③
成美は高校を出るまで運動を敬遠していた。無精というわけではなく、スポーツは体力があって運動が得意な人がやるもの、そうでない自分には無縁のもの、と決め込んでいたのだ。ダイエットも食事を制限する方法が専らだった。
高校時代の成美と真紀は、同じクラスになることがないまま3年間を終えた。共通の友人を介した交流はありながらも、見かければ声を掛ける程度の間柄だった。それがたまたま同じ大学に進学することになり、そこから意気投合した。
「マネージャーで構わないからお願い、ね?」
真紀に誘われるがままに、成美は男女混合のバレーボールサークルに入った。コートに入って練習をするつもりはなかったので、入った時にはバレーボール用のシューズさえ準備していなかった。
真紀は中学時代にバレーボールをやっていた。身長もそれほど高くなく、高校3年間のブランクを差し引いても決して上手い方とは言えなかったが、よく声を出し、チームを盛り上げるのが誰より上手かった。
そんな真紀の声に乗せられて成美も、高校時代から履いている体育館シューズでコートに入ってみる。最初はバレーボールというものを「両チームのエースがアタックやサーブを決め合う競技」だと思い込んでいたが、こぼれ球を拾って味方へ繋ぐことに面白さを見つける。大会などで高みを目指すようなサークルでなく、仲間うちで気楽にプレーできる雰囲気も手伝ったのかもしれない。次の日曜には真紀とシューズを買いに行った。
成美と真紀の学年は人数も多く、また仲も良かったので、卒業してからも月に一度は市営の体育館を借りて練習をしている。バレーボールの後は、練習後のファミリーレストランでのお喋りも同じように楽しんだ。充実していた頃の自分を定期的に確認できることは、成美の日々に落ち着きをもたらしていた。
人数が揃いそうもないと事前にわかっている時は、誰かが友達や同僚に声を掛けて集める。透も頭数としてそこへ連れてこられたうちの一人だった。
透は過ごし方を見つけられない場所が苦手だった。平日の公園、この状況がまさにそれだ。噴水の周りでは子供達が心から楽しそうにはしゃいでいる。それを少し離れた木陰から、お喋りをしながら母親達がにこやかに眺める。老人はベンチで本を読んでいる。
威勢の良い音と共に転がってくるボールを、透は足元で一旦受け止めて、有里へ蹴り返す。この子の運動好きは成実の血だろうか、と透は思う。電話の着信音が鳴った。
「電話だ、ちょっとごめんな」
ポロシャツの裾を煽いで風を入れながら、透はベンチに腰掛ける。慌てることなくショルダーバッグからスマートフォンを取り出した。職場の吉尾からだ。
「あ、菊池さん、お休みのところすみません。吉尾です」
吉尾の声は女性の中でも特に高く、電話口でキーンと響く。取引先との電話ではトーンを抑えるように、と透から何度か指導を受けていた。
「ああ。CTA社の件かな?」
「はい、そうです。先方が確認したいことがあるそうなのですが、ちょっと私で対応しきれない部分がありまして」
やれやれ。透には、昨日の引継ぎの時点からこうなることが見えていた。しかし午前中に電話が入らなかったので、吉尾のほうでスムーズに運べているのだろう、と淡い期待をしていたのだった。
電話越しに指示を出している後ろから有里が近付き、透が被っていたサファリハットを奪って逃げる。透は足音で気付いていたが、やられた!という顔で有里を見た。
「よし、そろそろ帰ろう」
「えー。お仕事に行くの?」
有里はその場で二度三度と軽く飛び跳ねて、抗議の意を示す。
「行かないよ。今日はお母さんも夜まで仕事だしな。雨が降りそうだから、ほら」
透は西の空を指差した。
「すごい! 黒い雲! 雨雲なの?」
後ろを振り向いた有里は、驚きとも喜びともつかない大声で透に訊いた。
「そうみたいだな。こっちに来る前に帰らないと」
「まだあっちの方だから大丈夫だよ」
まだ遊び足りないのか、こちらに向き直った有里はボールを蹴ってくる。透はそれを両手で拾い上げて、笑いながら言う。
「お父さん、びしょびしょになって帰るのは嫌だよ。ほら、みんな帰り始めた」
母親達は互いに会釈を交わし、別々の方向へ自転車を走らせる。三輪車の息子の背中を突いて煽る母親。ベビーカーの親子はもう一組も見当たらない。
公園を出ても、有里はまだボールを蹴っている。細かいドリブルはまだ難しく、5メートルほど蹴り出したボールに追いついてはまた蹴り出す。バス通りの横断歩道が近付く。
「有里」
拾い上げたボールを脇に抱えて、透は有里と手を繋ぐ。いつまでこうして手を差し出してきてくれるだろう、と透は思った。今年の花火大会は中止だろうか。
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