その7 ~実際、喋りも大事な仕事~

―イストシティ駅・プラットホーム―


―― 数日前


コク声 「しーちゃん、出るよ」

シテツ 「はーい」

       スピーカー越しに聞こえたコクテツの声に答えたシテツ。

       彼女はトーマスの尻尾の先からヒョコッと顔を出して、誰も居ない

       ホームを見た。

シテツ 「ドア閉めまー …うわっ、危なっ!」

       トーマスの胴体に開いた穴を少し閉じたその時、乗り遅れた一人の

       乗客が猛スピードで突っ込んできた。

シテツ 「駆け込み乗車はおやめください! 挟まったらトーマスのお肉になっち

     ゃいますよ!」


―― 現在


       トーマスの横でピリピリしながら腕を組んでいるシテツとその横で

       のんびり缶コーヒーを飲んでいるコクテツ。

シテツ 「今日から発車ブザーを鳴らす事になったけど…」

コクテツ「けど、どうしたの?」

シテツ 「なんか違うんだよね…」

       ただ顔を曇らせているシテツをコクテツは不思議そうに首をかしげ

       ながら見ていた。

コクテツ「突然の変更でみんな驚いてんだよ」

シテツ 「だといいけど…」

コクテツ「んじゃ、そろそろ出すからブザー鳴らしてね」

       コクテツはトーマスの頭の方に歩いて行った。

       シテツはポケットからブザーのスイッチを取り出すと嫌そうな目で

       それを眺めていた。

コク声 「出すよ!」

       催促されたシテツは大きなため息をついてボタンを押した。


       ウゥーーー!


       警報のようなけたたましいサイレンの音がホームに鳴り響いた。

       そして、駅のあらゆる場所から乗客達がトーマスに逃げ込むように

       一斉にホームに押しかけてきた。

シテツ 「押さないで! 危ないから、押さないで! 順番に乗ってください! 

     危ない! 危ない! ちょ、押すな! 押すなぁ!」

       鉄砲水に飲まれるようにシテツの姿はトーマスに乗り込もうとする

       人混みの中に消えていった。




―轍洞院家・リビングルーム(夜)―


コクテツ「お風呂どうぞ♪」

       風呂上がりのコクテツが声を掛けた先には、一日中人の波に飲まれ

       続けてぐったりとしたシテツがソファに横になっていた。

シテツ 「うん…」

       彼女は小さく返事をすると、そのまま寝返りを打ちボテッとソファ

       から落ちた。

コクテツ「大丈夫?」

シテツ 「いいや…」

コクテツ「だよね」

       シテツは起き上がらずに床を這い始めた。

コクテツ「そのままじゃお風呂で溺れない?」

シテツ 「全身が痛くて立てない」

コクテツ「えっ… 何があったの!」

       驚くコクテツにシテツはガバッと立ち上がり詰め寄った。

シテツ 「あのサイレンのせいだよ! あんなヤバそうな警報音を聞いたらみんな

     トーマスに逃げ込んで来るから!」

コクテツ「そう?」

シテツ 「ていうか、アレ何も無いより逆に危ないから! お客さんが将棋倒しに

     ならないように誘導したら、何回も足を踏まれたり、高速低空タックル

     食らったり、飛び膝蹴り食らったり」

コクテツ「じゃあ、止める?」

シテツ 「サイレンは即中止! でも、無しってのもやっぱ危ないから… 代わり

     にもっとマイルドな物で知らせよう」

コクテツ「う~ん… ホラ貝とか、角笛とか?」

シテツ 「ワイルドじゃない! マイルド!」

       シテツはすっかり忘れていた痛みを思い出したようにペタリと床に

       座り込んだ。

シテツ 「スマホの着信音みたいに簡単なメロディとかで気付かせればいいと思う

     んだけど」

コクテツ「んじゃ、それでやってみようか」

シテツ 「その肝心の音はどうするの?」

コクテツ「嫌だなぁ~、お友達にその手のプロが居るじゃん」

シテツ 「い、居るけど…」

       自信満々の笑みを浮かべるコクテツにシテツはそれ以上何も言えな

       かった。


―― 数日後


       轍洞院姉妹とロートケプヒェンのメンバー全員が手狭なリビングで

       正座をして向かい合っていた。

       まずはレイラが丁寧に手を突いて会釈をした。

レイラ 「この度は貴社と我々ロートケプヒェンのコラボ企画を用意して頂き… 

     ありがとう」

       コクテツも同じようにレイラに礼を返した。

コクテツ「いえいえ、こちらこそ… ありがとう」

       レイラはサッと大きな外付けハードディスクをコクテツの前に差し

       出した。

レイラ 「コレがデモ音源、この中から好きなの選んで」

コクテツ「あざす!」

       デモ音源を受け取ったコクテツはすぐにハードディスクをパソコン

       に繋げた。

コクテツ「じゃあ… まずはコレ」

       コクテツがもらった音楽の中から適当に一つを選ぶと、スピーカー

       からは怒濤のようなドラム音とうねるような低く重いベースの音が

       あふれ出してきた。

シテツ 「ダメダメダメ! こんなのじゃお客さんがトーマスに乗らずにヘドバン

     しちゃう!」

コクテツ「えー、じゃあこっち」

       選曲を変えると今度は打って変わり繊細なアコースティックギター

       の音が流れ始めた。

シテツ 「これなら良いかも」

       シテツがそう言った途端、タイミングを計ったように曲調がガラッ

       と変わりレイラのギター早弾きが始まった。

コクテツ「じゃあ、コレで」

シテツ 「待て待て! こんなフェイント予想できるかっ! これじゃお客さんが

     モッシュ始めて大惨事だよ!」

ケ イ 「ちょっといいですか…」

       困り顔のケイがパソコンの前に来てデータを選び始めた。

ケ イ 「シー、コレ聞いて最終判断をお願い」

シテツ 「うん」

       ケイが選曲した楽曲はそれまでの物と変わらずメタル色の強い楽曲

       だったが、シテツはあることに気が付いた。

シテツ 「これって… カエルの歌?」

ケ イ 「そう、今回はオリジナルじゃなくて全部童謡のアレンジなんだけど… 

     アタシらがやるとこうなっちゃうんだよ」

       ケイと同様に他のメンバーも苦笑いを浮かべていた。

レイラ 「ロートケプヒェンの色を出すとねぇ」

レヴィン「普通のメロディなら俺らである必要無いし…」

チャド 「言い訳だが… これでも抑えた方だぜ?」

       ノリノリで一心不乱に頭を振っているコクテツと、ただ唖然として

       いるシテツにケイは深く頭を下げた。

ケ イ 「ゴメン、アタシらにはこういうの意外無理!」

シテツ 「うん… 分かった……」




―イストシティ駅・会議室―


       翌日の会議室にはお菓子が山盛りのテーブルを囲んで轍洞院姉妹、

       メイとシンが茶会のような会議をしていた。

シテツ 「ということで、ブザーを作り直して欲しいんだよね」

メ イ 「分かったけど、新しい音源はあるの?」

シテツ 「まだ…」

       轍洞院姉妹は揃って申し訳なさそうに頭を下げた。

メ イ 「うん、分かった。音源もこっちで用意すればいいんだね」

       彼女が何気なく言った言葉に姉妹はバッと顔を上げた。

シテツ 「… 今、何て言った?」

コクテツ「メタルはしーちゃんが文句言うからNGでお願いします」

シテツ 「乗っかる気満々で話を進めないで! …本当にいいの?」

       メイとシンは黙って親指を立てた。


―― 数日後


       並んでパイプ椅子に座っている轍洞院姉妹。

       二人の前にはせっせと機材などを運び込んでDJブースを設営して

       いるメイとシンの姿。

シテツ 「ツッコんでいいですか?」

シ ン 「「お前らそんな機材使えるのか」って? 心配すんなって、メイのPC

     とスピーカーだけあれば充分や」

シテツ 「じゃあ、ターンテーブルとか運んでくるなよ!」

       シテツに的確なツッコミを入れられても、二人は急造のDJブース

       を完成させた。

       ブースの中央にメイが立ち、ヘッドホンを首から提げた。

メ イ 「OK! れっつ、ぱーりぃ! ぷちゃへんざ! ぷちゃへんざ!」

       メイは腕を高く掲げ、人差し指を真っ直ぐ伸ばした。

コクテツ「イェーイ!」

シテツ (ケイ達の時よりヤバいことになりそうな気がする……)

       メイはヘッドホンを片耳だけに当てて目の前に設置されたパソコン

       に向かった。

メ イ 「最初はコレで行くよ! ブレーキぶっ壊してアゲていこう!」

コクテツ「アゲてこー!」

       メイがエンターキーをタンッと弾くとブースの両脇に聳える巨大な

       スピーカーから軽快なビートを基調とした穏やかなイントロが流れ

       始め、やがてシンセサイザーをベースとしたシンプルで綺麗な曲が

       掛かった。

シテツ (あれ? 意外とおとなしい)

       良い意味で期待を裏切られたシテツは部屋中を包み込んだ音楽に耳

       を傾けていた。

メ イ 「このトラックはどうかな~?」

コクテツ「最高!」

メ イ 「だけどぉ、まだまだこんなもんじゃないよぉ! こっからがスタート!

     シン、ちゃちゃっとお店の紹介して頂戴」

       メイはシンにマイクを投げ渡した。

シ ン  “OK! カッケーマイクはちょいと任せとけ!

     俺っちタイガー・ハーン・シン、家電のことなら任せて安心

     タイガー電機商会新進気鋭の二代目や。

     販売・修理・発明などなど、機械のことなら何でもやるで! 

     だけど、案外週2はお外でぶらぶら。そんな機会が欲しい奴。

     「いい塩梅でお仕事下さい、オーバーワークはご容赦ください」

     みたいに言っても毎日毎日来る人数多。

     オーライ、ならばヤルしかねぇ!

     今日も元気に頑張ります、あなたの町のでんき屋さん!”

       突然始まったシンのラップが終わると、彼とメイは背中を向け合い

       腕を組んでドヤ顔で轍洞院姉妹を見た。

シテツ 「いや… シンさんのお店の宣伝ラップを駅で流せないよ」

メ イ 「うん、ボクが提供するのはトラックだけ。あとは…」

       メイとシンは黙ってシテツを指差した後、揃って曲げた腕を小さく

       ポンポンと叩いた。

コクテツ「MCシテツ誕生!」

シテツ 「してないっ!」

コクテツ「でも、音楽は良いし、他に当ても無いから採用でいいね」

       シテツは黙って小さくうなずいた。




―イストシティ駅・プラットホーム―


       発車を告げるメイの曲が流れる中、シテツは恥ずかしそうにマイク

       を握りしめていた。

シテツ 「よっ… よー ちぇけら…… よー、よー」

       彼女が自信なさげにマイクに向かって「よー」を連呼していると、

       乗客の一人が足を止め何事かと彼女を見た。

シテツ 「よっ! よよよ!」

       不意に他人に見られた事でパニックを起こしたシテツは「よ」しか

       言えなくなっていた。

       そこに、拡声器を持ったコクテツがホームに響き渡る発車メロディ

       にノリながらやってきた。

コクテツ “まもなく発車、13時発のニュイン行き。

     乗車のルール守ってくれなきゃ、大惨事起きて病院行き。

     そんなの嫌なら、私のラップをようお聴き!

     駆けない、押さない、スマホしない。

     「カオス」のルールが乗車の基本。

     アンタがなろうぜその見本、皆がやれば異論も消える。

     やる事は簡単。イエローラインの内側に列に並んで、

     安全第一でLet‘s Go!”

       彼女が拡声器越しにサラリと乗車誘導をラップしてみせると、乗客

       達は綺麗に整列して順々にトーマスに乗り込んだ。

       マイクを強く握ったまま固まっているシテツの肩をポンとコクテツ

       が叩いた。

コクテツ「ちゃんと練習しといてね」

シテツ 「はい…」

       シテツは小さく頭を下げるとマイクを姉に渡した。




―トーマスの中・車掌室―


       シテツは運行中にもかかわらず、右腕を大きく振ってリズムを取り

       ながら左手に持ったスマホから流れてくる音楽を手本にしてなぞる

       ように小さな声でラップ練習をしていた。

コク声 「ピンポンパンポ~ン♪ 業務連絡及びお客様にお願いを申し上げます。

     運行の安全性の向上のために只今から車掌のマイクパフォーマンス練習

     を行います。この間、ご乗車中のお客様各位にはズン・ズン・チャッの

     リズムで手拍子をご協力お願いいたします」

       何の前触れも無く流れた車内アナウンス。

       シテツが何事かとコクテツに聞き返す前に、車内全体が重く振動を

       始めた。

       それは既に乗客達がリズムを刻み始めた振動だった。

       椅子に腰掛けた客達は交互に足を踏み鳴らし、手を叩いた。立った

       客達は全ての音で大きく足を踏みならしていた。

コク声 「ご協力ありがとうございます、素晴らしいです! では、マイク練習を

     始めますのでそのままでお願いします」

       慌てふためいたシテツは助けを求め誰も居ない周囲をキョロキョロ

       と見回した。

コク声  “飛び交う電波のサイクロン、車内で使うなマイクロフォン! 

     心当たり? Don‘t take this personally.

     レッスン! 練習、小細工無しでスキルを見せて。

     ところで、しーちゃんのマイクどこ?”

       コクテツが車内放送でラップをすると、乗客達のリズムを刻む音が

       大きくなった。

コク声  “リズムに乗れば簡単さ、温度差超えてアンサー頂戴”

       自分の番だと分かっていなかったシテツは慌ててマイクを手に取り

       乗客達のリズムに頭を縦に振り始めた。

シテツ 「うぃ~ うぃる うぃ~ うぃる」

コク声 「著作権引っかかるから歌っちゃダメ!」

シテツ 「ゴメン… リズムがアレだったから」 

コク声 「No、No普通に喋ってもダ~メ!」

       コクテツのダメ出しと共に、乗客達もシテツを煽るように足を踏み

       鳴らす音を大きくしていった。

       シテツは自分を駆り立てる奇妙な一体感を得た車内の空気に完全に

       戸惑っていた。 

       しかし、彼女は覚悟を決めて、体を大きく縦に揺らしリズムを取り

       始めた。

シテツ  “いきなり来ました言葉のハリケーン、

     警報出ててもどうすりゃいいのこの案件。

     剣も盾も無いのに一人で行くの大冒険?

     無我夢中で五里霧中を無闇に進んでご臨終。

     そんな結末しょっちゅう見てるよ!

     想像したらストレスの血中濃度が上がる上がる。

     NOと言っても、脳がショートしても、先読みの無意識で回る回る舌が

     織りなす裂織の衣。コーディネート一つで心も体も綺麗に代わる。

     お楽しみはここからWe will rock you!

     そんな訳でコク姉どーぞ!”

コク声  “ハイハイ、引き継ぎ了解。思ったよりもマジな状態、

     花札だったら迷わずこいこい、

     ついつい息継ぎ忘れるほどに引き続きアゲてく

     It‘s SHOW TIME!

     皆様を快適な旅へご招待、それがデンシャのお仕事。

     だから無くしたいデンジャーな困り事。

     安全祈りに神社へ行こう車両ごと、

     ちょっと疲れたからジンジャエール飲んで休もっと。


     はい、復活! 

     車掌のマイクも上々、サービス向上、調子に乗って株式上場。

     それもコレも皆様の日々の温情、忘れた途端に大炎上。

     ここまで全て捕らぬ狸の皮算用!

     テレビも無ぇ、ラジオも無ぇ、って事は無いけれど。

     今の話は本当に無ぇ!

     ねぇねぇ、しーちゃん今どの辺?”

シテツ  “そーね、大体ねぇ”

コク声  “今どの辺?”

シテツ  “まだ遠い。 …って思うじゃん?

     グッズリバーを出て10分、練習時間はもう十分。

     猛獣使いの飴と鞭、その気にさせる巧妙な手口。

     そんで無知な私がラップしているわけで。

     その間一切の近道無ぇ、寄り道無ぇ、定刻通りに着かない訳無ぇ!

     まもなくニュイン、ニュインに到着です”

       二人のラップ掛け合いが終わるのに合せてトーマスの体はニュイン

       駅のホームへと滑り込んだ。

コク声 「えむしーちゃん、グッジョブ!」

シテツ 「ありがとう。でも、MCシテツはやめて」




―イストシティ駅・プラットホーム―


       姉妹がラップアナウンスを始めてから数週間後。

       駅構内にはそれまでには無かった小さな人だかりが点々と散在して

       いた。

シテツ 「駅構内でのMCバトル及びサイファーはおやめ下さい」

       シテツが普通にアナウンスをしても何も変わらなかった。

コクテツ「ここ最近で聖地と化したよね」

シテツ 「ここはホールじゃなくてホームだよ…」

       呆れ顔を浮かべるシテツにコクテツはマイクを渡した、

シテツ 「何でマイク?」

コクテツ「ラップで言えばみんな聴くでしょ」

シテツ 「あー、なるほどね。じゃ、適当にトラックお願い」

コクテツ「OK、じゃ行ってみよー」

       ノリノリのシテツは流れ始めた発車メロディに合わせて体を揺らし

       始めた。

シテツ  “えー、まだ発車はしません。


     普通に言っても言う事聞かん皆様方に注意喚起。

     駅構内を換気するためMCバトルは即禁止、関係ない人の五感に触れる

     遺憾な集会。マナーは守らなきゃいかんの、了解?”

       調子に乗って、気分良くアナウンスしていたシテツの手から通りか

       かったモーノがマイクをブン取った。

モーノ  “だったら、お前がワックなラップやめぃ!

     アレもダメ! コレもダメ! 言ってるお前が一番ダメ!

     そもそも、キャンキャン吠えるの何のため?

     散々独りだけで喋ってばかりで、俺らの声は聞こえるの?”

       突然、妨害された上に挑発されてムッとしているシテツにモーノは

       「掛かって来い」と言わんばかりに小さく手招きをしながらマイク

       を返した。

シテツ  “ちょっといきなり何ですか、挨拶無しで即Disか。

     成立し得ないディスカッション。こっちは仕事、そっちは遊び、端から

     見えてるその綻び。

     謝罪はいいから、早くみんなで列にお並び。それで丸く収まる事の運び”

       シテツはモーノを追い払うように手を払った。

       しかし彼は従わずに再び彼女からマイクを奪った。

モーノ  “会話のできない馬鹿が一人、この界隈きっての耳無し芳一。

     何回話題を振っても意味無し。正直、石か岩と話す方がマシ。

     医者に栄養不足とか言われたか?

     だったら、カイワレ食ってまともな脳みそ作って。真っ当な言葉、俺に

     ばっか言わせんな!”

       モーノがシテツにマイクを変えそうとすると、いつの間にか二人の

       周囲にできていた人だかりから歓声が上がった。

       苛立ちをハッキリと露わにしたシテツは彼から差し出されたマイク

       を奪うように取り上げた。

シテツ  “話を聞いてないのはそっちでしょ! 私は仕事だって言ってんでしょ!

     しょうがないから、もう一回だけ言いましょう。

     車掌の私は駅の環境美化に一生懸命。この大変さは日常的に我が物顔の

     あなた方には一生分かんねぇ”

       周りの観客達はシテツに一斉に大きなブーイングを浴びせた、その

       中でモーノは彼女からマイクを取り上げた。

モーノ  “お前だけラップする理由になってねぇよ!

     客の声も聞かずに何やってんだよ、「仕事」を理由に自分の仕事担って

     ねぇだろ。

     俺のお小言が大事になったんじゃ遅いぞ。

     もう一度、一通り言う事聞いてやる。だから、完璧に納得させてみろ!”

       歓声に包まれる中、モーノは余裕のしたり顔を浮かべながらシテツ

       にマイクを差し出した。

       彼女は彼を睨み付けながらマイクを取った。

シテツ  “お望み通り言いましょう、私がラップする理由。 ……

     理由……? えっ、え~っとぉ…  ……

     …… ……

     ……”

       突然言葉が出なくなったシテツは目を泳がせて固まってしまった。

       弱々しく立っているだけの彼女を見かねたモーノは観客にマイクを

       よこすように手で合図を送った。

       すると、観客の中に居たコクテツが彼にマイクを投げ渡した。

モーノ  “ノックアウトでもタップアウトでもお前の負けには変わりねぇ、意識が

     ブラックアウトする前に言っておく。

     率直言うと、仕事だって事は俺も分かる。だけど、ラップでもシャウト

     でも必要かって話。その上でお前のは違うと自分勝手なのは無し。

     ナウと過去でお前も変わった、なんてカッコ付けた俺は分かった風に言う

     けど、結局の所、お互いに通じ合う所は一緒で、俺らも手放したくない

     この楽しみ。

     分かんだろ? 隠し球でタッチアウトのような悲しみ。

     おっと、そろそろ時間だ。タイムアウトは御免だ。

     きっとまた会う時は、もっとやり合おうぜっ!”

       発車メロディが終わり、モーノがマイクを高く掲げて勝ち誇ると、

       割れんばかりの歓声がホームを包み込んだ。

       勝者を称える輪の中で、膝から崩れ落ちた敗者はマイクを手放して

       地面に両手を突いていた。




―轍洞院家・リビングルーム(夜)―


       モーノ戦に完全敗北したシテツはできたての食事を目の前にしても

       ショックから立ち直れないでいた。

コクテツ「さ、食べよ」

       ボーッとしている彼女の前にコクテツが缶ビールを持ってきた。

シテツ 「コク姉飲むの?」

コクテツ「だって、今日のしーちゃんモーノ君にボコボコにされた午後は使い物に

     ならなかったから疲れたんだもん」

       さりげなくトラウマをえぐられ渋い顔を浮かべているシテツの前で

       コクテツはビールの缶を開けた。

コクテツ「モーノ君とのバトルに乾杯!」

シテツ 「それって私をディスってる?」

       睨み付けてくるシテツを全く気に留めずコクテツは缶からそのまま

       ビールを飲み始めた。

コクテツ「うんにゃ、いい授業だったと思うよ。だから純粋に彼への感謝を込めて

     の乾杯」

       シテツは静かに目を閉じ、嫌な思い出でしかない今日のことを思い

       出していた。

シテツ 「まぁ… 確かにモーノさんの意見は正論だったし、私もちょっと調子に

     乗ってたけど……」

       しばしの沈黙の後、彼女はガバッと目を開いた。

シテツ 「超悔しい! とにかく悔しいの!」

       コクテツはビールを飲みながら小さくうなずいた。

コクテツ「… 意外とアツいじゃん」

       缶を口元から離した彼女がふとつぶやいた言葉がシテツを満たして

       いた苛立ちを一瞬でかき消した。

コクテツ「そんなに悔しがるって事は、ラップに対してマジなんでしょ?」

       彼女は空になったビールの缶をテーブルに置くと、真っ直ぐシテツ

       の目を見た。

コクテツ「私は何かラップのことを教えるとかはできないけど、応援するってこと

     はできるから。しーちゃんのやりたいことを…」

シテツ 「ゴメン、そういうつもりじゃなかったんだけど」

       シテツはコクテツのマジな言葉を遮って否定した。

コクテツ「えっ! しーちゃん、これからMCバトルの旅に出てストリートで成り

     上がって、ラップで世界を変えていくって」

シテツ 「無い無い、そんなつもり微塵も無いです」

コクテツ「じゃあ、次回の『リリカル エクスプレス♭♭♭』どうするの!」

シテツ 「どうもこうも、そんなの無いでしょ」

       勝手に騒然としているコクテツに呆れながらも、ショックから立ち

       直ったシテツは少し冷めた料理を食べ始めた。

シテツ 「そもそもなんだけど。別にさ、ラップでアナウンスする必要無いよね」

コクテツ「うん、無いよ」

シテツ 「えっ! 無いの!」

       予想外の即答をもらったシテツは目を丸くした。

コクテツ「普通に考えて要らないじゃん。毎回ライムとか考えるの面倒くさいし」

シテツ 「じゃあ何で、あの時メガホンで割り込んできたの!」

コクテツ「だって、しーちゃんが「チェケラッチョ」とか言ってたから。「あぁ、

     やる気なんだな…」って思ったんだけど」

シテツ 「いやいやいやいや、嫌でしたよ。やりたくなかったからモロ素人丸出し

     だったんですよ」

       必死に弁明をするシテツを残して、コクテツは冷蔵庫から二本目の

       ビールを取ってきた。

コクテツ「ふ~ん… でもさ、デンシャの中でのデモンストレーションはなかなか

     良かったよ。んでもって、あれでモチベーション上がったんでしょ? 

     勿論、私も面白いと思ってたし。アナちゃんのデモニック航空には無い

     やり方だから、ウチの売りにでもしようかなって思ってそのまま放置は

     承知の通り」

シテツ 「そこ韻踏む必要無いんじゃない? 確かに、琴線に触れた新鮮な刺激は

     あったけど、必要無いんじゃもうやる事ないよ」

コクテツ「でも、楽しいじゃん? たとえ無駄だとしてもやっちゃダメだって事は

     ないでしょ。コレにしたら将棋倒しの危険性減ったし。秀逸な企画だと

     思うよ。週一、週二… 月一でいいから続けてみるのはどうかな?」

シテツ 「そーね… OK、まずは不定期でやって様子を見る。それで、お客さん

     側とたまり場にしない協定結んだり、想定される問題が大体解決したら

     定期開催に切り替えていこう」

コクテツ「意外としーちゃんも抜けきっていないね」

       無意識のうちに自分も韻を踏んでいた事に気が付いたシテツは固く

       口を閉ざしてしまった。

コクテツ「別に気にしなければいいんじゃない?」

       声を掛けられたシテツの真一文字に結ばれた口が緩み始め、彼女は

       諦めたように笑い始めた。

シテツ 「そうなったら職業病だよ」

       彼女の言葉に笑い返し、コクテツは二本目の缶を開けた。




                       〈サブストーリーその7 終〉

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