以下の連立方程式の解を求めよ。
阿井上夫
第一話 起
目の覚める感覚に慣れた頃には、アルフレッド・ビスタは灰色がかった天井にある染みを、その数と形と位置まですっかり記憶していた。
しかも、最早そのことに気持ちを動かされることがなくなった自分に気がつき、彼は小さく溜息をつく。
(このままだと、俺は確実に駄目になる)
眠らなくても大丈夫というわけではないものの、「目が覚める」という行為をした覚えは、ここにくるまで全くなかった。
だから、最初のうちは外界の視覚情報がデフォルト表示されることが気持ち悪かったし、ウィンドウがいつになっても展開しないことや、耳を凝らしても目覚まし用のサウンドが聞こえてこないことに、大いに困惑したものである。
それが今では、無条件で入ってくる視覚情報をそのまま受け入れている自分がいる。
しかも、最初の頃は視覚の解像度を上げすぎて、天井に使われている建築資材の高倍率画像に驚かされたりしたものだが、最近は自然に適切な倍率で表示されるようになってきた。
適応能力というのは恐ろしい。
アルフレッドは以前、「天地左右が逆に見える眼鏡をかけたまま一定期間過ごすと、かける前と同じように普通の生活が出来るようになる」という、遥か昔に書かれた研究報告を読んだことがあった。
しかも、逆にその眼鏡を外した直後は、肉眼であるにもかかわらず逆さになっているように感じて、大層困るという。
今の自分が置かれている状況にそれに近いものを感じて、アルフレッドは、
(普通の生活に戻った時に、どれだけ影響が出るか見当もつかない)
と、ぼんやりとした不安を感じるとともに、
(この完璧な
という、意味のない確信を抱いた。何故なら、彼は地獄の存在を信じてはいなかったので、これは単なる修辞の域を出ていない。
アルフレッドは重い気分のまま上体を寝台の上に立てるとと、自分に割り当てられた部屋の扉を見つめた。
それは普通の木製扉で、鍵がかかっていなかった。
別に彼が鍵をかけ忘れたわけではない。最初から鍵がついておらず、誰でも自由に出入りできるようになっている。その「誰でも出入り自由な空間」という点が、アルフレッドの神経を逆撫でしていた。
こんなセキュリティの低い空間にいると、次第に内面の緊張が高まってゆく。無論、急に誰かが襲ってくるわけではないし、襲ってきたとしても彼にとっては大した脅威ではない。それは分かっている。
それでも普通の生活との落差に、神経が磨り減ってくるのだ。
加えて、自分の音楽ライブラリに接続できないのが辛い。お気に入りの曲をいくつか持参出来たものの、量が多いので大半は船のサーバ上に保存されていた。
(船――そういえば、俺の船はちゃんと保管されているのだろうか?)
*
遥か昔の人間は、人件費の安い場所で大量生産するという方法で製造コストを極限まで下げた上で、大量輸送を行っていたという。
輸送コストの分を差し引いても、そのほうが市場で価格的優位を形成できるほど、有効な手段だったらしい。
しかし、それはまだ人類が狭い空間の中に密集して生活していた時代だったからこそ有効だったのであって、人類の居住空間が太陽系の中に拡大し始めた頃には、それが通じなくなっていた。
考えれば簡単に分かることなのだが、虚数空間航法の確立により銀河系内の移動がほぼ一瞬のうちに終わる時代になっても、虚数空間門前後の通常空間移動は必要であり、それにはそれなりのコストがかかる。
汎用品の星間貿易では、その輸送コストを吸収できるほどコストメリットを出すことが難しく、恒星系内、理想的には惑星内で需要と供給が完結しているほうが、遥かに安価だった。
従って星間貿易は、単一恒星系内では供給困難な特殊品か、あるいは輸送コストを加えてもなお競争力を有する高級品、あるいは非合法品に限って行われることになる。
さらに、大量輸送の必要がなくなり小口輸送が中心になると、可能な限り時間のかからない輸送手段が好まれるようになる。そのニーズに合致した「小型高速輸送船による小口輸送」の普及が図られることになった。
また、それにあわせて普及した技術がある。
人間が操縦する船の場合、居住性を確保するための装備やアメニティが必要にある。その費用は決して安くない。さらには、脆弱な人間の身体では過激な高速航行に耐えられないから、それなりの安全設備が必要になる。それも安くない。
そこで、必要設備を極力省いたコンパクトな船体で最大の積載量を確保するために、「HIM」が使われることとなった。
HIMというのは「Human In Machine」の略称で、「先天的な障害を持った者の生存権を確保するため」に生み出された技術である。
荒っぽい言い方をすると「先天的な障害のある子供達を、感覚器の未発達な乳幼児の段階で、機械の身体に収容する」ものだった。
アルフレッドもHIMだが、それについては後述することとして、今は輸送手段の発達に関する説明を継続する。
特殊な物資の小口輸送が中心になると、必然的に個人経営の零細業者が多くなる。運ぶものによって装備が異なるので、規模の大きな企業でそれを全て賄うのは過剰投資になるからだ。
大手物流会社は存在しているが、彼らも元受として必要に応じて契約している零細業者を使いまわしているに過ぎない。そのほうがコストが安くて小回りが利く。
ただ、個人の零細業者は立場が弱い。荷主の意向に逆らうことが出来ないので、昔はかなりあこぎな商取引が横行していた業界だったと聞いている。
そこで他の似たような業種と同様に、小口輸送業者の団体――星間輸送協会(正式名称「Inter-Univerce Logistic Associetion」略称「ILA(アイラ)」)が設立された。
ILAは小口輸送の契約を斡旋する代わりに、個人の業者から協会登録料を徴収している。さらに厳しし会員規約の縛りを受けることもあって、設立当初は登録していない業者が大半だった。
その頃は協会が斡旋しない危険な依頼もたくさんあり、報酬は契約次第だったから、アルフレッドも若い頃は登録していなかった。
しかしながら、非登録業者は荒稼ぎ出来る反面、リスクを負わされて捨てられる危険性もある。悪質な荷主に不利な契約を押し付けて、最後に難癖をつけられて只働きになることもある。
それを自己責任でなんとかしなければならないから、アルフレッドも流石に収入が安定してからは協会に登録した。
ところで、この手の団体というのは権利保護には役立つが、常に役に立つほどのものではない。この世界を統括している「統合政府」や、その直轄機関にしても、問題解決には役に立たないことが明らかになっている。
なぜなら統括すべき範囲が広すぎて、物理的に対応が取りきれないからである。
どこかの恒星系で問題が判明しても、現地に乗り込むまでに一週間以上かかるのはざらだから、組織の担当者が到着した頃には既に証拠隠滅が終わっている有様だ。
それでも、人類が太陽系外に進出した当時は中央集権的な理想がなかなか抜けず、統治しきれずに無意味な犠牲が大量に払われたという。
その反省を踏まえて、今では最低限のガバナンスを司る「統合政府」が最高権力機関として設置され、実際の統治行為は、基本方針が複数恒星系連合単位で作成され、具体的な規則の作成とその運用は恒星系政府単位の自治にまかされていた。
具体的な例を出すと、HIMの権利保護に関する業務を担当している「平等化委員会」の本部には実務執行機能はない。その傘下にある直轄機関が、名称は異なっても殆どの複数恒星系連合に設置されており、具体的な問題に対応している。
例えば、正規HIMの募集や育成、運用については、外郭団体である「個別作業船舶特化型HIM雇用促進事業団」(通称「シップワーク」)が管轄している。
設立当時は山師の集まりだったILAも、今では平等化委員会の傘下に組み込まれており、しかも非正規HIMだけでなく、正規HIMの大半が登録しているというから恐れ入る。時代も変わったものだ。
ところで「正規」と「非正規」の違いは、次のように定義されている。
まず、HIMというのは前述の通り「先天的な障害を持った者の生存権を確保するため」に生み出された技術である。
初期の倫理的な抵抗感を押さえ込むため、HIMになれるのは「そのままでは生きることすら困難な子供達」に限定され、さらには公的機関の厳重な監視下に置かれていた。
現在でもそのルートは変わらず存在しており、正規HIMは法的に手厚く保護された、いわば公務員である。待遇や報酬も定められている。
しかしながら、HIMの有用性が増すにつれて、これも世の常だが「非合法な手段でHIMを生み出す」者が出てくる。
病院とぐるになって、問題のない子供に無理やり先天性障害の履歴を追加するのはまだ可愛いほうで、どこからともなく連れてきた子供を問答無用で機械に放り込むことも行われた時期があった。
流石に人道的な観点から、そのような非合法HIMの供給源は姿を消したが、需要の拡大からHIMの供給源拡大は時代の必然となる。そこで、民間企業に倫理規定の遵守を条件に事業化を認めた。
その民間企業により育成されたHIMのことを非正規HIMと呼ぶ。
公務員であるところの正規HIMに対し、非正規HIMは大半が個人事業主と定義される。育成にかかった経費は運用後に回収される契約になっているからだ。そして、資金回収が終われば自由に事業を行ってもよいことになっていた。
ところが実際に個人事業主になってみると、荷主との契約や社会保険(業務遂行中に破損した船体には労災保険が適用される)の加入、売り上げに対する所得税申告など、細々とした煩雑な事務が結構ある。
HIMならば事務作業が能力的に出来ないということはないのだが、HIMだからこそそのような些細な事象に振り回されるのを嫌う者が多い。
だから、そのまま企業の雇われ船、いわゆる「紐付き」として活動する者が大半だった。
個人事業主として生計を立てているHIMは、報酬の高い特殊分野――いわく言い難い積荷を専門としている、ごく少数の者に限られており、アルフレッドもそのうちの一人だった。
個人で星間緊急輸送サービスを行っている少数派で、しかも今では殆どいなくなった非合法時代のHIMである。HIMになる以前のことは何も覚えていないし、そのほうが幸せだと思っている。
古い仲間には親との生活を覚えている者や、関係が途切れていない者がいたが、大抵まともな死に方はしなかった。変に人間関係が濃密になるからだろう。アルフレッドは人に過剰な期待をすることはなかったから、生き残った。
地獄のほうが楽な生活の中で、自分の能力を極限まで鍛え上げ、自分だけを頼りに生き抜いた結果として、今の彼のが出来上がったのである。
アルフレッドは運ぶものを限定していない。
協会経由の依頼は今まで断ったことがないし、協会を経由しない昔馴染の怪しげな依頼も相変わらず受けている。
というより、そちらの怪しげなサービスのほうが主で、積荷にはまともなものがない。大体が、見つかったら只ではすまない非合法なものである。
アルフレッドはその手の業者の中でも、「配送にかかる時間が短い」ことで知られていた。それが、彼が地獄以下の生活で身に着けた得意技である。
どこの業者も、リスクを考えて配送時間には安全を織り込む。通常かかる時間に、虚数空間門の順番待ち時間や輸送船のシステムトラブルなど、可能性の高い順番にリスクを織り込み、それを請け負う代わりに高額な料金を請求する。
アルフレッドは、時間に関するリスクを自分が負うことにしており、その分の料金は上乗せしない。それでも充分に生活できるほどの稼ぎになったから、大手業者がどれほどリスクを上乗せしているのか、彼には大いに疑問だった。
一方、人並み以上の生活を送るために、時間短縮という点では高額報酬を要求している。非合法な物品の配送は時間厳守でコスト度外視の場合が多いから、かなりの稼ぎになる。
さらに「違法輸送が発覚した際には、発送元を秘匿する」というオプションで料金上乗せをしているので、贅沢な生活が可能になっていた。
とはいっても、HIMに出来る贅沢は高が知れている。殆どがHIMシップの特殊装備費に消えていき、僅かに残った分が個人的な趣味に消えてゆく。
アルフレッドの場合は昔の音楽を収集する趣味があり、彼の音楽アーカイブはマニアが見たら垂涎の品揃えになっていた。
*
研究機関が集中しているこの恒星系は、それゆえ個人の権利保護が厳密に行われていると聞いている。だから大丈夫だとは思うが、一方で自分の船が特殊装備満載、貴重な音源満載であることを思い出して、アルフレッドは不安になった。
同業者が知ったら、どんな手段を使ってでも同業者の船が係留されている場所をつき止めようとするだろう。そして、持ち主が不在の間に悪事を働く。逆の立場だったら、アルフレッドも確実にそうしていた。
(それにしても、まさかこんなことで拘置されるとは思ってもみなかった)
発端となった依頼は「特別契約品の輸送」で、そのような契約の常でアルフレッドは事前に積荷の内容を確認しなかった。
航行の妨げになるような積荷、あるいは航法により損なわれる可能性がある積荷の場合、事前に要注意事項に関する情報を必ず受け取ることになる。
例えば、速度制限条項や温度管理条項、給食時間条項といった面倒な条件だが、その時はそんなものはなかった。だから、
(大方、工業生産品だな)
とは思ったものの、それ以上のことは考えなかった。ただ、工業生産品というのは現地製造が可能だから、わざわざ小口輸送するのは珍しい。大きさがちょうど人間の頭ぐらいで、数が十三個というのも微妙だった。
しかし、それでも依頼が全くないというわけではなかったし、輸送に手間がかからないのは単純に嬉しかったので、アルフレッドは即座に受けた。
そして、問題はアルフレッドがそんな割の良い仕事を終えて、宇宙港の近くで残高確認をしていた時に起きたのだった。
アルフレットは通常、特殊な積荷を降ろした時は即座にその星系から立ち去るようにしていた。渡してしまえば相手のものであるし、経験上、直後に発覚するリスクが高いことを知っていたからである。
ところがその時は、提示された報酬金額が大きかったため着金を確認する必要があった。
星系を離れてから苦情申し立てしても、どうしようもないことが多いし、星系内にいれば宇宙港に積荷の差し押さえを申し立てることも可能だ。だから、そこで入金待ちをしていたのだ。
宇宙港の近くにいたのも、珍しいことではない。
HIMシップは大気圏に突入することができる能力を十分に有しているものの、燃料コストを考えるとそこまでする意味がない。小口だから宇宙港で降ろして、軌道エレベータ経由で降ろすことが出来るし、そのほうが安いからだ。
また、大気圏突入は外装が痛むので緊急時以外は行わない。自分が惑星に降りたい時も、無線制御の擬体を使って軌道エレベーターを経由して降りる。
高価な個人用擬体は、非正規HIMには高嶺の花だが、一般人並みの機能しか持たない汎用品のレンタルがないわけではない。
また、母港であれば契約しているドックがあるので、空き時間はそこにいることができるが、寄港先ではそうはいかない。
だからといって、一般軌道上では微弱といえども重力の影響があるので、姿勢制御のためにはバーニアを使用しなければならない。そのコストが馬鹿にならない。
かといって宇宙港から遠く離れた場所には何もないから、そこにいる意味がない。
結果、宇宙港からさほど離れていない中間地点に、HIMがたむろすることになる。その時、アルフレッドがいたのもそのような「休憩所」だった。
なかなか入金確認メッセージが届かないことにいらいらしていると、アルフレッドの
(やっときたか)
と思って接続を許可する。
すると、宇宙港の管制官の無愛想な顔が表示された。
アルフレッドは一瞬、
(それにしても、どうして管制官というのはこんなに愛想がないのだろうか)
と考えた。そうすることがまるで職能能力の一つであるかのように、彼らは押しなべて感情の抜け落ちた顔をしている。
それに、疑り深い視線も同じく彼らの特徴なのだが、その時の管制官は少々違う目をしていた。
それは光を発しない「疑り深い視線」ではなく、底光りする「明らかな犯人」に対するものだったことに、後になってアルフレッドは気がついたが、既に遅かった。
管制官を話をしている間に周囲を治安維持軍に囲まれて、アルフレッドは逮捕された。
彼が運んだのは「ジャマー」と呼ばれる製品だった。
個人のプライバシーを一時的に確保したい場合――例えば「愛の営み」がそうだが、それを想定して、一定時間に限り都市管理型HIMの監視を
ただ、一般品では法的に二時間を超えることはできない。それ以上「愛の営み」を続けると、都市管理者の監視下に置かれるわけだが、それ以外の目的でも時間延長したい者は数多い。
そこで、差し障りのない日常画像の繰り返しによる偽装で、それを掻い潜る装置――非合法ジャマーが闇で流通している。
アルフレッドが搬送したのが、まさにそれだった。
*
彼は扉を見つめて、暫く放心していた。
脳幹保存型HIMである彼はネットに接続している状態が普通であったから、HIM収容施設で使われる通信機能のない汎用擬体に換装させられた時には、異世界に連れ去られたような気分になった。
圧倒的に少ない情報量。
不便極まりない物理的操作。
脳幹保存容器以外は本来の人間と同じような脆弱な素材で出来ているが、壊れても痛みはないし、容易に交換可能である。
つまりは人間並みの生活ということになるが、それが想像以上に窮屈である。
(こんな不便な生活を強いられていたからこそ、戦争が絶えなかったのではないか)
そんなことを考えていると、扉が急に内側に開かれた。
アルフレッドは「身体がすくむ」という極めて珍しい経験をする。そして、その直後に現れた人物を見て、
「……どうしてあんたがここにいるんだ、サム」
と、これまた珍しい唖然とした声を上げた。
「俺も『どうしてあんたがそんな恰好をしているんだ』と言いたいところだよ、アルフレッド」
サム・ウィルソンはハンカチで汗を拭きながら、部屋にあった椅子に座った。
肥満した彼の身体をまともに受けて、椅子が抗議の声を上げる。サムは眉を潜めたものの、それを無視して短い足を組み、踏ん反り返った。さらに椅子が軋みを上げる。
彼は、アルフレッドの協会経由ではない仕事を仲介しているエージェントの一人である。当然、初対面ではなかったのだが、同じ部屋の中に物理的に二人が存在している経験は初めてだった。
「汎用擬体だから本人とは違うのは当然なんだが――それにしても、ひどい顔をしているな」
サムが今日の天気の話をするかのように言ったので、アルフレッドは苦笑した。
「それを言うなよ、余計に気が滅入るじゃないか」
アルフレッドが外部通信に使用している表示用アバターは、彼の遺伝子情報を元に作成したものである。かなり補正を施しはしたものの、全くの偽者ではない。そして、それは顔から身体まで完璧に整った男性の姿だった。
ところが、擬体として割り当てられたのは「小太りの中年男性」だった。こんなものが汎用品として製造されているという事実に愕然としたほどに、リアルに中年男性だった。
情けない生殖器が申し訳程度についている上に、その部分の居心地の悪い感覚が常にあるという事実も実に腹立たしい。流石に人権擁護団体に抗議文を手書きして送ったが、
「それは普通の人間に対するあからさまな偏見と取られかねないので」
という理由で却下された。
サムは、アルフレッドの言葉を聞いて驚いたような顔をした。
「あんたから『気が滅入る』なんて言葉を聞くことが出来るとは思わなかったよ。辞書から削除したと思っていた」
「ここに来た時に辞書プラグインがアップデートされたんだよ」
「ふうん、随分と気の利いたことだな。で、時間がないから仕事の話に入ろう」
「……何だって?」
アルフレッドは、擬体に不慣れなせいで聞き間違いをしたのかと思った。
ところが、サムは眉を潜めると、
「仕事だよ。それ以外の理由で俺がここにくるわけないじゃないか」
と、不満そうな声で言う。どうやら依頼主から相当言われて、嫌々ながら来たらしい。
「まあ、それはそうだが――しかし、何だって収容中の俺のところに来るんだ? 外には他にまともな業者が一杯いるじゃないか」
「他のまともな業者が軒並み断ったから、こうなっているんだよ。非正規業者すら誰も受けないし、代わりの業者の名前を聞くと、出てくるのは皆同じ名前だったんだよ」
「まいったな、そんなに俺が人気者だとは――」
「全員が『こんな馬鹿げた条件を飲むのは、あのクレイジーな男しかいないよ』という前置きをつけたそうだがな」
「……で、その馬鹿げた条件というのは何なんだ?」
*
依頼の内容と報酬を聞いたアルフレッドは、しばし黙り込んだ。
確かに、その依頼はアルフレッド以外の誰も受けないだろうと思われる内容だった。より正確に言うと、アルフレッドですら普通の生活をしている時だったら、決して受けなかっただろうと思うほどに難儀なものだった。
彼は確かに危険度や緊急性の高い仕事を専門に請けるフリーの業者として知られている。そして、極めて優秀である。今までに完遂できなかった仕事はなかった。
しかしながら、一応の常識はあったから非常識な依頼は受けないつもりだった。今まで、そんな非常識な依頼がなかったから、結果として断らなかっただけのことである。
ただ、この件は格別だった。
さっきから彼の中にあるアラームが激しく鳴っている。それでも――彼はそれを受けざるを得なかった。なぜなら、成功報酬もそれなりに破格だったからである。
「分かった。その依頼、俺が受けた」
そう言って、アルフレッドはベッドの上から足を下ろした。
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