第9話 親愛なる魔王様 (トウワ)

 氷と吹雪に覆われた、サマリに入る。安全圏に入ったところで、僕は記憶を頼りに、魔王に手紙を書いた。


 改めて見直すと、平和への願いより、ラブレターのおもむきのほうが強くて、苦笑した。


 魔王に対する想いをただ綴っていたら、そうなってしまったんだ。


 絶氷のサマリを抜け、灼熱に覆われたギレンの大地も踏み越えた。


 激しい妨害にあうことも覚悟していたのだけど、意外なほどにあっさりと、魔王城まで辿り着いた。


 結局、手紙を渡すのは当日になったけど、許してくれるかな。


 何重にも閉ざされた扉をくぐり、様々な機能を有した部屋を乗り越えて、僕は魔王がいるであろう最上階を目指した。


 閑散とも、静謐せいひつとも言えるほどに、魔王城は静けさに満たされていた。


 不気味に思うと同時に、なんのしがらみも発生しない、絶対的な安心感も感じていた。


 一際大きな金属製の扉を前にした時、ここが魔王の間なのだと、本能で感じ取れた。


 ゆっくりと、まるで土細工でも作っているかのように、丁寧に扉を開いた。


 果たしてそこに魔王は、いた。


 真っ白なヴェールのあしらわれたドレスに身を包んでいて、こちらに背を向けていた。魔王が見つめる先には、海や大地が描かれた、もう一つの世界で見たような、映画のスクリーンほどの大きさの地図だった。


 言葉を発しない、音も奏でない。ただ、祈り続けていた。


 今の世界を悲しみ、嘆き、共生の道すらも願ってしまう、 優しすぎる魔王は、今もまた、どこかで亡くされた命のために、祈りを捧げているのだろうか。


 僕はただ、待ち続けた。


 どれくらいの時間そうしていたのだろうか。全ての感覚が置き去りにされてしまったとすら錯覚する。そんな長い長い時間を経て、魔王はこちらに、体ごと向きなおった。


 地面に滴り落ちるほどの涙に濡れ、あらゆる感情を染み込ませたような相貌は、僕が想像した姿よりも、一層に美しかった。


 言葉を失ってしまうほどの感動の中、僕が認識できたのは。


 炎のようにうねった、質量の多い髪と、濃い紫がかった、鮮やかな青色を宿した瞳。


 ああ……そうか。


「お久しぶりでございます、魔王様……いえ、メーリル様」

「お久しゅうございます勇者様……いえ、トウワ様」


 メーリルは、濡れそぼった瞳で、浮かない表情で、それでも笑ってみせた。


 僕もつられて、言葉にできない情動を抑えながらも、笑った。


 運命付けられた、世界を一変する血みどろの邂逅も。


 僕たちにとっては、愛しさと切なさに彩られた、再会でしかなかった。


「メーリル様に、手紙を書いたんだ。読んで頂けるのなら、とても嬉しい」

「ええ、わかっております、何もかも。ずっとこの目で見て、この耳で聴き、この心で感じていたのですから」


 どういうわけかメーリルは、僕が手紙を書いたことすらも、知っているようだった。


 まあでも、そんなことはどうでも良かった。


 今僕たちがこうして、お互いに存在しているだけでも、この瞬間も変わらず、命の炎は消え続けているのだから。


 でも出来ることならば、もっともっと、夢幻むげんとも言える時間が、ありえたのかもしれない蜜月の日々が、僕は欲しかった。


 想像し、理解し、夢にまで見るくらいに憧れ、焦がれた存在と、やっと向き合えたのだから。


 もう少しだけ見つめていたいと、過ぎた願いを抱くくらい、許されないだろうか。


 それでも、もう終わりにしなければならない。


 争いを終わらせるためには、どちらかが終わりを迎えなければいけない。


 それが、この世界の残酷でどうしようもない、ルールなのだから。


「メーリル様……一生で一度の、お願いがあります。僕を……殺してください」


 逡巡しゅんじゅん躊躇ちゅうちょ


 どのような感情が宿ったのかはわからないけれど、メーリルは、世界が止まってしまったかのように、黙り込んだ。


 僕は、空を想い、大地を想い、風を想い、両親を想い、友を想い、人類を想い、魔族を想い、世界を想い、現実を想い、メーリルを想い、思いつく限りの万物に対して、想いを重ねた。


 やがて。


「……はい」


 水晶のような透明さでかたどられた、幻想の剣が、僕の胸に突き立てられた。


 痛みや苦しみよりも、不思議と、甘みが流れ込んでくるような心地よさに捕まり、意識が空気へと溶け込んでいった。


 かろうじて捕まえた想いを、最後の最期で吐き出した。


「ごめんなさい。大好きなあなたに、辛い役目を負わせて……」


 メーリルは、風がそよぐほどの、微かな声で、言った。


「ごめんなさい。こうすることしか出来なくて……」


 力は抜けていき、意識が薄れていく。


 プリルームで認識できた最期の瞬間は、メーリルの言葉だった。


「大好きでしたよ、トウワ……またね」

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