②
雨降りのバスというのは、妙にノスタルジックな気持ちにさせられるものだ。赤信号でエンジンが停止すると、時間の流れから解放されたような居心地の良さと屋根を打つ雨音に包まれる。フロントガラスに滲んだ景色をワイパーが鮮明に塗り直す、やけに大袈裟で、規則的な作動音。
座席でひんやりとした窓に頬杖をついて遠くを眺めていた透は、また視力が落ちたと感じていた。目を強く瞑りながら仕事のせいだろうと結論付ける。視力が良かった頃を比較基準にずっと置いているために、どんどん悪くなっていると錯覚するのだった。眼鏡の薄いレンズを隔てた先の世界にだって、どれほどの信用が置けるだろう。
透はバスの時間を間違えていた。ここの路線は土曜日と日曜日で本数が違う。しかし透は時間通りにバスが来ることなど期待しておらず、それを知ったところでどのみち同じ時間に家を出ていたのだった。実際のところ、この雨でダイヤは大きく乱れていた。
駅前でバスを降りると、雨が強くなっている。傘を畳みながら透は鼻で小さな溜息をつき、エスカレーターに乗る。背中に何かが当たった。後に乗った人の鞄だろうか。体を前に出し、一段上に足をかける。するとシャツの裾を引っ張られて、透は振り返った。
「あ、やっぱり先輩だ」
「え……、と」
改札階に着いてエスカレーターを降りる。
「佐藤。佐藤すみれだよ。ほら」
長い髪を揺らしながら、女性は太い黒縁の眼鏡を外す。
「あ、あぁーあ、佐藤かぁ」
「ちょっと、何その変なリアクションは。今はもう大柳すみれですけどね」
笑いながら眼鏡をかけ直すすみれの左手を、透はそれとなく確認した。薬指の指輪に不思議な安らぎを覚える。
「久し振りだね。今はコンタクトじゃないんだ」
「面倒なんだもん。あっ!そうそう、前にさぁ、伊勢丹のエスカレーターですれ違った時、無視したでしょ」
「覚えてないなぁ。人違いだったんじゃないの」
「えー、絶対先輩だったよ」
透は昔から気付いていなかったが、相手を追い詰める時に自然と口角が上がるのは、すみれの癖だった。
「そうかなぁ、目が悪くなったんだ。そのせいかもしれない。声を掛けてくれればよかったのに」
「先輩が眼鏡をかけていたから、私もその時はちょっと自信なかったんだよね。もう子供も大きいんだね」
「えっ。あぁ、子供といる時だったのか」
横目で電光掲示板を見る。次の電車が来るまではまだ10分以上あるらしい。
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