第4話 異世界での死(灯和)
今日の目覚めは、普段よりも早かった。記憶が混濁しているようで、夢の出来事は思い出せなかった。
じっとしていられず、職場に出かけた。一番のりかと期待したけれど、事務室はすでに開いていた。
当直の人かな?
何気なく事務室に入っても、閑散としていて人の気配を感じない。
不思議に思い、壁際のスイッチを押して明かりを灯すと、大和が仰向けに倒れていた。
「おい大和。大丈夫か? 意識はあるか? おい」
「……灯和か。今はちょっと、放っておいてくれ」
返ってきた声は弱々しくて、今にも消えてしまいそうなほど心細いものだったが、生きてはいるようだった。
良かった、と胸をなでおろした。
「放っておけないよ。言いたくないなら言わなくてもいいけどさ。とりあえず休もう」
大和を肩で背負い、引きずるようにして移動をさせて、ソファーに体を預けさせた。
大和はぐへぇだとかふひゅうなんて綺麗じゃない声をあげて、子供のように泣きじゃくっていた。
強がりで自己顕示欲の強い大和が、見栄もプライドも捨て去って、感情を素直に表現している。
普段の様子や性格を考えると、異常な事態だ。
コップに水を注いで大和に渡すと、介護されている老人のような
一向に泣き止む気配がない。そろそろ他の職員が出勤する時間だった為、個室に移動し、大和が落ち着くまでじっと待った。
三十分は待ったかというところで、ようやく大和はぼそぼそとした声で心境を吐露した。
「俺……死んじまった」
「は? どういうこと?」
「古都ムスクで取り残された人たちがいて、そこで魔族との抗争があったんだ。まさに子供が襲われているところで、なんとか助け出せたんだが、数に押されて、最後には胸の辺りを貫かれた」
夢の中の話か、と僕は理解した。
夢幻転移した先で命を落とすとどうなるのかについては、様々な情報が飛びかっていた。
こちらでの存在も無くなってしまう、廃人になるなど、どれが正しいのかは、
大和は、実際に命を落としたのだという。
「この世界の俺にとっては、夢の中の出来事だが、胸を貫かれ、止まらない血を吐き続けながら、確信したんだ。ああ、俺は死ぬんだって。絶望ってのはこんなに重くて苦々しいものなんだな。夢だからって、俺は英雄にでもなった気分で、敵である魔族を嬉々として倒していた。俺が殺してきたやつらも、みんな俺みたいにすべてが押しつぶされていくような気持ちを味わってたのかな? だとしたら、俺は今までなんてことを……」
命の重みは、誰だって、どこの世界であっても変わらないはずだ。
そんな当たり前のことに実感が伴って、今更ながらに気づいたのだと大和は言う。
日本での出来事も、プリルームでの出来事も、ゲームや漫画の世界とは違う、現実なんだ。
大和の涙は、止めどなく流れ続けた。
「もちろん後悔している気持ちもある。けれど、この涙と穴が空いた気持ちを溢れさせているのは、自分自身が死んじまったからだ。心に穴が空いたなんて表現があるけど、きっとこんな気持ちだろうな。自分自身の一部が消え去った感覚。体が半分削ぎ落とされたような喪失感。俺は、俺が死んだことが一番悲しい」
何を言っても、僕の言葉は嘘くさいなぐさめにしかならないだろうから、時間が許す限りただ側にいた。
大和は夜勤明けだったみたいで、詳しくは伏せた上で事情を説明し、今日のところは真っ直ぐに帰らせた。
施設内じゃ大和は、彼女にフラれたことになっているけれど、自分が死んだことに比べればささやかな嘘だろう。
翌日、仕事に来られるのかと心配していたけれど、意外なことに彼女でもできたかのようなスッキリとした表情で出勤してきた。
「おはよう大和」
「おう昨日は、恥ずかしいところを見せちまったな。なんか知らんが、急に感情が溢れ出しちまってな。最近忙しいせいか、情緒不安定になっちまってるのかもな」
「それもあるかもしれないけど、無理もないよ。あんなことがあった後だしさ」
「あんなことってどんなことだ?」
会話中に感じたのは違和感。数学の話をふったのに、英語の話題で返されたような、噛み合わなさを感じる。
唖然とした表情は確かなもので、ふざけているようにも、とぼけているようにも見えない。
「覚えてないの? 僕たちはプリルームという世界で、勇者と魔法使いをやってたじゃないか。夢の話だけど」
大和は、僕の話を一笑に付した。
「なんだそりゃ。夢の話を持ち出すなんて、可愛いねえ。あれか、二年前くらいから流行っている夢幻転移ってやつか。俺はあんなのを信じちゃいないけどな」
岩のように豪快に笑う大和の姿を、僕は宇宙人でも見るような思いで眺めていた。
まだ確信とまではいかないが、夢の世界のことを、プリルームのことを、大和はすっかり忘れているようだった。
「ねえ大和。昨日見た夢の内容って、覚えてる?」
見えない糸を手繰り寄せる気持ちで聞くと、大和は「んー」と唸るように声をあげた挙句に答えた。
「琵琶湖くらいのデカイ湖の上にな、ラピュタが浮いてた」
「……そっか」
少なくとも、プリルームの世界には、関係がなさそうだ。
ともあれ、わかったこととしては。
喪失を伴う痛みに耐えるための、人間としてのシステムなのか。
それとも、存在しなくなった世界は、現実と無関係になるが故なのかはわからないが。
向こうで死んでしまうと、少なくともこちら側での異世界の記憶は無くなってしまうらしい。
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