欠けた色彩
武蔵-弁慶
第1話
里見さんは青色だ。それは、間違いようがない。
なぜなら、彼女の青だけは、分かるから。
「里見さんってさ、何で青色ばっかり描くの?」
俺は椅子の背もたれに腹をつけ、一心不乱にキャンバスに青を重ねる彼女の背に問うた。俺と彼女の二人しかいない美術室に、俺の声がやけに大きく聞こえた。
反応があるかは五分五分だ。高校の美術部員とは言え、彼女は芸術家だ。芸術家たる者、ちょっとやそっとのことで意識を作品の外に向けることなんて中々ない。『オレンジの天才』と言われた、俺の叔父がそうだった。あの人は一度集中すると、誰が話しかけようとも反応をしなかった。
まぁ、無視られても仕方ない。でも、俺は五分の勝負に勝った。
「ん〜。どうしたの、村本君。そんなこと聞いてくるなんて」
里見さんはキャンバスに向かったまま答えた。筆が色をキャンバスに重ねる。
「今までの作品も、今描いている作品も、里見さんは全部青色だ。例外なくさ。それってどうしてなのかなって」
「作品をさ、作ってる途中で聞くかな、それ」
里見さんは苦笑する様に答えた。
後ろ姿しか見えないけど、恐らく声と反して表情は真剣であろう。それ位、分かる。
「今、聞きたくなった。何でだ?」
里見さんが、ため息をついたのがわかった。
カタリ、と彼女は筆とパレットを近くの机に置いた。美術室の机は、散々色が塗られており、今や一種の芸術と言っても過言ではないほどだ。そこに、彼女の青が塗り重ねられた。
「それはさ、説明すると、結構変な話になるけどいいの?」
里見さんの問いに、俺は「いいよ」と答えた。
彼女は、俺の方へと振り返り、その辺の椅子を引っ張り出して座った。
「村本君も同じだと思うけど、私、色がわからないんだ」
彼女のその言葉に、俺は少なからず驚いた。俺の目に色が映らないことを、知っていたから。そして、彼女も同じであるということが。
「あ。私は村本君とは違って、特定の色がわからないだけ」
彼女は、慌ててた様に両手をパタパタさせて言った。
「何で俺の目に色が映らない、と知ったか知らないけど。ま、そこは置いておくとして、里見さんは何色がわかんないの?」
「青だよ」
里見さんは何でもなさそうにそう言った。でも、青を基調とする彼女の場合、それは致命的ではないだろうか。
「別に、全然わかんない訳じゃないよ。青紫とか分かるし。だから、色覚異常とかじゃない。ただ、単純な青単色とか、水色とかがわからないんだ」
「へぇ。それで、よく塗り分けられるな」
「何となく違うのは分かるから。村本君だってそうでしょ? 濃淡とかで分かったりするでしょ」
「まぁね」
彼女は、美術室の外に目を向けた。窓からは空が見える。恐らく、空の青色をしているのだろう。俺にも分からない、彼女にも分からない色だ。
「で、何で私が青色を使うかっていうのはね」
彼女は俺に視線を戻して言う。
「それが、私の色だと思うから」
「里見さんの色?」
「うん」
彼女は、俺の後ろにある自らの作品を指す。俺の後ろの美術室の壁には、彼女の作品が多く掛けられている。その中には賞を取ったものも多くある。
「そのさ、大賞をとったやつ。『理想の青』。それが私の色なんだ」
俺は振り向き、彼女の指す作品に目を向ける。鮮やかな青色が幾重にも重なった作品。淡い水色から、突き抜ける様な空色、堕ちていくような藍色に、心を掻き毟る青。人の目を惹きつけ、理性を踏みにじる、抽象画。
「これが……?」
「そう。ゴチャゴチャでグチャグチャな、私の色」
「確かに、何が描いてあるのかよく分かんないな」
俺は、里見さんの方に向き直り、言った。
里見さんは、苦笑して言う。
「でしょ。昔からさ、青色が私には分からなかった。最初は怖かった。でもね、段々、怖くなくなったんだ。怖いと言うか、人のことはよく分かるけど、自分のことはよく分からないって感じなんじゃないかって、思うようになったんだ。そうしたら、私は青が自分の色だと思うようになったんだ。人には分かって自分には分からない、青色が」
なるほど。だから、青は里見さんの色なんだ。
「まだ、私には青が分からない。だから、私の想う青を塗ったの。それが、『理想の青』だよ」
彼女は目を煌めかせてそう言った。まだ見ぬ青に、想いを馳せる彼女は、丸で恋をしているみたいだ。
「俺とは、全然違うんだな。里見さんは」
俺はそう呟いた。
「村本君には、何色が見えないの? 私より、見えない色が多いのは分かるけど」
「彩度がある色は全部」
里見さんの質問に、俺は淡々と答えた。
里見さんは、俺の答えに驚いた様子だった。
「全部……?」
「全部。色覚異常とかじゃなくて、心理的なものらしい。……昔は、見えてたんだけどな」
そう。昔は、見えていた。寧ろ、俺の世界は色で溢れ、キラキラしてガチャガチャして、非常に騒がしかった。
「中学の時かな。叔父さんが死んでからだ」
「村本君の叔父さんって、確か『オレンジの天才』村本橙だよね」
里見さんが、確認するように俺に聞いた。俺は、頷いた。
「そう。叔父さんの絵はメディアでも、よく取り上げられてたから。叔父さんの死後、マスコミが俺に注目したんだ。村本橙の甥っ子も絵を描いてるってな。橙の甥は、どんな色で絵を描くのかって。その時以来、俺には色が見えないんだ」
白と黒と灰色の世界。
マスコミから押し付けられた、天才の甥というレッテルと、色。それが、全部混じり合って、混じり合って、残されたのは、何の色もない俺。
「俺には、色が無いんだ」
誰に言うでもなく、俺はそう言った。
「村本君」
「でもさ」
俺は里見さんの言葉にかぶせて言葉を紡ぐ。彼女からは、慰めの言葉を聞きたくないからだ。
「不思議なことに、里見さんの色は見えるんだ」
「私の?」
「里見さんの青色だけは、見えるんだ」
キャンバスの青。彼女が欲してやまない青。それだけが、俺の視界に現れた色彩。
「何でだろうって思ってたんだけど、さっき分かった。里見さんの青は、俺の青じゃないからだ」
俺のものではない、確固とした他人のもの。
突然、里見さんが立った。そして、俺の方に歩いてきた。と言っても、三歩くらいしか椅子は離れていなかったけど。
「里見さん?」
俺はどうしたの、と言う意味を込めて名前を呼んだ。すると、彼女は俺を抱きしめた。
「さ、里見さん!?」
俺は一気にパニックになって、彼女の名前を呼んだ。いや、年頃の男女だぞ!? パニックにならない方がおかしいだろ。
「村本君」
耳元で、彼女の声が聞こえた。想像以上に近い距離感に、俺は何も答えられない。どうしよう。里見さんの髪から、いい匂いがするし、サラサラしてる。里見さんの密着してる体のパーツが柔らかくて、心臓が変な拍動を繰り返す。
「村本君、一緒に色を見つけよう」
「え」
「村本君の色を、見つけよう」
彼女は、俺から少し体を離し、俺の顔を覗き込んで照れたように笑った。
「私は青を、村本君は自分の色を、一緒に見つけよう? 今度の文化祭で、大きな絵を描こうと思ってるんだ。だからさ、その時に手伝ってよ」
「でも、俺には」
「大丈夫。私にも、色なんて分かんないもん」
里見さんは、近くの机に置いていた、俺のスケッチブックを開いて言う。
「村本君の絵にはさ、まだ色がつけれる」
鉛筆で輪郭のみをとられた絵たち。色をつけることなんて、とうの昔に諦めたものたち。
「大丈夫。村本君は、何色にだってなれるよ」
里見さんは笑顔で言った。胸が高鳴るような笑顔で。
その瞬間に、色が見えた気がした。彼女の、髪の、肌の、制服の、その目の、色彩が見えた気がした。
でも、瞬きをすると、すぐに色は消えた。
「……おぅ」
俺は、里見さんに対して、そう答えた。
彼女はまた微笑んだ。
世界がまた、色づいた気がした。
欠けた色彩 武蔵-弁慶 @musashibo-benkei
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