戦闘
ヤンに雇われた若者は、関所を難なく通過した。そのまま馬車を走らせ、どんどん関所から離れていく。ここから、帝都の境までは残り数キロ。
ヤンとイルナスは米樽の中に潜んでいたが、二人で安堵の顔を見合わせる。そんな中、関所がにわかに騒がしくなった。
「……あの、もう少し速度あげてくれませんか?」
「無茶言うなよ、俺の村までは結構な長いんだ。馬が疲れて、くたばっちまうよ」
「……」
ヤンは嫌な予感がした。いくら周到に準備していたとしても、予測不能の事態は起きるものだ。特に今回は時間がない中の逃亡。最低限の策しか施していないので、不確定要素はいくつもある。
実際、ヤンの予感は的中していた。
ヘーゼンの仕掛けた策は、天空宮殿護衛士長ビシャスを貶めて
ヤンが仕掛けた罠は、仮に
結果として、彼らの工作は、非常に可能性が低い1つの追跡を見逃した。
元
後ろから馬の蹄音が響く。この速度には、迷いがない。明らかに、なにか目的に向かって走っている音だ。
ヤンの脳内が高速に働く。音は、どんどん近づいてくる。残りの距離と蹄音からはじき出した予測距離を引くと、帝都の境までは届かない。
黒髪の少女は、意を決したように顔をローブで覆う。そして、イルナスを抱えて、米樽から飛び出した。馬車の乗っていた若者はギョッとした顔で振り返る。
「あんたっ! ちょ、まだだって!」
「それより、これ握ってください。ギュッとね」
「えっ……これ……大銀貨……」
「えいっ!」
!?
「どあああああああああああっ!」
ヤンが壮絶な回し蹴りをきめ、若者を落馬させた。抱えられているイルナスは、驚愕の表情で、宙を舞う若者の姿を見送った。
ヤンはそのまま馬に飛び乗り、すぐさまナイフで馬車の荷台を切って、足で脇腹を叩き、全力で走らせる。
「や、ヤン! いくらなんでも酷くないか!?」
「お金払いましたから、問題ないです! ちなみに相場の5倍です!」
「そ、そういう問題じゃ……」
手段を選ばぬ黒髪の少女は、ピクリとも動かない若者を一瞥もせずに、更に後方にいる捜査士たちを見据えた。
彼らはすでに馬にまたがりながら魔杖を構えている。非常に不味い状態だ。ヤンもまた、自身の魔杖である
相手の魔杖の能力はわからない。魔法には魔法でしか応戦するしかないが、実際に
ヤンは高速で頭を回転させ、ヘーゼン=ハイムが戦っていた光景を脳内でトレースする。
捜査士は2人。まず、老人の捜査士の魔杖から炎が飛び出す。
イルナスが思わず目を背ける。
しかし、ヤンは目を逸らさず、よけずにまっすぐ突き進む。案の定、炎の塊がすぐ横を通り過ぎた。若者の捜査士は、チッと舌打ちをして馬の速度を上げて猛追を見せる。
「イルナス様、ご安心ください。威嚇です。あなたが乗っているこの馬に、傷つけることなどありえません」
ヤンは震える童子を安心させるような言葉を吐く。
全力で引き離すため、馬の脇腹を何度も蹴るが、若者の捜査士が、魔杖を使わずに距離をどんどん詰め始める。
ヤンは耳元で『失礼』とつぶやき、イルテスの首元にナイフを突きつける。
満面笑顔で『殺すぞ』アピール。
「おおおおおおおおおっ! なんたる非道。比類なき不敬! これでは、攻撃ができないではないか!」
「落ち着いてください、ハッタリです! 殺すつもりなら、誘拐しません。まずは、馬の進路を阻みましょう」
「そうか、さすがはゲルググ! イルナス皇子殿下。この
「自己紹介しないでください!」
交互に言い合いながら進んでくる2人の様子を見て、ヤンは小さく舌打ちをした。ゲルググの方が賢い方で、バガ・ドがバカ。
こんなデコボココンビがいるのは
恐らく、上級捜査士の班だろうか。
しかし、ゆっくり考えている暇はない。ハッタリを見破られたヤンは再び、イルナスを手前に戻す。境を越えているかどうかは、線がないのでわからない。非常に微妙だ。
ヤンは思い切って、5秒という制限時間を設け、迷いを捨てた。どんな状況でも5秒後には牙影を使う。どんな状況でも5秒までは牙影を使わない。ここからは、カンだ。理由もない。
5
4
3……
心の中でカウントダウンを始めた時、ゲルググが追いついてヤンの馬と併走を始める。ヤンが思いきりナイフを彼の馬に投げるが、ゲルググの剣に弾かれる。
返す刀で彼女の馬の首を両断された。落馬が確定したところで、ヤンはイルナスを抱えて自ら飛んだ。
地面に落ちて転がりながら着地するが、その間にゲルググとバガ・ドの二人に囲まれた。
「ここまでだ! 観念しろ、誘拐犯! 皇帝陛下の名の下に、我が正義の鉄槌ーー」
「……」
時間だ。
ヤンは、バガ・ドの口上をガン無視しながら牙影を構えた。
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