約束のプレイボール

青銭兵六

第1話

 白球が打ち返される金属音と、それに伴う歓声。

 ラジオから流れる高校野球の中継を聞きながら、俺は一人、昼飯を食っていた。

 一人だけの食事はどうにも味気ないけど、妻が急に発熱した娘を医者に連れて行ってしまっているのだから、仕方がない。

 昨日、帰省して来た都会の子供と遊んでいたから、その疲れが出たのかもしれないな。

 そんな事を考えながら、食事を終えた時、庭の方から陽気な声がかかった。

「よう、健ちゃん、いるかい?」

 その声に、俺は縁側の方へと歩いて行く。

「爺ちゃん、何か用?」

 爺ちゃんと言っても、俺の実の祖父じゃ無い。

 三平さんと言って、昔戦争で死んでしまった俺の祖父の友人で、まあガキの頃から面倒を見てくれた人だ。

 何の用だろうと思いながら縁側まで出ると、良く日に焼けた三平さんの横に、背の高い外国人の老人が立っていた。

 驚いて三平さんを見ると、

「びっくりさせてすまんな、健ちゃん。この人は、ジョーンズって言うんだが、一度で良いから会いたいって、アメリカからやって来たんでな」

「コンニチハ」

 そのジョーンズと名乗る外国人は、たどたどしい日本語で挨拶しながら、右手を差し出してきた。

 俺も右手を出して握手をする。歳は取っているけれど、大きくて、がっしりした手だった。

「爺ちゃん、俺、この人に心当たり無いんだけど?」

「ああ、ジョーンズが本当に用があるのは、健ちゃんじゃ無いんだよ。次郎の方さ」

 死んだ祖父の名前を出した三平さんは、ちらとジョーンズさんとやらの方を見て、

「少し長くなる。上がってもいいか?」

 勿論俺に断るつもりなんて無く、二人を縁側から続く座敷へと案内した。

 ジョーンズさんと並んで腰を下ろした三平さんは、俺が初めて聞く話をしてくれた。


 その昔、俺と次郎が戦争に行っていた事は知っているだろう。

 俺達が兵隊として行かされたのは、南方の、何とかって名前も忘れちまうくらい小さな島だったよ。

 何分にも外れた所にある島だったから、米軍もいる事はいるんだが、お互いに戦争なんてやる気も無かった。

 日本はもう負けが近くなっていたから、そんな小さな島に構う余裕は無くなっていたし、米軍も米軍で、さして手柄にならないような所で本気になるつもりも無かったようだな。

 意外に思うかも知れないが、そう言った場所は結構あったんだ。

 偉い連中はともかく、下っ端なんて、戦争がしたくて来ているわけじゃないからな。

 まあ、そんな所でも、一応戦争やっている真似事はしなくちゃならないから、兵隊は定期的に哨戒――パトロールって奴だな――をさせられていた。

 まあ、やる気なんて無いよ。ジャングルの散歩みたいなもんだ。

 ところがその日、俺は潜んでいた米兵にとっ捕まっちまった。

 抵抗しようと思ったが、何しろ相手は熊みたいに大きい連中だ。あっと言う間に縛られて、連中のキャンプまで連れて行かれたよ。

 どう思ったかって? そりゃ、敵兵に捕まったんだから、下手すりゃ殺されるかもと思ったよ。別にのんきにしていたのは約束してたわけじゃ無いからな。

 で、連中のキャンプに着いてみたらどうだ、俺の他にも何人かの兵隊が連れてこられていたんだ。その中に次郎もいたよ。

 その内、向こうの少し偉そうな兵隊がやって来て、全員に立って、並べと言うんだな。

 ああ、こりゃ駄目だ。銃殺だと思ったよ。

 そりゃ、捕虜の扱い云々みたいな決まり事はある。けれど、俺達がやっていたのは戦争だからな。

 勘弁してくれと思ったよ。一応はお国のために死ぬ覚悟です、何て言って出ては来たさ、でもろくに戦いもしないで殺されるってのは、嫌な気分だった。

 そしたらどうだ、件の米兵は俺達をざっと見渡すと、半分ほどに使い古したグローブを渡して、お前はライトだ、お前はショートだって言い出した。

 何の事は無い。米兵と来たら、野球をする頭数が足りないんで、俺達を連れて来たんだ。

 日本対アメリカなんて事は無く、ごっちゃ混ぜのチームで試合は始まったよ。

 もうこうなったらなるようになれさ。殺されるよりは大分良いと思って、野球をやったさ。

 そこで次郎さ。あいつは中学野球――あ、今の高校野球な――の選手をしていたから、素人丸出しの試合に我慢が出来なかったんだろう。

 ピッチャーの所まで行くと、代われと言ったんだ。

 初めは向こうも嫌がったけど、試しに二、三球投げてみせたら、態度が変わったよ。

 それからは痛快だった。何しろ、大男の米兵共を、次郎がきりきり舞いさせるんだからな。特に決め球のカーブは、まったく打たせなかった。

 もう少し試合をしていたかったんだけど、残念な事に日が傾いて来たのでお開きとなってしまった。

 最後に、このジョーンズが次郎を捕まえていた。

「お前、名前は何と言う」

「次郎」

「ジローか。お前の投球はパーフェクトだった。だけど、次はお前のカーブも含めて、俺が打ってやるぞ」

「打たせるもんか」

 二人は握手をしていた。その時はお互い、それが最後になるなんて、思いもしなかった言葉を交わして。

 野球をしてからしばらくして、いよいよこの戦争は負けるらしいと言う噂が、部隊にも流れて来た。

 別に感慨は無かったよ。とてもじゃ無いけど、勝っているとも勝てるとも思えてなかったからな。ただ、これでようやく日本に帰れるって思ったくらいかな。

 だけど、向こうの、米軍の指揮官は違っていたみたいだ。

 戦争が終わりに近くなると、つまらん事を考え出す奴が出るもんで、手柄が欲しくなって攻撃を仕掛けて来やがった。

 俺はその時、情けない事にマラリアにやられて、ベッドで寝てたんだが、物音で何があったかは解ったよ。

 軍医が、俺に手榴弾を渡すんだな。いよいよの時は、これで自決しろってんだ。冗談じゃ無いと思ったね。

 ただ、外がやけに静かになって、友軍のものとは違う足音が近付いてきたら、妙な覚悟が決まるんだな。

 ああ、こうなったら一人でも道連れにして死ぬか、って。

 おかしいと思うかい? でも、そんなもんなんだよ。

 手榴弾の信管を叩こうとしたその時、走り込んできた米兵が言ったんだ。

「待つんだ、サンペー。戦いは終わった。止めてくれ、俺はもう、知っている顔を殺したくない」

 ジョーンズだったよ。奴さん、泣きながらそう言うんだ。

 勝ってるはずで、こちらに銃を向けている米兵が、大粒の涙を流しながら言うんだよ。

 その泣き顔をみていたら、さっきの覚悟もばかばかしくなってしまってね、大人しく手を上げたよ。

 戦友は、ほとんど死んでいた。

 その中には、次郎もいた。

 ジョーンズの話だと、真っ先に向かって来たので、やむなく撃ってしまったらしい。

 それを聞いた俺は、勇敢な次郎ならそうするだろうと思ったし、もしも逆の立場ならジョーンズと同じ事をしただろうとも思った。

 何せ、俺達は戦争をしていたんだからな。

 けれど、その晩で俺達の戦争は終わった。

 八月、十三日の晩の事だった。


 話し終えた三平さんは、残りの麦茶を飲んだ。

「爺ちゃん、そんな話、初めて聞いたよ」

「ああ、誰にも話さなかったからな」

 ジョーンズさんを見ると、悲しい顔をしていた。

「ジローを殺したのは、俺だ。許してほしい」

 頭を下げられ、俺は首を振った。

「ジョーンズさんだって、殺したくてした訳じゃ無いでしょう。それが戦争だって、爺ちゃんも言ったじゃないですか。悲しいけれど、あなたが悪いわけじゃ無い」

「ありがとう」

 そうは言うけど、ジョーンズさんの顔からは悲しみが消えていないように見えた。

「そうだ、じゃあ爺さんに挨拶していきますか?」

 不思議そうな顔をするジョーンズさんに、三平さんがお盆の事を説明していた。

 小さな仏壇の前に座ったジョーンズさんは「ジロー」と小さく呟いて、深々と頭を下げた。

「何と言うか、上手くは言えないけれど、祖父も喜んでくれていると思います」

 俺の言葉に、ようやくジョーンズさんは笑顔を見せた。

「ありがとう。来た甲斐があったよ」

 その時、ふと、その視線が部屋の隅に置かれた野球道具へと向けられた。

「君も野球をやるのか?」

「昔やっていました」

「なぜ、今はやらない?」

「人数が足りないので」

「それは仕方ないな。ポジションは、どこだった?」

「ピッチャー」

「血だな。決め球は?」

「カーブ」

「Good!」

 にっこりと笑ってジョーンズさんは立ち上がった。

 俺も立ち上がって、野球道具を手にした。


 真夏の太陽の下、我が家の庭は球場になった。

 スタンドもマウンドも無いし、ベースは地面に引いた線。

 けれど胸を張って言える。

 今この瞬間、ここは最高の球場だ、と。

 良く咲いたヒマワリの花の観客を前に、俺は地面に引いたプレートに立ち、ジョーンズさんはバットを構える。

 キャッチャーについた三平さんがミットを構えると三人、声を合わせた。

「プレイボール!」

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