決裂


 霊獣ノ理れいじゅうのことわり


 カエサル伯の持つ最高峰の獣化型魔杖は、さまざまな種族への変身が可能だ。


 その形態の1つ、蒼ノ狼あおのおおかみは、全身を肥大化させ、青で染まった毛で覆われ、雄々しい牙を生やした凶暴な魔獣と化す。


 その戦闘力は圧倒的なものを誇るが、嗅覚も異常なほど鋭い。


 カエサル伯は、微かな匂いの痕跡を辿り、真っ直ぐにここまで辿り着いたのだ。ヤンも多く細工を施したが、あくまで対人においてのみだ。時間がかなり限られていて、想定が追いつかなかった。


 四伯が追って来るなど、最悪中の最悪の事態だ。


「……」


 南方猫なくびくの襲撃、捜査士ゲルググたちとの戦闘が痛かったとヤンは唇を噛む。身体が傷つき、血を流し、想定より強力な魔力を使用した。


 これらの不測が重なれば、四伯級は騙せないということだろう。


「やはり、ヤン=リンか」


 蒼ノ狼あおのおおかみの巨体が見る見るうちに姿を変え、精悍な戦士へと変貌を遂げた。だが、その鋭い目つき、圧倒的な魔力、威圧感は人となっても変わらない。


「……」


 一方で、ヤンは高速で脳内を回転させる。対峙した瞬間感じる圧倒的な死の恐怖。単純な近接格闘では大陸最強クラスを誇る怪物。


 ……間違いなく、牙影がえいでは勝てない。


「カエサル伯は、イルナス様を殺すおつもりですか?」


 ヤンは、込み上げる震えを無理矢理抑えこみ、極力冷静に尋ねる。まずは、相手のボルテージを下げなくてはいけない。


 話をすることで、即戦闘に入るリスクを少なくする。あわよくば、交渉、そして、相手の状況を探らなければいけない。


「まさか。そんなつもりはない」


 カエサル伯が会話に応じた時、ヤンは心の中でガッツポーズをする。どうやら、問答無用で戦闘をするような脳筋タイプではないらしい。


「しかし、あなたがイルナス様を連れ戻ったら、殺されます」


 すかさず、ヤンは会話を続ける。


「それは、イルナス皇子殿下が皇太子に内定したからか?」

「……はい」


 ヤンは静かに頷く。こちらの情報を隠したまま話ができる相手ではない。今も、ナイフで喉元を突きつけられているような猛烈な殺気を感じる。


 この人は、ゲルググのような策士でもない。むしろ、真っ直ぐに包み隠さず話した方がいいだろう。


 カエサル伯はヤンの言葉に、納得した表情で頷く。


「やはり、そうか。だが、安心しろ。我が主君は、イルナス様を殺害するような残酷な方ではない」

「ですが、エヴィルダース皇太子は、残酷な方です。天空宮殿内にいれば、あの方が、イルナス様を殺します」

「我々が守る。必ずな」

「……」


 カエサル伯は、無骨な武人だ。まず、この場でイルナスを傷つけないということがわかり、ホッと胸を撫で下ろす。


「我々の目的は、へーゼン=ハイムの影響力を天空宮殿から締め出すこと。新たな皇太子の出現は、むしろ、喜ばしいことだ」

「……」


 どれだけ嫌われているんだ、あのすーはと、ヤンは思う。


 だが、デリクテール皇子陣営の思惑もわかる。今の閉塞感を打破するために、この童子を道具にするつもりだろう。


 イルナスは、奇貨だ。


 これから、天空宮殿……いや、帝国は全てイルナスが中心となって動いていく。


「イルナス殿下。どうか、一緒に来てください。四伯カエサルの名に懸けて、必ずお守りいたします」

「……」


 カエサル伯は、片膝をついて礼をする。その堂々たる振る舞いは、信頼に足るものだった。話を聞くと、元々、デリクテール皇子はイルナス皇子を尊重し、彼らの陣営も礼を尽くしていた。


 イルナスは、黙ってカエサル伯の方を見つめていたが、やがて、震えた声で口を開く。


「……ヤンを傷つけないか?」

「お約束しましょう」

「……」

「……」

「わかっーー「ダメです」


 ヤンは、イルナスの言葉を遮り前に出る。


「小娘、貴様……主君の決断を尊重しないのか?」

「誤った判断を諌めるのも、臣下の務めです。まして、私などの身の心配をして決断をするなど、論外です」

「ヤン……」

「イルナス様。私を信じて下さい」

「……私に女、子どもを嬲る趣味はない。大人しく従えば、殺さぬし、お前の生存も保証しよう」


 カエサル伯は、穏やかな声で言う。


「お断りします」

「なぜだ? 私は約束を守るぞ」

「あなたたちでは、イルナス様を守りきれません」


 ヤンはキッパリと答えた。


「笑止。エヴィルダース皇子から守るには、我々の後ろ盾が最も強い。むしろ、我々以外に後ろ盾など、考えられない」

「それでも、エヴィルダース皇太子の派閥には勝てません。デリクテール皇子が、エヴィルダース皇太子に勝てないように」

「……っ」


 そう言い放った瞬間、とてつもない殺気が充満した。


「小娘、今、なんと言った?」

「……」


 こっわ。何、この狂気じみた威圧感プレッシャー。へーゼン=ハイムの静なるそれとは違い、完全に野生じみた殺気だ。


 だが、退くわけにはいかない。


 ヤンは、柔らかな笑顔で話を続ける。


「エヴィルダース皇太子は、自身の欲望に至極素直な方です。それ故に、わかりやすい。だから、人が多く集まる。一方で、デリクテール皇子は、公明正大な方です。仮に忠誠を尽くしたとしても、自分たちが昇進できるとは限らない」

「それのどこが悪い!」

「甘いんですよ、要するに」

「……っ」


 とんでもない殺気をぶつけられて、今にも足が震える。そりゃそうだ。こんな小娘に、そんな事言われたら、いくら、温厚な人でもキレる。


 でも、これでいい。


「数は力です。手段を問わない力もまた強力です。下品で、卑怯で、狡猾非道な方法も厭わない彼らから、品方公正で正道を貫くあなたたちが、守れますか!? 魔窟の巣窟である天空宮殿で守れる訳がないじゃないですか!」

「……っ」


 ヤンは大きな声で言い切り、言葉を続ける。


「イルナス様……いや、イルナス皇太子殿下。どうか、すーを……私を信じてください。『あなたを守る』と誓った私を、どうか」


 そうだ。非道な力には、より非道な力でないと倒せない。謀略を、よりドス黒い謀略で上回るような。卑怯者に卑怯者呼ばわりされるような。傷ついた時、傷口に塩を塗りたくってグリグリとえぐってニヤリと不敵な笑みを浮かべるような。


 あの性格最悪なすーでなきゃ、無理なのだ。


「……」

「……」


           ・・・


は……僕は、ヘーゼンを……ヤンを信じる」

「と、言うわけです。残念ですが、イルナス様はお渡しできませんね」

「小娘ーーーーーー!」


 壮絶な雄叫びをあげ。


 カエサル伯は、蒼ノ狼あおのおおかみへと変貌を遂げる。


 一方で、ヤンも臨戦態勢を整える。


 出し惜しみは、無しだ。


 ここで、全力を出さなければ、間違いなく次はない。


 自身の手のひらに魔力を込める。


 召喚されたのは、救国の英雄グライド。


「時間がないので、端的に言います。どうか……私に力を貸してください」































「嫌じゃ。若者わかもんの願い、全拒否じゃもん、ワシ」

「老害すぎる!?」



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