星夜の街へ
蒼月
Ⅰ
「おい、見習い」
この本屋の店主のじっちゃんが小さな声で俺を呼んだ。振り向くと、店の入り口を目線で示している。
「あいつらだ、見張っとけ」
店に入ってきたのは、最近よくこの本屋に現れる小学校高学年くらいのグループだった。彼らはここに通いながらも、一向に本を買う気配がない。それだけならまだいい。最近この本屋で多発している万引きの犯人が彼らなのではないかというのが、店主のじっちゃんの見立てだった。
俺は軽く頷き、持っていた本を一旦置いて、小学生グループへと目を走らせる。
この本屋で高校生アルバイトを初めて一年。支給品のエプロンの上に掛けた名札には、「双葉 馨」と俺の名前が書いてあり、その下には「見習い」と赤字で大書してある。この「見習い」の文字のない名札に変えることはいまだ許されず、俺は見習いからの昇格を目指して頑張っている。
小学生グループは漫画のコーナーに入っていく。自分たちが読みたい漫画を盗るのだろう。俺は彼らを捕捉できる位置に移動し、物陰から気づかれないように見張る。
しかし、あまり場所はよくない。小学生グループは俺より店の入り口側にいる。盗るものを盗って逃げれば追いかけるこっちが不利だ。だが、小学生相手に走って負けるようなことはない。同じ高校生相手なら見張る場所を変えるところだが、俺はそのまま見張りを続ける。
リーダーらしき少年が本を一冊手に取り、隣の少年に渡す。
連携して盗ろうというのか。小学生ながらそんな技術を身につけているとは末恐ろしい、なんていうと老人くさいだろうか。老人くさいなら、きっと店主のじっちゃんの影響だ。
本を渡された少年が、自分のバッグに本を入れた。
俺は本棚の陰から飛び出す。
このあたりの法律事情は俺も学んでいる。店から持ち出さなくても、バッグに入れた時点で窃盗罪は成立する。
「おい、お前ら」
俺は出来るだけ威圧しようと、凄みを持った声で少年を呼び止めた。
「な、なんだよ……」
本をバッグに入れた少年は狼狽えるが、慌てて逃げる様子もない。このまま隠し通すつもりなのか。それとも諦めたのか。
「お前のバッグの中身、見せてみろ」
俺は言いながら気づいた。
――少年がさっきまで持っていたバッグが、ない。
「え、兄ちゃん何言ってんの? バッグなんか持ってないし。ここ大丈夫?」
コンコン、と指先で頭を示して挑発してくる。
わかっている。バッグを他の誰かに渡して逃がしたのだろう。小学生グループの全員を留めておけなかった俺の失態だ。
「もういい? 俺らだって忙しいんだぜ」
――嘘つけ。
万引きを現行犯で見ておきながら取り押さえられなかった自分に舌打ちし、少年たちを解放しようとした時だった。
「うぁぁっっ、ね、ねこっ!」
店先で子供の叫び声が聞こえた。
猫がどうした。忙しいのに。
そう思いつつも俺は走って店先まで出ていく。
万引きグループで最年少に見える男の子が、黒い猫に跳び掛かられて倒された後だった。
黒い猫が男の子から離れて走り去っていく。
「どうした」
「あ、あの猫が突然襲い掛かってきて……」
見たところ、大きな怪我をした様子はない。突然襲われて驚いただけだろう。
それより。
「はぁ、お前が万引きの運搬係ってわけか」
さっきの少年が本を入れたはずのバッグが、倒れた男の子の隣に落ちていた。
「全員、奥まで来てもらおうか」
その場にいた小学生グループの全員が、がっくりとうなだれた。
「店長、現行犯です」
俺は小学生グループを奥まで連れていき、店長に報告する。あと店長が親なり学校なり警察なりに報告してうまいことやってくれるだろう。現行犯で、本人たちも認めている。まだ小学生だし、それほど面倒なことにはならないはずだ。
それより、俺は今回の最大の功労者となったあの黒猫のことを考えていた。
男の子に跳び掛かっておきながら、押し倒しただけで何もせずに走り去っていった。首輪や鈴はついていなかったと思うから、多分野良猫だろう。
不思議なことだ。男の子が猫に何かしたのなら押し倒されるだけでは済まないだろうし、逆に、何の理由もないのならわざわざ跳び掛かるとも考えにくい。
男の子が盗んだ本を持っていることを知っていて、俺を助けてくれたかのようだ。
――まさか。
猫がそんな知能と意思を持つはずがない。そう斬り捨てて、ただの偶然だと忘れようとした。
しかし、俺の思考のどこかに、あの猫は特別な猫なのだと思いたがっている部分があった。
――黒い、特別な猫。
真夜中に現れる、魔法使いの使い魔みたいだ。
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