りてまで…
しばらくして、地方の農村にそれらしい女性が居るという情報を手に入れた。私はいても立ってもいられず、馬車と鉄道とを乗り継ぎ、その農村へとたどり着いた。
しかし、その農村で私が見つけたのは…
─── レイチェルの小さな墓標 ───
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