その4 ~セルリアン家メイド名簿 2 『鉄人 in the kitchen』~

―セルリアン家・食堂―


       これも、アナお嬢様が轍洞院姉妹と出会うちょっと前のお話。


       食事を待つアナの目の前にジャルがカップ麺と湯気の立つヤカン

       を置いた。

ア ナ 「何コレ」

ジャル 「飯ですよ」

ア ナ 「カップ麺そのままって、ありえないでしょ!」

       怒るアナを前にしてもジャルはキョトンとしていた。

ジャル 「聞いてないっすか? マッシヴ料理長入院したんすよ」

ア ナ 「嘘ぉ! 何で!」

ジャル 「筋トレに失敗して大胸筋がぶっちぎれたみたいですよ」

       ジャルの説明にアナは口を大きく開けて唖然としていた。

ジャル 「いやぁ、ボディビルダーも大変っすね」

ア ナ 「いや、あの人の本職はシェフでしょ!」

ジャル 「いいえ、まごう事なきビルダーっすよ。料理は栄養管理の一環で始めた

     って言ってましたよ」

       再びアナは口を大きく開けて唖然とした。

ジャル 「と言うわけで、しばらくはカップ麺及びコンビニ弁当生活です」

ア ナ 「は? 料理くらい誰かできんでしょ!」

ジャル 「料理だけならAJとかができますが、料理長の50キロのフライパンを

     誰も振れないんですよ。さらに他の調理器具も全てメチャメチャ重いん

     です。アタシも無理でした」

       アナは諦めてカップ麺にお湯を注ぎ始めた。

ア ナ 「マッシヴさんには悪いけど、まともな料理人雇うよ…」

ジャル 「えっ! この前もメイドを二人増やしたばかりっすよ。それにお嬢様、

     マッシヴ料理長の料理と上腕二頭筋が好きだったじゃないっすか!」

ア ナ 「筋肉はともかく… 料理はすごく美味しいけど、あの人こうやって穴を

     開ける事が多いじゃん。ちょっと前も大会に出るって言って休んだし。

     だから、サブで良いからもう一人必要でしょ」

ジャル 「確かに… 料理長って言ってもシェフはあの人だけですからね」

       腕を組んで考え始めたジャルをよそにアナはカップ麺を見ていた。

ア ナ 「ねえ、今何分経った?」

ジャル 「知らないっす」

ア ナ 「計っててよ!」

       彼女は慌ててカップ麺を食べ始めた。

ア ナ 「固い…」




―セルリアン家・応接間―


       アナ、AJ、イーグル、ジャル四人が長机に並んで座っている前で

       タンクトップ姿の筋骨隆々のマッチョマンが椅子に座っていた。

ア ナ 「そ… それでは、自己アピールをお願い…」

マッチョ「ハイ」

       マッチョマンは立ち上がると屋敷の者たちに筋肉を見せつけるよう

       にポージングを始めた。

ア ナ 「あの… 筋肉じゃなくて、あなたの職歴というか料理のスキルを聞きた

     いんだけど…」

マッチョ「えっ? 料理ですか、自分はラーメン屋でバイトしてました」

ア ナ 「そ… そう……」

       彼女が横をチラリと見ると、AJとイーグルは仏像のようにピクリ

       とも動かず、ジャルは審査書類に落書きをしていた。

ア ナ 「じゃあ、これで面接は終了」

マッチョ「わかりました。では、失礼します」

       マッチョは筋肉をアピールしながら去って行った。


       少し青ざめた顔でアナは口を押さえた。

ア ナ 「おえっ… 10人連続でマッチョってどういう事なの…」

A J 「何か勘違いされている気がしますね」

       アナはジャルに鋭い視線を送った。

ア ナ 「どんな募集を掛けたの!」

ジャル 「どんなって、料理長の指示通りっすよ」

       ジャルがアナに一枚の紙を渡すと彼女はそれに目を落とした。



       来たれ兄弟!

       日々鍛え上げたその肉体で素晴らしい日々を送ろう。

       プロ・アマ問わず。やる気と元気があれば何でもできる。

       目指せ、未来のマッスルエリート!



ア ナ 「何コレ… 筋肉しか呼んでないじゃん!」

ジャル 「下の所よく見てください、小さいですけどちゃんと業務内容・調理及び

     アシスタント業務って書いてありますよ」

       紙をよく見ると、米粒程の小さな文字であったが彼女が言った通り

       書かれていた。

ア ナ 「呼ぶ気無いだろ!」

       アナは怒りに任せて紙を破り捨てた。

       その横でAJはすかさずスマホを取り電話を掛けた。

A J 「もしもし、シナモンさん? 今回来てもらってるマッチョメンにココは

     ボディビル大会の会場じゃないことを伝えて。ええ、帰ってもらっても

     構わないわ」

       AJは電話を切ると大きなため息をついた。

A J 「とりあえず、ただのマッチョマンにはお引き取り願いました」

ア ナ 「ありがとう…」


―― 1時間後


A J 「分かったわ、それでお願い」

       AJはスマホを耳元から離すと、大きなため息をついた。

A J 「シナモンからの報告では、一人しか残らなかったそうです」

ア ナ 「マジで…」

A J 「とりあえずその人を面接しましょう」

ア ナ 「そうだね、よっぽどじゃなきゃ採用決定だけど…」

       アナは呼び鈴を鳴らした。

ア ナ 「どうぞ、入って」

       応接間の扉が開き腰程までの長い黒髪をツインテールにわけた女性

       モモ・カンクーが飄々と入ってきた。

ア ナ (良かった… 久々に普通の人見た)

       アナを始め安心した様子の面接官たちにモモはニッコリと笑い軽く

       手を振った。

モ モ 「どーも、料理人探してるんだって?」

ア ナ 「ええ、そうなの。あなたの料理歴は?」

モ モ 「そんなの生まれてから死ぬまでじゃない?」

       軽く笑いながらモモは椅子にどっかりと座った。

ア ナ 「えっと… どこか有名なお店で修行したとか。今入院している料理長は

     ムッシュ・ムラムラのお店で5年修行したって」

モ モ 「あぁ… 修行なら大泰山でしてたよ」

ア ナ 「山籠もりで修行って…」

モ モ 「山でロウ・サンジンって爺さんに色々と教えてもらった」

       彼女の言葉にAJとイーグルが椅子から立ち上がった。

A J 「貴方、ロウ・サンジンの弟子なの!」

モ モ 「弟子っていうか一緒に住んでただけ」

ア ナ 「えっ、その人有名なの?」

イーグル「食仙と呼ばれた方です。あまりにも偉大すぎて架空の人物だとまで言わ

     れています」

       モモはイーグルの説明を聞き、豪快に声を上げて笑った。

モ モ 「アハハ、そんな風に言われてんだ。実際はただのエロジジイだよ」

A J 「そう言えるなんて本当に親しいみたいね。彼をわざわざ探してまで会い

     に行ったのかしら」

モ モ 「まさかぁ、遭難したところを面倒見てもらっただけだよ」

A J 「じゃあ、あまり長い時間は一緒じゃなかったの」

モ モ 「何だかんだで、10年は一緒に暮らしてたかな」

       彼女が予想した答えの斜め上を行く回答にAJは額を小さく押さえ

       ながらチラリとイーグルを見て彼にバトンを託した。

イーグル「10年も一緒だった人の元を離れるということは、独り立ちを意識して

     の事か?」

モ モ 「いや、麓の老人ホームのお姉ちゃんが可愛いからそこに行くってジジイ

     が言い出して、一緒に山を下りたんだ」

イーグル「その後は」

モ モ 「仕方なく帰ってみたけどさ、家があった所が道路になってた」

       突如重い空気に包まれた面接官たちに彼女は明るくニカッと笑って

       見せた。

モ モ 「ま、そんな事情なんで雨風しのげる寝床が欲しいって言うのがこっちの

     言い分」

       面接官たちは顔を見合わせヒソヒソと話し合った。

       そして、結論が出るとアナが立ち上がった。

ア ナ 「貴方の言い分は分かったし、こっちはもっと良い条件を提示するつもり

     だけど…」

モ モ 「だけど?」

ア ナ 「貴方の話や腕の判断材料として、貴方の作った料理を食べさせてくれる

     かしら?」

       モモは指をパチンと鳴らした。

モ モ 「そう来なくっちゃね」




―セルリアン家・調理室―


       一行はキッチンシンクからパン焼き釜まで揃った清潔感漂う調理室

       に入ってきた。

ア ナ 「そういえば、調理室って初めて入ったかも… って、いや待て待て! 

     アレはおかしいでしょ!」

       アナの視線の先、業務用の大型冷蔵庫の隣には大型のトレーニング

       マシンが置かれていた。

A J 「他にもありますよ…」

       AJが指をさした先にはベンチプレス台やダンベルなどのウエイト

       トレーニング用具一式が置かれていた。

ア ナ 「あの脳筋め…」

イーグル(良い設備だな、今度私設軍のトレーニングで使わせてもらえないか彼に

     頼んでみるか)

       充実したトレーニング設備はそっちのけで冷蔵庫の中身を確認して

       いたモモにAJが声を掛けた。

A J 「ごめんなさい。この状況じゃまともに料理ができそうにないわね」

モ モ 「別に気にしないでいいよ。それより食材をこっちで用意したいから時間

     をもらっていい?」

       彼女の返事にAJはキョトンとした。

A J 「別に構わないけれど… 今ある物じゃダメかしら?」

モ モ 「どれも良い物だってのは分かるんだけど、どうせやるなら最高の料理を

     提供したいからね」

A J 「そう… なら、その時間でこちらもココを使いやすく改修しておくわ」

モ モ 「どーも、んじゃ準備できたら連絡するね」


―― 三日後


       トレーニング器具が全て撤去されてすっきりとした調理室をモモと

       AJとアナが見回していた。

A J 「どうかしら? 調理器具も一般的な物に新調しといたわ」

モ モ 「どーも、アレちょっと重かったし助かるよ」

A J (ちょっと?)

バニラ声「待って、待って! 止まってくださーい!」

       AJがモモのさりげない言葉に疑問を抱いた瞬間、廊下からバニラ

       の悲鳴に近い叫び声が聞こえてきた。

A J 「何かしら」

ア ナ 「見てくる?」

A J 「そうですね」

       AJはフライパンの感触を確認しているモモを見た。

A J 「貴方はどうする?」

モ モ 「う~ん、まだ材料が到着してないから一緒に行こうかな」

       三人は部屋を出ていった。




―セルリアン家・廊下―


       三人が調理室から出てくると、身長2メートルを超える全身が筋肉

       モリモリの褐色の大男が取り押さえようと組み付いたバニラを引き

       ずりながら調理室へ向かってきていた。

A J 「ボブ・サップ… じゃなくて、マッシヴ料理長どうしてこちらに」

       AJに呼び止められたジャン=ジャック・ド・マッシヴ料理長は足

       を止めぐったりと事切れたバニラを引き剥がし、彼女を廊下の隅へ

       優しく抱えて運んだ。

マッシヴ「新しいボディビルダーを雇ったと聞いたので、どんな方かと見に来たの

     ですよ」

ア ナ 「ビルダーじゃない! ていうか、怪我は大丈夫なの?」

マッシヴ「大丈夫ですよ、ステロイドを打ってきましたから」

ア ナ 「痛み止めみたいに言うな!」

       料理長とモモは自然と目が合った。

マッシヴ「貴女が新しく来られた方ですか」

モ モ 「そう、よろしく」

       料理長は彼女の体をまじまじと見始めた。

モ モ 「この服変?」

マッシヴ「いいや… 女性である貴女には少し申し訳ないのですが、一度服を脱い

     でいただけませんか」

モ モ 「いいけど、何で?」

アナAJ(いいのかよ!)

マッシヴ「体を鍛えなくては良い料理は作れないので、貴女の体の仕上がりをこの

     目で確かめたいのです」

モ モ 「あいよ、分かった。ま、ご期待に添えられるか分からないけど」

       彼女は服のボタンを全て外すと、全ての服を一枚のマントのように

       大きく投げ捨てた。

ア ナ (どうやって脱いだ… って、ええっ!)

       スポーツ下着だけを纏った彼女の体は無駄な肉が一切無い研ぎ澄ま

       された物だった。しかし、それ以上に皆の目を引いたのはその肉体

       に刻まれたいくつもの生々しい大きな傷痕だった。

ア ナ 「何なの! その傷…」

       周囲の驚きに反して、彼女は虫刺されでも見るように自分の体の傷

       を見た。

モ モ 「ん? コレは食材を調達したときのヤツだよ」

A J 「熊と戦った様な傷ね…」

モ モ 「あー、熊は先週獲ったかな? 一番新しいのはコレ」

       彼女は笑いながら肩の肉がえぐれた所を指さした。

モ モ 「今日使うロック鳥の卵獲りに行ったんだけど、ちょっとヘマして親鳥に

     見つかっちゃってさ。足で捕まれたときに爪がグサッてね」

       ケラケラ笑いながら話す彼女にアナとAJは言葉を失っていたが、

       料理長だけは真剣に彼女の体を見ていた。

モ モ 「寒くなってきたから、もう着ていい?」

マッシヴ「はい、すみませんでした。筋肉量としてはまだまだ増やせそうですが、

     女性らしいラインを作り出す全体のバランスと調和が素晴らしいです。

     実に美しかった、ありがとう」

       モモは服を着ながらはにかんだ。

モ モ 「よかったぁ… 体なんて気にしてなかったから、ちょっと焦ったよ」

       彼女が服を着終えると、ジャルが息を切らせながら自分より一回り

       大きな鳥の卵を抱えてきた。

ジャル 「コレ、どこに置くんすか…」

モ モ 「キッチンに運んどいて」

ジャル 「はぁい……」

       彼女は休む間もなく卵を抱えたまま調理室へと向かっていった。

モ モ 「さて… 材料も来たし、新鮮なうちに始めるよ」

A J 「ええ、お願い」

       モモはニカッと笑うと調理室へと戻っていった




―セルリアン家・食堂―


       席に着いたアナ・AJ・イーグル・料理長の四人の前に皿に盛られ

       た真っ白い塊がジャルによって運ばれてきた。

ア ナ 「はんぺん?」

A J 「ホワイトオムレツですよ」

       AJに指摘されたアナは顔を真っ赤にした。

ア ナ 「わ、分かってるよ! みんなを和まそうとボケただけ!」

       遅れてモモが食堂にやってきた。

モ モ 「さてさて、どうぞ召し上がれ」

       勧められるままにアナが最初の一口を食べようとしたのをイーグル

       が横取りして食べた。

ア ナ 「ちょ! 自分の食べなさいよ!」

イーグル「いえ、安全を確認するのが私の役目ですので」

A J 「それで、味はどう?」

イーグル「ふむ… 歯触りは非常に柔らかく、舌の上でほぐれるようだ。味は口に

     入れた瞬間は卵白とは思えない卵のコクが深く強いのだが、それが波の

     ように静かに引いていき実に清々しい」

       彼の言葉を聞いたAJは一口食べてみて恍惚の表情を浮かべた。

A J 「あっ、やわらか~い❤ すごくおいしい。あぁ、コレ好き❤」

ア ナ 「AJ食レポ下手すぎ…」

       アナの言葉にムッとしたAJは一つ咳払いをした。

A J 「あまりにも美味しかったもので言葉が出ませんでした」

       二人の反応を見た後のアナはワクワクしながらオムレツを切り分け

       口へと運んだ。

       丹念に咀嚼し、しっかりと味を確かめる彼女に注目が集まった。

       そして、彼女はオムレツを飲み込み大きく息をついた。

ア ナ 「…… 美味しかった」

A J 「お嬢様が一番ダメじゃないですか」

マッシヴ「では、最後は私が」

       アナとAJの間の険悪な空気を払うように料理長が声を掛け、一口

       食べた。

       その直後、ゴゴゴと地響きが屋敷全体を揺らし始めた。

ア ナ 「えっ、地震…」

マッシヴ「お嬢様ご安心を、この揺れは私の全ての筋肉がこの料理に対する感動の

     あまり震えているのです」

ア ナ 「震源地が真横って安心できるか!」

マッシヴ「今静めます… ヌゥオォォォォォォッ!」

       彼は雄叫びを上げながら全身に力を込めサイドチェストと呼ばれる

       ボディビルのポーズを取った。

       すると、屋敷の揺れはピタリと止まった。

イーグル(人体だけで地震を起こせるとは、彼は生物兵器だな……)

       呆然としている他の者たちを気に止めず、料理長は大きく息を吐き

       ポーズを解いた。

マッシヴ「味、食感、見た目の美しさ。それは先ほどイーグル氏が仰せの通り申し

     分ない。しかし、一番大事なことは彼女がホワイトオムレツという品を

     用意したこと」

A J 「確かに、もっと手が込んだ物が出てくると思ったわ。でもどうしてこの

     チョイスが大事だったの?」

マッシヴ「それはっ! コレがっ高タンパク・低カロリー・低脂質の優良マッスル

     メニューだからですっ!」

       一瞬で彼以外の視線がモモへと向けられたが彼女は大きく首を横に

       振った。

       料理長は席を立ち、真っ直ぐにモモの元へ歩み寄った。

       そして、片膝を付いて深く頭を下げた。

       さすがにこれには彼女も困ったように笑った。

モ モ 「いや、深読みしすぎだって… 頭上げてよ」

マッシヴ「いいえ、貴女は料理だけではなく肉体もその全てがパーフェクトです。

     マドモアゼル、ぜひ結婚してください」

       料理長の突然すぎるプロポーズに誰もが驚き固まった。

モ モ 「…… ゴメン、マッチョあんま好きじゃないんだよね」

       彼女が断ると食堂内は長い静寂に包まれた。

       ゴゴゴ…

マッシヴ「フンッ!」

       再び屋敷が揺れ始めた瞬間、料理長はフロントダブルバイセップス

       というポーズを取り揺れを静めた。

モ モ 「地震起こすほどショックだったのは悪かったけど、やっぱ好みってある

     から…」

マッシヴ「いいえ、貴女のお気持ちは分かりました。つまりは私がただのマッチョ

     なので貴女に受け入れてもらえないのです」

ア ナ (いや、分かってねえよ…)

マッシヴ「なので、私は更に鍛え貴女のマッチョ概念を超越したスーパーマッチョ

     になって再び貴女からお返事を頂きに参ります」

ア ナ (どんな理論だよ!)

モ モ 「う~ん… スーパーよりもハイパーマッチョとかウルトラマッチョなら

     考えるかも」

ア ナ (いいのかよ! てか、更に上を求めたよ!)

マッシヴ「分かりました、究極無敵銀河最強になって貴女の元へ戻ってきます」

       彼はスッと立ち上がり全速力で走り出し、そのまま窓を突き破って

       屋敷を出て行った。

ア ナ 「普通にドアから出て行けよ…」

       二人のやりとりに疲れたアナの口からツッコミが出てしまった。




―セルリアン家・アナの部屋―


       料理長が食堂の窓を破壊してから一週間が経った頃。

       アナとモモが優雅に午後のティータイムをしていた。

モ モ 「いいお茶だねぇ」

ア ナ 「ジャルじゃなくてAJの方が美味しいよ」

ジャル 「えっ… それマジで言ってますか」

       ショックを受けたジャルにモモはニッコリ笑いかけた。

モ モ 「味は雑だけど気持ちが籠もってるから、いいお茶だよ」

ジャル 「それ喜んでいいっすかね…」

       ジャルは苦笑を返すことしかできなかった。

モ モ 「ところで、今晩は何食べたい?」

ア ナ 「えっと… お肉かな。でも、脂っこいのはダメ」

       モモは腕を組んで考え始めた。

モ モ 「じゃあ、龍肉がいいけど… 在庫無いしなぁ…」

ア ナ 「龍なんて食べれるの!」

モ モ 「食ったこと無い? じゃ、今度ちょいと獲ってくるよ」

ジャル 「ちょいとって… 専用の道具とかあるんすか?」

モ モ 「ん? 食材は傷めたくないから素手で獲ってくるよ」

       アッケラカンと話す彼女にアナとジャルは驚き口を開けていた。

バニラ声「止まれ! 止まれ! 止まれぇ!」

シナ声 「来るな化け物!」

       外からバニラとシナモンの叫び声やメイドたちの悲鳴が聞こえると

       AJが慌てて部屋に入ってきた。

A J 「お嬢様! 大変です、料理長が帰ってきました!」




―セルリアン家屋敷前―


       逃げ惑うメイドたちをかき分けながらアナたちが屋敷の前に走って

       くると、人型というよりは歪な星形の何かが屋敷に向かって地響き

       を起こしながら歩いてきていた。

ア ナ 「えっ… アレが……」

A J 「はい、あの歩く筋肉の塊が料理長です。万が一に備えてイーグルが軍の

     出動準備を行っています」

       彼女の言葉を聞いたモモは怪物と化した料理長の元へと走って行った。

マッシヴ「おお、マドモアゼル! どうですかこのウルティモマッチョボディ」

モ モ 「すごいね! さっそく試そうか」

マッシヴ「試す?」

       追いついたアナたちにモモはニッコリと笑いかけた。

モ モ 「ここって闘技場あったよね」

A J 「ええ、私設軍の訓練やお嬢様の武術の稽古で使ってるわ」

モ モ 「んじゃ、そこで彼と手合わせするから案内よろしく」

マッシヴ「待ってくれ、私は女性に手を上げるような事はしたくない」

モ モ 「じゃ、結婚無し」

       料理長とAJはしばらく無言で見つめ合った。

A J 「こっちよ、付いてきて…」




―セルリアン家・闘技場―


       石でできた大きな碁盤のような台の上にモモと料理長が向かい合っ

       て立っていた。

       リングの下から心配そうな顔をしたAJが準備運動をしているモモ

       に声を掛けた。

A J 「一応聞いておくけど、貴方は格闘技の経験があるのかしら?」

モ モ 「戦い方は食材調達と風呂場で覚えた」

A J 「野生動物と… 風呂場?」

モ モ 「風呂に入ろうとするとジジイが体触りに来たんだよ、それを懲らしめる

     ためにね」

A J 「そ、そう… とにかく無茶はしないでね」

モ モ 「あいよ~」

       飄々と準備運動を続けるモモは料理長にニコッと笑いかけた。

モ モ 「嫌だろうけど、本気で来なよ。弱っちいカマキリのオスは交尾前にメス

     に食われちまうからね」

マッシヴ「…… マドモアゼル、ご忠告感謝する。私からは早めにギブアップする

     ことをお勧めする」

       料理長は大きく息を吸い込み全身に力を込めてモストマスキュラー

       と呼ばれるポーズを取った。

マッシヴ「フンッ! こぉぉぉぉぉぉぉっ…」

       彼が更に力を込めると全身の筋肉が隆起し、その体はタラバガニの

       ようにゴツゴツとした棘で覆われた。

マッシヴ「コレが私の本気、バトルマッスルモードであるっ!」

ア ナ (料理長、人を辞めちゃったよ)

A J (あの生物、筋肉だけで進化しちゃった…)

ジャル (もう一形態ありそう…)

       料理長の変貌ぶりにぞっとしている中、対峙するモモは準備運動を

       終わらせ大きなあくびをしていた。

モ モ 「それでいいの?」

マッシヴ「ずいぶん強気ですが、今の私は熊やロック鳥とは違いますよ」

       料理長が弾丸のようにモモへ飛びかかった。

       しかし、彼女はカウンターで彼の土手っ腹に蹴りを突き刺した。

       そのまま料理長は吹っ飛ばされリング外に落ちた。

モ モ 「…… 婚約破棄で」

       彼女がリングの外の料理長に背を向けると、彼はリングの上に飛び

       込むように戻った。

マッシヴ「もう一度、もう一度だけチャンスを」

       彼が力を込め全身を震わせると周囲を眩い閃光が包み込んだ。

       光が消えると、彼本来の大きさに戻り金属のように光り輝く肉体の

       料理長の姿があった。

マッシヴ「もう一度だけ、この姿でお願いしたい」

ア ナ 「料理長… 体どうなってんの?」

マッシヴ「筋肉の密度を圧縮し質量は維持したままで体を扱いやすい大きさに変え

     ました。そうですね、この形態の名前は今の色からメタル・マッシヴと

     呼びましょう」

ア ナ (なんかもうヤダ…)

A J (ダメだ… この生物の進化のスピードに私の思考が追いつけない)

ジャル (ほら、やっぱり最終形態あった)

       背を向けたままのモモを見つめる料理長。

マッシヴ「この姿なら貴方を満足させられるはずです」

       モモは背を向けたまま。

マッシヴ「もう一度お願いいたします」

モ モ 「いいけどさ、残像に呼びかけても無駄だよ」

       料理長の背後を取っていたモモは彼の首筋に手刀を打ち込み、彼を

       気絶させた。

ア ナ (そういえばこの人、素手で龍を倒せる)

ジャル (いや、捕食できるんだった……)

       モモは戦慄する観衆にニッコリ笑ってピースをした。

       そして、完全に失神している料理長の顔を覗き込んだ。

モ モ 「ま、結婚は無しで。とは言っても今の不意打ちは反則勝ちみたいなもん

     だから、まずはお付き合いからでいいんじゃない?」

       こうしてセルリアン家の筋肉祭りは幕を下ろしたのだ。

                       〈サブストーリーその4 終〉

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