第1話

その男から小さな鉛玉が放たれたとき、奇妙な音が辺りに響いた。おそらく誰も聞いたことのないような音。大きく鋭く耳障り、それでいてどこかかなしい、生き物の鳴き声のような音だった。

ついさっきまで辺りを響かせていた悲鳴はまるで嘘のように、儚く散っていき、月光の照らすその青い床は赤潮のように紅く、その領域を広げていった。

男は人を殺めると同時に感情をも殺めていた。

「依頼とは言えども・・・・・・やっぱり人殺しは性に合わないな。」

その男、アシェル・パトリツィオはそう呟いたと同時に携帯を取り出し依頼者へ連絡をした。

「アシェルだ。依頼は完了した。」

「おお、そうか。よくやった。報酬金は用意してある。南地区の夢島港コンテナまで来てくれ。」

「了解。」

そんな簡素なやり取りを終えた後、アシェルは愛車に乗って依頼人が指定した場所まで向かった。

アシェルが愛車で指定場所まで夢島を駆け巡る中、今夜もラジオからは物騒なニュースだけが車内を駆け巡っていた。毎日のようにどこかで誰かが殺され、車外では連日のように銃撃戦がどこかで起こっている。夜空は薄暗く、気味の悪い雲が延々と立ち込めており、星空など一つも見えない物であった。

日本の首都東京とその隣横浜をまたがる巨大埋め立て地、特に移民特区「赤線」として認定された夢島区を中心とする五つの区では急激な移民の流入により治安が悪化。昔は日本の経済成長の最後の矢とされた経済特区も今となっては組織犯罪の蔓延る無法地帯と化していた。

特に夢島区の南に位置する港、「夢島港」では麻薬の密売が横行していた。アシェルがついた時にも他三組ほどが密かに麻薬の取引を行っていた。ここ夢島港では度々麻薬の占有権をめぐる銃撃戦が行われていた。

アシェルが夢島港に入ると依頼人はコンテナの後ろでスーツケースを持って密かに待っていた。

「やあ、遅れてすまない。で、報酬金はどこだ?」

「これだ。」

依頼人はそう言うと持っていたスーツケースを差し出した。

「さすが、四大ファミリーというだけはあるな。それも天下の室谷組ともなれば・・・・・・しかしこんなにもらってしまっていいのか? 私のしたことはただ造反者を殺すだけの事に過ぎない話なのだが。」

「構わん。今回の造反は組内でも類を見ない大規模な造反であったからな。それに加えて今回のターゲットは特に厄介な奴だからな。お前の尽力がなければとっくに組の危機に陥ってただろう」

「いやぁそう言ってくれるのはとてもありがたい。また何かあったら呼んでくれ。ではこれで。」

そう言ってアシェルが車に戻ろうとすると依頼人、室谷司はアシェルを引き留めた。

「ちょっと待ってくれ。もう一つ頼みたいことがある。」

「なんだい室谷さん。連続で人殺しは勘弁してくれ。」

「そうかどうかは私にも分からない。どうやら私の知り合いが大変なことになっているそうだ。少し依頼を呑んではくれんかね? 幼い子供の命がかかっているんだ。」

「・・・・・・それは何処だ?」

「とりあえずそいつにはお前さんの事務所にまで案内した。そこまでいったん戻ってくれないか。」

「了解だ。今すぐ行く。」

アシェルはそう言ってすぐさま自身の事務所へと向かった。


アシェルが事務所につくと室谷の言っていた通り、もう一人の依頼人がいた。

依頼人はドアの前でコンパスの針のように突っ立っていて、その表情は非常に緊迫しており、まるでさっき殺されたターゲットと同じに見えるようであった。その男の周辺にはSPと思わしき黒服、黒サングラスの、まるでメン・イン・ブラックのような出で立ちの男が二人いた。

どこかで見たことあるような。そんな予感がアシェルにはあった。彼は依頼人に対してこう聞いた。

「君がもしかして・・・・・・もう一人の依頼人かね?」

そう彼が聞くと、依頼人はすぐさま彼の肩を掴んでこう嘆願した。

「お願いだ・・・・・・!!どうか・・・・・・どうか・・・・・・娘を助けてくれないか・・・・・・!?」

アシェルはその時予感が的中したような感覚がした。彼は恐る恐る依頼人にこう聞く。

「その前にだ。あんたは一体誰なんだ? お前さんの名前を言ってくれないか?」

依頼人はまたすぐさま答えた。

「黒崎だ・・・・・・」

予感は的中していた。アシェルは驚いた表情で依頼者をじっと見つめた。

「黒崎・・・・・・!?まさかあの黒崎グループ会長の黒崎敏郎・・・・・・!?」

「そうだ!その黒崎敏郎だ!」

「それが一体・・・・・・なぜここに・・・・・・!?」

「司からの紹介でやって来ただけに過ぎない!いいから早くワシの依頼を聞いてくれんかね!?」

アシェルはびっくりした表情を隠せぬまま黒崎を事務所内へと案内した。

彼は薄汚いくたびれたソファーに座ってこう聞いた。

「で、依頼の内容は何ですかね?」

その質問を聞いた黒崎はしばしばどもりながらこう話した。

「む・・・・・・娘を助けてほしい・・・・・・私もよく分からないが・・・・・・とある組織に娘が誘拐されて・・・・・・その組織からビデオが送信されて・・・・・・身代金3億円を要求されたのだ・・・・・・」

「それで・・・・・・その三億円を工面しろと? 大財閥の人がそんなことを頼みにくるか?」

「そういう話ではない!私が頼んでいることはもっと別の事だ!」

「それは一体何なんですかね?」

「それは・・・・・・」

黒崎はグッと唾を飲み込んでこう聞いた。

「その組織をすべて皆殺しにしてくれないか・・・・・・?」

アシェルは即答した。

「駄目だ。」

それを聞いた黒崎は机を強くたたいて激昂した。

「何故だ!何故なんだ!幼い子供の命がかかってるんだぞ!報酬はいくらでも出す!それでもやらないのか!?」

「駄目だ。」

「何故だ!?」

「大量殺害は私の専門外だからな。残念ながら人を殺める行為は不得意ではない。」

「じゃあ何故!なぜ司はこんな使えないやつを紹介したんだ!司のやつめ・・・・・・!!!!」

そう黒崎が司への恨みつらみを吐き出すと唐突にアシェルは

「だが、」

と声を発した。そこからアシェルはこう語りだした。

「自分で対応しきれない事件に立ち会った際に他の殺し屋を紹介するのも便利屋の仕事。その依頼に対応できる人間を私は一人だけ知っている。」

その言葉を聞いた途端、黒崎はアシェルの胸ぐらを掴んでこう聞いた。

「それは・・・・・・誰だ・・・・・・!!!!」

「そいつの二つ名は『鉤爪の殺人鬼』。彼は数々の依頼を確実に、そして迅速に、まるで何事もなかったかのようにこなしていく。だが、彼は冷徹で機械のような人間だ。それでもいいか?」

「そいつの名前を・・・・・・早く教えてくれ・・・・・・!!!!」

その黒崎の必死な叫びを聞いて、また話し始める。

「そいつの名前は・・・・・・」

アシェルは長い息を吸ってその人物を明かした。

「カケルだ。」

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