第73話 勇者と魔王、その六

「勇者様!」

「勇者様!」


 世界を救った勇者達は、国中から祝福された。

 貴族としての地位を受けた彼らは、毎日のようにパーティーに呼ばれた。美味い酒、今まで食べたこともないような料理の数々が彼らをもてなす。何日も、何日も彼らは国民から祝福を受け続けた。


 だが、半年を過ぎた辺りから、徐々に勇者達がパーティーに呼ばれる回数が少しずつ減り始めた。最初は、彼らの話を聞こうと大勢集まっていた者も一人、また一人とその数を減らしていった。


 さらに時が流れると、彼らを祝福する人間達はほとんどいなくなっていた。最初は飛ぶように売れていた彼らの冒険談をまとめた書物も、本屋の隅で埃をかぶり始めていた。


 貴族となった勇者達には、大きな城と大勢の使用人が与えられた。命を懸けて戦う必要はもうない。働かずとも衣食住が手に入り、贅沢できる生活。

 しかし、生まれた時から戦う事が当たり前だった勇者は、そんな生活に馴染めずにいた。やることもなく時間を持て余した彼は、使用人に何度も『何か手伝おうか?』と尋ねたが、使用人達は慌てた様子で『屋敷の仕事は私達がします。勇者様は何もせずにいてください』と言われた。

 剣の練習をしていても、『危ないのでお止め下さい』とか『もう、貴方様は戦わなくてよいのです』などと言われ、剣の練習もさせてもらえなかった。


 大きな屋敷で過ごす内、勇者の心にはポッカリと穴が開いていた。その穴は、時間が経つとともに少しずつ大きくなっていく。


『久しぶりに会わないか?』

 ある日、勇者はかつての仲間達に手紙を書いてみた。

 最初の頃は、よく集まっていたが、魔王討伐という仕事を成し終えた今、皆が集まることも減っていた。ここ数年は、誰とも会っていない。

 勇者は、かつての仲間達と会うことで。少しでも心に開いた穴を埋めたくなった。


 だが、勇者の呼びかけに応える者は誰もいなかった。


 どうして、誰も自分に会いに来ないのか?どうしても知りたくなった勇者は、仲間は今どうしているのかを屋敷の者に探らせた。


 一カ月後、仲間の今の様子が勇者に報告された。その報告を聞いた勇者は愕然とする。かつての仲間達は、堕落しきっていた。


 剛腕でどんな魔物も真っ二つにしていた大柄の男は、酒浸りとなっていた。

 常に酒瓶を手にし、一日中酒をあおっていた。足元はおぼつかず、まともに立つことも出来なくなっていた。アルコールが切れると手が震えだし、それを止めるためにさらに酒を飲むという悪循環に陥っていた。


 回復魔法や攻撃魔法に優れていた魔法使いは、散財していた。

 高価なドレスや宝石を買い漁り、屋敷の金を湯水のように使っていた。魔法使いの屋敷には一度着ただけのドレスや身に着けることもない宝石で溢れかえっていた。


 いつも紳士的で冷静だった猫人は、体が何倍にも膨らんでいた。

 毎日、何万キロカロリーも食事をしていた猫人の体は大きく肥満し、見る影もなくなっていた。大柄の男と同じく、こちらも自力では立てず、使用人の手を借りなければ、自分の体をふくことさえできなくなっていた。


 魔法とは違う謎の力、『忍術』を使っていた忍者は、色欲に溺れていた。

 毎夜、毎夜美女を屋敷に招き、欲情の限りを尽くしていた。時には城下町から、嫌がる娘や人妻を無理やり屋敷に連れてくることもあった。


 豊富な知識で勇者達を導いていた魔女は、怪しい薬に溺れていた。

 魔女は、他国では禁止されている薬を使用していた。その薬は用いた者に強い快楽を与えるが、使えば使う程、体を蝕んでいく危険な薬だった。豊富な知識を持っていた魔女の脳は薬によって、大きく破壊されていた。


 勇者は書類にまとめられた他の仲間の現状にも目を通す。やはり、他の仲間も皆堕落しきっていた。


「何と言うことだ……」

 仲間達の現状を知った勇者は大きなショックを受ける。勇者は何とか、堕落する仲間を救おうと、直接彼らに会いに行った。


 だが……。


『おおおう……お前も飲むか?はっ?酒を止めろ?ふざけるな!』


『買い物を止めろ?な、何言っているの?私は別に散財なんて……こ、このドレスや宝石は必要な物なの!私は必要な物を買ってるだけよ!』


『き、貴殿もゲップ。喰うか?美味いぞ!喰うのを止めろ?こんな美味い物を目の前にして止められるはずないだろう!』


『拙者が色欲に溺れている?フッ、馬鹿なことを。拙者は貴族になったのだ。貴族が美女を囲うのは当然の事でござろう?』


『お前、誰じゃ?』


 勇者の声に耳を傾ける者は誰一人としていなかった。堕落する仲間を誰も救えないそのことが、勇者の心の穴をますます広げていった。


 それから、さらに数年後。民の間では、このような会話が頻繁にされるようになった。

「おい、あの店潰れたらしいぞ」

「本当か?」

「ああ」

「今月でもう八件目だぞ」

「不景気だからな。仕方ないさ」

「一体いつまで続くんだ。この不景気は」


 魔王の支配から解放され、自由になった人々だったが、これからも生きていくためには金を稼ぐ必要があった。金を稼ぐために、ある者は店を出し、ある者は働き口を探した。しかし、長年魔王によって支配されていたこの国はあるものを失っていた。それは、商売をする上で最も重要なものだったが、その時はまだ、何を失ったのかに気付く国民はいなかった。


 それは『信用』である。


 もうこの国に魔王はいない。だが、魔王がいなくなったからといって、直ぐに信用を得られるわけではない。もし、また魔物に支配されでもしたら、この国と取引していた国は大損してしまう。他国にとって『魔物に支配された国』と取引するというのは大きなリスクでしかない。

 このままでは、この国と取引してくれる国は現れない。この国が他国と取引するには、こちら側から大きく譲歩する必要があった。

 輸出する品物は相場よりも大幅に値引きして輸出し、反対に輸入する品物は通常の相場よりも、大幅に値上がりした状態で輸入していた。

 結果、貿易赤字は肥大化し、、外国製の品物の値段は高騰した。


 さらに、この国を苦しめたのが『借金』だ。


 魔王から解放されたこの国は一刻も早く、復興する必要があった。

 そのため、この国は他国から『借金』をし、その『借金』を復興支援に当てていた。最初の頃は少しずつだが、その『借金』を返済することは出来ていた。だが、ここ数年、不景気により、その借金の返済が大きく滞ってしまっている。さらに、税収の大幅な減少によって、国の予算が足りなくなってしまった。

 足りない予算を補填するため、国はさらに借金を重ねた。膨らんだ借金は利息によって雪だるま式に大きくなり、国を圧迫していった。


 国は借金を返すために、無謀な増税をしなくてはならなくなった。さらに憲兵などの国に携わる者達の給料も大幅にカットした。

 国に対する不満は徐々に広がっていく。その怒りは、国に……特に貴族へと向かった。

「あいつらは何もしていないのに、毎日贅沢な暮らしをしている!」

「あいつらが国の金を食い潰している!」

「あいつらこそが、国を疲弊させている原因だ!」


 怒りはさらに膨張していく。その怒りは遂に、国の英雄にも向いた。


「勇者達は確かに国を救ってくれた。でも今は、俺達の稼いだ金で贅沢している!」

「勇者達は確かに国を救ってくれた。でも今は、国の犬だ!」

「勇者達は確かに国を救ってくれた。でも今は、俺達を助けてくれない!」

「勇者達は確かに国を救ってくれた。でも今は、俺達のことなんて、どうでも良いんだ!」

「勇者達は確かに国を救ってくれた。でも今は、俺達を見捨てている!」


「勇者達は確かに国を救ってくれた。でも今は……俺達の敵だ!」


 民衆、そして一部の憲兵は武器を持ち立ち上がった。そして、その武器は国の英雄達に向けられた。


 ある日の早朝のことだ。使用人が勇者の部屋に駆け込んできた。

「勇者殿、大変です!」

「……どうした?」

「そ、それが……」

 目を覚ましたばかりの勇者だったが、使用人の言葉を聞いた瞬間、目を見開きベッドから跳び起きた。

「……今、何と言った?」

 勇者のあまりの迫力に怯えた使用人だったが、何とか声を絞り出す。


「昨夜、勇者殿のお仲間達が全員……暗殺されました」


 酒に溺れていた大柄の男は酒に毒を混ぜられ、死んだ。

 買い物に依存していた魔法使いは、買い物の最中背後から刺され死んだ。

 暴食で豚の様に太っていた猫人は、食事に毒を混ぜられ死んだ。

 色欲に溺れていた忍者は、ベッドで喉を裂かれて死んだ。

 薬漬けになっていた魔女は、薬を毒にすり替えられ死んだ。


 他の仲間達も皆、同じように暗殺された。


「馬鹿な……どうして?」

「勇者殿!」

 その場に崩れ落ちた勇者を使用人が慌てて受け止める。

「さぁ、落ち着いて。まずは、お休みください」

 使用人は勇者をベッドに案内しようとする。その手には一本のナイフが握られていた。使用人は、迷うことなくそのナイフを勇者の胸目掛けて突いた。

「どういうつもりだ?」

 勇者は使用人の腕を凄まじい力で掴んでいた。勇者はさらに手に力を込める。

「ぐっ!」

 呻き声を上げ、使用人はナイフを落とした。

「もう一度聞く。どういうつもりだ?」

「さ、流石、勇者だな。寝込みを襲っても無駄だと思ったんで、仲間が殺されたことを教えて、動揺した隙を突いて殺そうと思ったのに……」

「では、今お前が言ったことは……」

「ああ、嘘じゃない。お前の仲間達は全員死んだよ」

 使用人はニヤリと歪んだ笑みを浮かべる。

「お前の仲間達を殺すことは簡単だったってよ。魔王を倒した勇者の仲間だから失敗することも覚悟していたが、あまりに簡単に成功して、拍子抜けしたよ!」

 使用人はゲラゲラと下品に笑う。勇者は下品に笑う使用人の腕を折った。

「ぎゃあ!」

「黙れ!」

 勇者は冷たい眼を使用人に向ける。そして、片手で使用人の首を掴んだ。

「ぐぇ!」

「答えろ。何故だ。どうして仲間を殺した?何故、俺を殺そうとした?」

「お、お前らはもう必要ないんだよ!」

 首を絞められた使用人は表情を歪めながらも、勇者達を罵倒する言葉を吐き出していく。

「た、確かにお前らは国を救った。で、でもな。魔王を倒した後、お前らは俺達を助けてくれなかった。そ、それどころか、俺達の税金で贅沢な生活を満喫していた!ゆ、勇者なら持っている金、全部俺達、庶民のために使うのは当然だろう!財産全部なくして、住む家がなくなったって、俺達のために金を使うのは当然だろう!勇者なんだから!」

 使用人の罵倒を勇者は黙って聞いていた。そんな勇者に対して、使用人は決定的な一言を吐く。


「今は、お前らが魔王みたいなもんだ!」


 ゴキン。


 勇者は少しだけ、手に力を込めた。それだけで、呆気なく使用人の首はへし折れた。勇者が手を離すと使用人は、まるで人形の様にゴトンと地面に落ちた。


 勇者はこれまでに、人を殺したことがない。その勇者が初めて人を殺した。


(どうして、こうなったのだろう)

 勇者は力なくベッドに腰掛けた。ただ、人を救いたかっただけなのに、ただ、人々の笑顔が見たかっただけなのに……どうして。

 勇者の脳裏に昔のことを思い出していた。


 此処はどこ?

 此処は私の家だ。


 僕(私)は誰?

 お前に名前はない。お前はこれから『勇者』となるのだ。


 ユウシャって何?

 魔王を倒し、皆を救う者のことだ。


 マオウ?

 この国を支配している魔物の名前だ。お前は魔王を倒すために生まれた。


 貴方は誰?

 私はお前を造った者だ。


 造った?

 そうだ、お前は人間ではない。

 お前の役割は魔王を倒す。ただ、それだけのために造られた。お前はこれから、一通りの教育を受けた後、魔王を討伐の旅に出るのだ。仲間を集め、魔王を倒すのだ。


 僕(私)は何なの?


 お前は……キメラだ。


 キメラ?

 そうだ。お前の体は人間をベースにあらゆる魔物を合成させている。その力を使って魔王を倒すのだ。


 マオウを倒した後はどうすればいいの?

 魔王を倒した後は……。


「死ね」

 そうだ。確かにあの男はそう言った。『魔王を倒した勇者が実は人間でないなどと知られれば、色々と厄介なことになる。その前にお前は自害するのだ』と勇者を造った男は言ったのだ。

「なんで、忘れていたのかな?」

 きっと、旅があまりに楽しかったからだ。魔王を倒すことが目的だったはずなのに、仲間と過ごす内に、いつの間にかその先のことを考える様になっていた。魔王を倒した後の幸せを求めてしまった。

「なんて、馬鹿なんだ……」

 人間ではない自分が、魔王を倒すためだけに造られた自分が、魔王を倒した後の世界で幸せになれるはずがないのに……。


 焦げ臭い匂いがした。どうやら、誰かが屋敷に火を放ったらしい。黒い煙が勇者の部屋の中に入ってきた。耳を澄ませば『勇者を殺せ!』という大勢の人間の声が聞こえる。


 勇者は使用人が持っていたナイフを手にした。そして、迷うことなくそのナイフを自分の喉に突き刺した。

 辺りに鮮血が飛ぶ。勇者は静かに目を閉じた。

『ああ、俺の人生って……なんだったんだろうな』

 それが、勇者が最後に考えたことだった。


 こうして勇者は国を救った英雄とは思えない程、惨めで、寂しい最期を遂げたのでした。


 めでたし、めでたし。






『これが、貴方の未来です』


 どこからか女の声がした。その声は勇者の耳にはっきりと聞こえた。

『貴方を待っているのは、こんな未来です。それで良いのですか?』

「……」

『貴方は民衆のために戦いました。しかし、いずれ、その民衆が貴方を殺すのです』

「……」

『戦いを終えた貴方に人々は感謝をするかもしれません。しかし、時が経てば人は貴方への感謝など忘れます。それどころか、もっと自分達を助けろ。もっと助けろと、どこまでも増長します』

「……」

『そして貴方の仲間は皆、いずれ欲に溺れ堕落します。堕落した貴方の仲間達は、勇者の仲間とは思えない程、ひどい最期を遂げてしまいます』

「……」

『それで良いのですか?』

 重い沈黙が流れる。勇者は、ゆっくりと口を開いた。

「……どうすればいい?」

 勇者の問いに、その声は優しい声で答える。

『簡単ですよ。……すればいいのです』



「ブルー・ファイア!」

 青白い炎が黒く巨大なトカゲに向かっていく。防御魔法は使えず、触手を切り落とされた黒く巨大なトカゲに防御する手段はない。


 バン。


 黒く巨大なトカゲの頭部に魔女の魔法が命中した。黒く巨大なトカゲの頭部が跡形もなく吹き飛ぶ。


 はずだった。


「ぐふっ!」

 短い呻き声を上げて、魔女は大きくバランスを崩した。魔女の放った青白い炎は黒く巨大なトカゲの横をすり抜けると、背後の壁に命中し、爆発した。

 魔女はそのまま、仰向けに倒れる。その胸には、一本の剣が突き刺さっていた。

「な……ぜ……だ」

 顔を上げ、自分の胸に突き刺さっている剣を見た魔女は大きく目を見開いた。魔女の胸に突き刺さっている剣。それは紛れもなく勇者の剣だった。

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