無頼の花道 ~天下無双のトレジャーハンター~

内藤ゲオルグ

第一章、辺境の天下無双

第1話、型破りの男、辺境にあり

 ギラギラと輝く太陽に青々と茂る草木。熱帯を思わせる蒸し暑さに包まれた山中。

 そんな中を年頃の若い男が、山道を酷く慌てた様子で駆け抜けていた。

 血走った目に苦しげな表情、ただ汗をかいているだけではなく、脂汗に塗れているようにも見える。その焦りようは、何か大きな事件の起こりを想像させる。ただ事ではない。

「ぐおおっ、畜生、もう間に合わねぇ! クソッ、しょうがねぇか!」

 大きな声の独り言を叫びながら、山道を少し外れた草むらに飛び込む。近道であろうか。

 しかし急いでいたはずの男は草むらに入った途端に立ち止まり、カチャカチャと音を鳴らしながら大急ぎで腰のベルトを外すと、なんと下半身を露出したではないか。

 さらにはそのまま座り込むと、生理現象の発露を始めてしまったのだ。

「ふんぐっ! くぅっ、はぅ、ふんっ! ・・・・・・うぅ、ふぃ~、間に合ってねぇけど、間に合ったか。はあ~、危なかった」

 何のことはない。ただの脱糞だった。


「ああっ!? しまった、紙がねぇ! クソッ、誰か来ねぇか」

 男が草むらから首を伸ばして周囲を見渡すと、運の良いことに遠くから向かってくる一人の少女が見えた。

「お、ありゃあ、クラーラか。丁度いい。おーいっ、クラーラ! こっちだ、こっち!」

 手を振りながら呼び掛ける声に気が付いた少女は、男の知り合いであるらしく嬉しげに駆けてくる。

 近くの山道までやってきた少女は、山菜かキノコでも採っていたようで大きなかごを背負っていた。年の頃もまだまだ少女といった頃合で、男よりも十は離れていそうに見える。

「おうっ! よく来てくれたな」

 少女は山道から外れた草むらにしゃがみ込む男を不審そうに見やる。先ほどの嬉しげな様子とは打って変わった態度だ。

「・・・・・・ゼルさん、何やってんの?」

「クラーラ、おめぇ、紙持ってんだろ? いつも婆さんから持ち歩けって言われてる奴だよ」

「うん、持ってるけど・・・・・・」

「それをくれよ。ほら、何してんだ、早くこっち来いよ」

 低い体勢のまま招き寄せる男を不審に思いながらも近づいていくクラーラは、そこで何かに気が付いたように立ち止まった。

「もうっ、信じらんない! ゼルさんのアホー!」

 男が下半身丸出しでしゃがみ込んでいるのが分かったのだろう。おまけに臭いも嗅いでしまったらしい。鼻を摘んだクラーラが怒りも露に男を非難すると、紙束を叩き付けるように放り投げて走り去る。

「痛っ! おいっ、クラーラ! 痛ぇじゃねぇか!」

 文句を言いつつも、ばら撒かれた紙を拾って尻を拭く。若干乾いていたようで、上手く拭き取れないとぼやくが、それを聞いてくれる人はもちろん誰もおらず、また独り言となる。

 男は後処理に気が済んだのか、ズボンをはくと何事も無かったかのように歩き始めた。


 クラーラと言う名の少女に、ゼルさんと呼ばれた男は、蒸し暑い気候の中、先ほどまでの必死な様子とは別人のように涼しい顔をしている。

 良く見れば精悍な面構えをした男だ。キリリとした太い眉に、一文字に結ばれた薄い唇。整ったといよりは、勇ましく男らしい顔付きだ。印象的な赤黒い髪は、さっぱりとした短い角刈りのような髪型にしていて、ワイルドな雰囲気の男には良く似合っていた。

 一見すると長身に痩せて見える体つきは、実に無駄のない鋼のような筋肉に覆われている。その筋肉質の体を惜しげもなく晒す着こなしは、羽織ったシャツのボタンを一つも留めずに前を全開にしているファッションだ。それに加えて裾の足りない長ズボンに草履ぞうりを履いた格好だが、不思議といきな雰囲気を漂わせていて、不快感を覚えることはない。


 しばらくの時間、山道を歩き続けて山頂に至ると、近くの山小屋には目もくれず、そのまま休みもせずに稜線を越える。

 かなりの速度で歩き続けているが、疲れた様子は全く見せず、それどころか息一つ乱していない。その力強い歩き慣れた様子から、何度も通った道だと言うのがうかがい知れる。

 およそ山歩きには適さないような格好の男だが、地元民ならではのスタイルなのであろう。


 山頂から稜線を越えた先、さらに歩き続けること幾ほどの時間か。

 鬱蒼うっそうとした木々は、先ほど少女と出会った場所とは全く雰囲気の違った様相を呈する場所だ。見通しは悪く、植生も大ぶりの草木が目立つように変化している。

 周囲を警戒しながら歩いていた男は何かに気が付いたような顔を見せると、息を潜めて大木の影に身を寄せる。

 すると、ズシン、ズシン、と重量物が闊歩するような物音と、枝や若木を薙ぎ払うような物音が徐々に近づいてきた。

「・・・・・・ありゃあ、久々に見る大物じゃねぇかよ。ははっ、今日はツイてるな」

 木陰から観察するのは、大きな化け物だ。二足歩行の肉食獣のように見える魔獣は身の丈、3メートルはあるだろう。ずんぐりとした太い体型から繰り出すパワーは、大木を圧し折るにも十分足りるに違いない。

 不敵に笑う男はあろうことか、この化け物を獲物として見定めたようだ。一見して男が持つ武器は腰に括り付けた大ぶりのナイフが一本あるのみ。薄着の男は防具らしき物は当然身に付けておらず、ほかに武器らしい物も持ってはいない。まさかナイフ一本で化け物を狩るとでもいうのだろうか。

 魔獣が十分に近づいてくると、なんと男は隠れていた木陰から、堂々と化け物の前に姿を現してしまったではないか。

「おめぇなら逃げはしねぇだろ。時間もねぇし、とっとと始めるぞ」

 ちっぽけな人間が化け物に対して掛けるには余りにも不遜な言葉だ。いかにも自信ありげな態度から、勝算あってのことであろうが、ナイフ一本でなんとする。

 対する化け物は言葉を理解するわけでもないだろうが、怒りに歪めたようなその顔は余りに凶悪で、まともな神経の持ち主であればそれを見ただけで意識を喪失してもおかしくない。

「グルオオオオオオオオオッッッ!!!」

 腹の底に響くような雄叫びで威嚇する魔獣だが、男は気にした風もなく、むしろ気楽な調子で魔獣に接近していく。

 唯一の武器であるナイフも抜かず歩く男に向かって、魔獣が遠慮などするはずもなく、容赦なくその大きな腕を草でも刈り取るように薙ぎ払った。

「うるせぇな。デカイ声だけは一丁前な奴だ」

 不快そうな男が無造作に掲げた腕は、恐ろしい威力を秘めた魔獣の腕を難なく受け止める。

 理解できないと言った様子の魔獣が混乱したように、再び大きな雄叫びを発しながらまた腕を振りかぶる。

「うるせぇんだよっ!」

 繰り返される雄叫びにカッとなった男は、魔獣の脇腹を電光石火の拳で殴りつけた。

 どこか爆ぜるような鈍い音が響いたが、拳一つで作り出せる音でもないだろう。いかに頑健な男の拳であっても、大きな化け物に対しては無力にすぎる。

 だが、どうしたことか。魔獣の雄叫びは鳴りを潜め、振り上げた大きな腕は男に向かうことなく、ぶらんと力なく下ろされた。苦しげに身悶えようとした魔獣だが、ほどなく白目を剥いてしまう。

 そして棒立ちの魔獣は、不意に流れたそよ風に吹かれた直後、仰向けに倒れたのだった。男が放った、ただの拳の一撃によって。


 驚くこともなく極当たり前のように倒れた獲物を満足そうに見下ろすと、男はようやく腰のナイフを引き抜いた。色鮮やかな赤い刀身のナイフを使って慣れた手つきで解体を始めると、あっという間に肉の塊と綺麗にいだ毛皮を作り上げて見せたのだった。

 手早く掘った穴に放り捨てるのは内臓や骨だったが、内臓は見る影もなくグチャグチャになっていて、それは男の拳によるものだと推測できる。先ほどの戦闘での一撃は、魔獣の内臓を破壊して死に至らしめたようだ。恐るべき威力であり、底知れない男の強さをうかがわせる。


 魔獣の解体により血にまみれた男は、今度は獲物を持ち帰る準備を始める。

 付近に生える樹木の一枚一枚が、1メートルはある大きな葉っぱをもいで集めると、繋ぎ合わせて一枚の布のような物を作り上げてしまった。解体もそうだが、意外に器用なものだ。

 その布状の葉っぱに肉の塊と毛皮をそれぞれ包むと、これまた付近に生える蔓を紐のようにしてくくりつけ、ひょいと担ぎ上げて歩き始めた。

 歩く速度は驚くことに行きとそれほど変わらない。数百キロは下らない、巨大な荷物を苦にもせず担いで歩く姿は強靭そのもので、男の強さをまざまざと見せ付けるかのようだ。


 往路とは違った道を進むが、少しすると清流そのものと言える小川が涼やかな景色とともに現れた。

 気持ちの良さそうなその清流で血に塗れた身体を洗うつもりなのだろうが、そこには既に何人もの先客がいた。鍛えた身体を無遠慮にさらす全裸の男たちだ。

「なんだ、やっと来たのかゼル。おい、ずいぶんとデカい荷物だが、お前が複数狩るとも思えないし、大物でも獲ったのか?」

「よぉ、ゼル。調子良いみたいだな!」

「ゼルにしちゃ遅ぇから、クソでも垂れてるのかと思ったぜ。まさか本当に大物と当たったのか? 羨ましいこった」

 複数の男たちが集まって来て騒ぎ始めるが、全員が揃いも揃って全裸である。脱いだ服は全て川で洗われているようで、濡れた状態で付近の岩に貼り付けるようにして乾かされていた。

 それから大きな葉っぱに包まれた荷物がそこかしこに置かれているのを見るに、全てが狩りの獲物であり、全裸の男たちはゼルと呼ばれる男と同じように狩りをした帰りで、身体を洗いに小川までやって来たのだろう。

 それにしても、武器の類がナイフ程度しか見当たらないことから、信じ難いことに男たち全員が素手かナイフのみで狩りを行ったのだと思われる。


 裸族を前にして同じく全裸となった男は、堂々と己の全てをさらけ出しながら宣言する。

「ちょっと聞いてくれよ、今日の一番は俺で決まりでいいな? マルレーネは頂くからよ」

「はっ、何言ってやがる。ゼル、てめぇはこの前、断られたばっかりじゃねぇか」

「うるせぇんだよ、バカ野郎! この前は体調が悪ぃとか言ってやがったんだよ。今日は問題ねぇはずだ」

「お前ら、程ほどにしておけよ? マルレーネやほかの奴だって、そういつもいつもOKしてくれるわけじゃないんだ。若いお前らがガッつくのも分からんでもないがな」

「あーあ、嫁がいるダリウスの親父は余裕があっていいよなー」

 集落の男たちは大多数が狩りを生業にしている。中でも若い年頃の男たちは全員が狩りの名手であり、その成果をもって、毎回ある賭けを行っている。

 男どもが暴れん棒をぶらぶらとさせながら話すそれは順番の権利。集落にいる未亡人へのアプローチをする、その順番を巡って争うのだ。

 若い男たちの性の対象となる未亡人は僅か数人しかいない上、応諾はその未亡人次第。しかし常日頃の行いや時の運にもよるが、おおむねアプローチには応じてもらえる。

 健全に恋人を作れよ、と思うなかれ。この集落には残念ながら年頃の若い女は一人もいないのだ。そう、唯の一人も。神の悪戯か、悪魔の仕業か、男ばかりが生まれる年が何年も続いてしまったのだ。

 そこで心ある未亡人が前途有望な若き勇者たちの相手を勤めてくれているのだ。まるで女神のような存在である。女神のようではあるが、そこはもちろんタダとはいかない。狩りの成果を捧げたり、家の手伝いをしたりと何かと面倒を押し付けられたりするが、男たちにとってその程度のことは何でもなく、むしろ喜んでやるだろう。

 辺境特有の文化であるが、誰も損をしないこの状況に文句を言うやからも存在しない。世の中、上手く回るものである。人類みな兄弟なのだ。

 ちなみに狭い集落の中、浮気や横恋慕はまずあり得ない。人口の少ない辺境の集落において、殺し合いを避けるような本能の表れなのだろう。

 それから。ゼルこと、ゼルベルト・クリーガー含めて、女好きの男たちばかりであるが、幸いなことにロリコンは存在していないようである。とても幸いなことに。

 下世話な雑談をしながらも、ゼルベルトは血塗れの服をざぶざぶと清流で洗い、ほかの男たちのように岩に洗濯物を貼り付ける。それを終えると、今度は彼も全裸のまま小川で気持ち良さそうに泳ぎ始める。どうやら水泳は得意のようで、ウォーミングアップを終えると、猛然と鯉のように流れの激しい箇所をさかのぼり始めた。

 何故かそれに触発された若者たちがこぞって同じように猛然と泳ぎ始めるが、年上の男たちは微笑ましげにただ眺めるのだった。もちろん全裸のまま。風もないのに、ぶらぶらと。


 ひとしきり若きパトスを健全な水泳というスポーツで発散すると、重い荷物を持っての帰り道が残される。

 だが、若者たちは疲れなど知らぬとばかりに、重量物を運んでいるとは思えない力強い足取りで山道を進む。

 特にゼルベルトは張り切り方が違う。未亡人へのアプローチ、その一番乗りの権利を持っているのだから当然か。

 快調な足取りで夕暮れ前に集落までたどり着くと、ゼルベルトは一目散に一軒の家を訪れる。目的は言わずもがな、女神マルレーネ様の御許みもとである。

「おう、マルレーネ! 邪魔するぞ」

「あら? また来たのね、ゼルベルト。いらっしゃい。うふふ」

 扉を開いて出迎えられた直後、ゼルベルトは唾を飲み込んで少し前かがみになる。

 端的に言って、女神マルレーネは美女だ。実年齢よりも大分若く見えるし、グラビアアイドルのようなボディは慎ましやかな服装に包まれており、逆にそれが淫靡な想像を掻き立てる。優しげな微笑とは裏腹な色気と聞き心地の良い綺麗で艶っぽい声音は、ただそれだけで、たまりにたまったゼルベルトを魅了した。

 ごくっと唾を飲み込むゼルベルト。僅か一瞬の会話のみで若きパトスが溢れ出しそうになる。だがここで焦るほど若き勇者も初心うぶではない。待ちに待った今日の日だ。日頃から無駄撃ちを絶対にしないゼルベルトは、たまりにたまった熱き魂の咆哮を最後の一絞りまで女神に奉納するつもりで来たのだ。焦って追い返されるようなことがあってはならない。

 見たところ今日の女神は体調も機嫌も良さそうだ。ゼルベルトは大敵を前にした歴戦の戦士のように油断なく慎重に事を進める。

「見てみろよ! ほら、今日はすげぇ大物が獲れたんだ。これから一緒に食わねぇか?」

 爽やかさを精一杯に押し出しながら自らの成果を誇る。巨大な肉塊は極めて優秀な狩人の証。辺境に住む男が女へのアピールに使うには十分すぎる。

 そんな若き勇者に対するは、それ以上の歴戦のツワモノだった。

「ホントに? でも、夕食にはまだ早い時間だと思うんだけど・・・・・・どうするの? まだ時間あると思うんだけどな? ね? そう思わない?」

 可愛く小首を傾げながらの危うい発言に、ゼルベルトの理性は片時も持たず粉々に吹き飛んだ。元々大した理性を持っていない男だが、ここで何もしないようなら、それこそタマなしのそしりを免れまい。

 結局、人並み以上に溢れるパトスを秘めたゼルベルトが収まるには、翌日の朝までを要し、小休止と狩りの成果を恐ろしい勢いで身体に補充するや否や、夜半までまた女神と勇者の壮絶なる戦いが繰り広げられたのであった。


 大いなる戦いが行われている女神の家の側では、一人の若者が身悶えしながらウロウロと徘徊していた。何とも不審なやからである。

「畜生っ、畜生っ、畜生っ! ゼルの野郎、羨まし過ぎてどうにかなりそうだ。次こそは俺がっ、見てろよ!」

 ほかの女神の元にも辿り着けなかった敗北者である一人の若者が、呪詛を吐きながら一晩中、下半身丸出しで歩き回っていた事実は幸いなことに誰も知らない。

 ただ彼は長時間丸出しだった影響か、直後に長引く高熱を出してしまい、次の狩りには参加できなかったのだ。彼にとって痛恨の極みであったことは間違いない。強く頑健な集落の人間といえども、病には勝てないものだ。

 余談であるが、意外と仲間思いのゼルベルトが熱にうなされる彼の分まで狩りを成し、前回に引き続き連続で一番の指名権を獲得したことは、運命神の成せる御技であろうか。

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