その一振りに

水原緋色

第1話

 勝てない


 少女はその思いに囚われている。


 勝てない


 少女はその現実に打ちのめされた。


 ◇ ◇ ◇


 足が床を踏みならし、竹刀が防具にぶつかる。悲鳴とも取れる声が会場中に響き渡る。

 一葉が一年前に捨ててしまったはずの光景が今、目の前に広がっている。

(なんでここに立ってるのかな)

 今更ながらそんなことを考え、正面に立つ試合相手を見つめる。

 小さく数本。開始線に自然に三歩で行ける距離。

 相手と呼吸を合わせ前へ三歩。蹲踞をして開始の合図を待った。


 ◇ ◇ ◇


 高校生になって3ヶ月。東條一葉とうじょうかずはは部活に入ることなく、放課後をバイトや読書など悠々自適に過ごしている。

 そんな放課後のある日、一葉はたまたま暇を持て余し、クラスメイトと他愛も無い話をしていた。

 その中でどうしてあんな話が出てきたのか、彼女は理解できていない。適当に聞き流していたのだから、仕方がないが。


 翌日の放課後。不運にも(?)一葉はバイトが休み。そして、昨日お喋りをしていたクラスメイトに連れられて、体育の剣道の時にしか足を踏み入れない柔剣道場に来ていた。

 この高校に柔道部はないので、剣道部のみがここを使用している。体育館の半分ほどの広さに、男子5人、女子4人、顧問2人で練習している。

 ギリギリだな、というのが一葉の抱いた印象だ。

「それで、なんで私はここに連れてこられたのかな? 」

「なんでって、昨日話したでしょ。今度の大会だけでもいいから参加してって」

「そしたら一葉、いいよって言ったじゃん」

 とぼけているわけではない。一葉にとって全く身に覚えのない会話だが、言質は取られているようであった。

「とりあえず今日は顔合わせだけだから。明日、道着持って来てね。防具は入部して一週間でやめた子が置いてった新品同然のものがあるから、それ使って。多分大きさはあってると思うから」

 テキパキと動き説明する北村望美きたむらのぞみはどこか楽しげである。

「時間あるなら見学もしていきなよ〜。その方が頑張れるから」

 ニシシッと悪戯っぽく笑う川島優香かわしまゆうかは嬉しそうだ。

 簡単な自己紹介を終え、剣道部員たちは準備運動を始める。次にいくつかの筋トレ、そして素振り。

 竹刀の重さ、足さばき、そして掛け声。一葉はそれらを遠い過去のことのように思い出す。

(逃げたんだ。ここから)

 大きく息を吸い込む。独特の匂いが一葉の鼻腔をくすぐる。

 もう一度この中に戻るなど、例えそれが短期間であっても、一葉は考えたことがなかった。

 それから1時間半の間、一葉はただただ竹刀が面を打つ音と踏み込みの音、最早何を言っているかわからない声に耳を傾けた。


 そして今日もまた一葉は道場の前に立っている。

 昨日と違うところがあるといえば、紺色の剣道着に同色の袴を身に纏い、手には手ぬぐいが握られているということぐらいである。

「遅かったね〜。手間取った? 」

浅く一礼をし道場に入れば、からかい気味の問いかけを浴びる。

「身体が受け付けなかった」

茶化しながら言葉を返し、準備を進める。

「そんな気持ちなら、やらないで」

ピシャリと言い放ったのは眼鏡をかけ、肩より少し長い髪を1つに括っている、2年生の高宮風夏たかみやふうかだった。

「すみません、今のは軽率な発言でした」

一葉から素直な謝罪が返ってくるとは思わなかったのか目を見張る。少しの間言葉を失っていたがすぐにいつもの調子を取り戻したようだ。


 体に纏う重さに一葉はクスリと笑みを浮かべる。

(よくこれ付けて動いてたな)

 準備運動を終え、素振りをする。一葉は少し竹刀に振り回されながらも、以前の感覚を取り戻しつつあった。

 面に竹刀を打ち込む。腰から前へ。大きく振り上げるような無駄な動作はせず、手元から最短距離で手首のスナップをきかせる。腕全体に無駄に力が入らないように、打ち込む瞬間だけ力を入れる。踵から床に設置しないよう、足の指の付け根を床に打ちつける。

「あーぁ、マメになっちゃってるね。大丈夫? 」

「まだ破れてたいので。破れたら痛いですけど」

練習終わり、踏み込みによって出来たマメを触る。パンパンになった水ぶくれが今にも破けそうだ。

「それ痛いよね。私らはもうほとんどできなくなったけど、最初の頃は痛かったなぁ」

「樹咲先輩もマメとか出来るんですね」

「当たり前でしょ。私のことなんだと思ってるの、優香は」

十束樹咲とおつかきさきは優香の頭を軽く叩く。

 部室を出るとき、樹咲が部員をご飯に誘うが、一葉は用があると言って先に帰った。


「で、どう思う。一葉ちゃんのこと」

一葉以外の剣道部員は高校近くのファミレスで集まった。みんなが他愛もない話をしているとき、樹咲がおもむろにそう切り出した。

「ちなみに私は、イマイチだと思う」

「……そうかな? ブランクがあるから動きが鈍いのは仕方ないとして、なかなかいいと思うけど、僕は」

「十束はなんでイマイチだなんて思うんだ」

副キャプテン、相澤優希あいざわゆうきが一葉を擁護する。優希に食ってかかろうとする樹咲を止めるため、キャプテンの早瀬慧はやせけいが口をはさむ。

「私も動きはいいと思うよ。けど、気持ちがね……。なんていうか気迫が感じられない」

一同はその言葉に思い当たる節があるのか黙り込む。樹咲は先程から俯いたままの風夏に声をかける。

「私は人数が足りなくてもいいから、あの子抜きで今度の大会に出たい」

その言葉に一葉を誘った優香が咄嗟に何かを言おうと口を開くが、それを望美が止める。

場の空気が悪くなるのも御構い無しに、風夏は言葉を続ける。

「樹咲の言う通り、あの子にはやる気が感じられない。今日だって、最初あんなこと言ってたし、助っ人とはいえあんな態度取られるのは嫌」

「あれは冗談だったんでしょ、風夏先輩。すぐにきっちり謝っていましたし」

「お待たせしました」

 風夏が口を開きかけた時、ウエイトレスが会話がひと段落するのを待っていたように料理を運んでくる。

 息を飲む一同。

「ブランクのある助っ人なので、皆さんの足手まといにはなるまいと思ってますが。私なりに真剣に取り組んでますよ。皆さんに失礼ですし」

そのウエイトレスはたまたまヘルプでバイトに入っていた一葉だった。一葉はニコリと笑い「失礼します」とキッチンに戻っていった。

 それから二週間後の合同練習までの部活は何処となく重たい雰囲気だった。


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