刺客


 突然の告白に、ビシャス護衛士長は困惑した。


「な、何を言っているんですか?」

「そのままの意味だよ。我々は、イルナス皇子を誘拐していない」

「……」


 アウラ秘書官は淡々と復唱する。恐らくは、揺さぶりをかけているのだろう。だが、そんなミエミエの陽動に乗る気はない。


「捜査情報は明かせないと申し上げたはずですが。それに、犯人が自ら犯行を口にするはずがありませんよね?」

「契約魔法で誓おう。これで、私の言うことが信じられますか?」

「……っ」


 ビシャス護衛士長は、ゴクリと生唾を飲む。確かに、契約魔法を結べば、虚偽を言えば自らの身が焼かれる。


 だが、こちらの言うことは変わらない。


「そ、そ、捜査情報は明かせないと何度も言ってますよね!?」

「時間が惜しい。いいですか? 我々は、すぐにでも、犬狢ケバク蛇封ダオフォン古虎ジェガンの暗部を使って捜索をして欲しいのです」

「……っ」


 瞬間、顔が膨張し、ダラダラと身体から汗が出てくる。アウラ秘書官の言葉に、瞳に、『反応しまい』と思えば思うほどに、身体のあらゆる部位が動揺を表してしまう。


 額からブワッと雫が垂れ。


 シャツは即ビッチャビチャになる。


 『我々は』と発言したことで、対象がこの場にいるエヴィルダース皇太子とアウラ秘書官であると確定した。後に契約魔法を結べばわかることだが、自分たちから『契約魔法を結ぶ』と提案したからには、本当にそうである可能性がある。


 とすれば。


 エヴィルダース皇太子が、イルナス皇子の誘拐を画策したのでないとしたら。


「ビシャス護衛士長。あなたは、へーゼン=ハイムから、こう迫られたのでは? 『イルナス皇子が皇太子に内定した』。『犬狢ケバク蛇封ダオフォン古虎ジェガンの暗部を派遣してくれ、と』。だが、できなかった。エヴィルダース皇太子が、関与している可能性があるからだ」


「……っ」


 ビシャス護衛士長は、愕然とした。


 アウラ秘書官は、言っているのだ。


 へーゼン=ハイムに計られたのだろう、と。


 エヴィルダース皇太子の魔の手から逃れるために、ヤン=リンを使って、帝都に脱出を図った。だとすれば、今頃になって、必死にイルナス皇子を追おうとするエヴィルダース皇太子の異常行動も納得できる。


 ドクン……ドクン……ドクン……


 さっきから、ビシャス護衛士長の胸の鼓動が止まらない。いつの間にか、エヴィルダース皇太子の意向と真逆のことをさせられていた。


 とすれば


 ……と、すれば。


 と・す・れ・ば。


 と 

  す

   れ

    ば。


 今後、断固として、エヴィルダース皇太子の意図しない行動を取る自分たちは破滅。まんまと、ヘーゼン=ハイムの奴隷に……いや、いけにえとして捧げられた。


「……その反応を見て、確信しました」


 アウラ秘書官は、小さくため息をつく。


「……あっ……いや、その」


 なんと言えばいい。すでに、奴隷にさせられている。へーゼン=ハイムに逆らった行動はできない。すなわち、エヴィルダース皇太子の意図に沿った行動ができない。


 そうなれば……


 えっ?


 自分たちは……破滅するために……奴隷に……


「ちょまっ……えっ……いや、ちょまっ……」

「残念です。あなた方を吐かせようとしても、どうやったって数日はかかる。その期間で逃げられると見越しているので、その行動は意味をなさない。ただ、『へーゼン=ハイムの息がかかっている』というだけで、あなた方が二度と要職につくことはない」

「はっ……くっ……」


 何も言うことができない。何も。


 ちょ待てよ! すら、言うことができない。


「ぁすぇぇえ……」


 『助けて』と喉を振り絞るが、言えない。それを言った時点で身が焼かれる。


 おしまい。


 お

  し

   ま

    い。

     お

    し

   ま

  い。


 ビシャス護衛士長の脳内に、その言葉がガラガラと落ちてくる。


 最終的に、老人の薄い髪は、ハラハラと落ちていき、ガックリと項を垂れた。


 一方で、アウラ秘書官は振り返りエヴィルダース皇太子の方を見る。先ほどのやり取りで、彼らが、ヘーゼン=ハイムの罠にハマった確信が持てた。


 相手は怪物。確証を待てば、遅くなる。


 確信を持って行動することが大事なのだ。


「人事省、法務省に掛け合って、ビシャス護衛士長とレザード副護衛士長を尋問します。へーゼン=ハイムのことだから、決定的な関与の証拠は出てこないでしょうが」

「わかった……貴様ら、覚悟しておけよ。私利私欲と保身で権力を濫用した罪は重いぞ」

「……」


 どの口が言うのかとは思うが、構わず話を続ける。


犬狢ケバク蛇封ダオフォン古虎ジェガンの暗部を使えないのは痛手です。ですが、それにいつまでも固執するのもへーゼン=ハイムの思う壺です。こちらは、より強力な手を打つ必要があります」

「わかった。すぐに四伯を……軍神ミ・シルを呼べ!」


 エヴィルダース皇太子が叫ぶ。


「それは、あり得ないですな」


 だが、アウラ秘書官はキッパリと言い切る。


「なぜだ!? 全身全霊で、あのゴミを探せ!」

「ミ・シル伯は、今、戦場で激戦を繰り広げております。突然、戻せば反帝国連合国に領土を差し込まれます」

「そんなもの関係ない! どれだけの領土が取られようと、どれだけの人的損失を被ろうと関係ない! すぐさま連れ戻せ!」


 エヴィルダース皇太子が、アウラ秘書官の胸ぐらを掴んで叫ぶ。


「……」


 何の考えなしに、本能的に言葉を言い放ってしまうのはこの人の悪い癖だ。窮地に立たされた時に、さがは出るものだ。


 アウラ秘書官は、真っ直ぐにエヴィルダース皇太子を見つめて答える。


「彼女がそんな命令に従うはずはありません」

「皇太子であるの言葉に従わないと言うのか!?」

「もう間も無く、その称号も無くなります」

「……っ」


 その言葉に、エヴィルダース皇太子が、思わず黙る。


「彼女は、レイバース陛下の指示により、『次期皇帝のに尽力する』よう指示を受けただけです。心からエヴィルダース皇太子に従っている訳ではない」

「ぶ、ぶ、ぶ、無礼だろうが!?」

「事実は無礼とは言いません」

「……っ」


 アウラ秘書官は、真っ直ぐ目を見て答える。


「私たちのような生粋の派閥とは違う。彼女は皇帝陛下からの借り物に過ぎません」


 皇太子という称号がなくなったエヴィルダースを、彼女が今後も支え続けるかは、わからない。


 ……いや、皇帝レイバースの動きすら、どうなるかが、怪しくなってきた。


「ならば、みすみす逃すと言うのか!?」

「……ラージス伯が天空宮殿にいましたので、彼に捜索を頼みます」

「バカな! ラージス伯は、我が派閥にも属していないではないか!?」

「反帝国連合国戦以降、数回ほど会って親交を深めております」


 へーゼン=ハイムへの脅威については、認識が一致した。あの優秀な男であれば、まずは、イルナス皇子の確保に動いてくれるはずだろう。


「同時に、我々は、足元を固めなくてはいけません」

「あ、足元?」

「任命式までに、派閥のレームダックを防がねばいけません」


 突然、イルナス皇子の皇太子就任を知れば、動揺し、裏切る者も出てくるかもしれない。


「そ、そんなもの……事前に、に恥を晒せと言うのか!?」

「そうです」

「……っ」

「エヴィルダース皇太子が言わなくても、デリクテール皇子が、情報を回すでしょう」

「はっ……ぐぅ」


 任命式では、皇太子、皇子が皇位継承順位で並び、その派閥に付き従う者が皇太子、皇子の列に並ぶという慣わしがある。


 事前に情報を流しておけば、大臣たちはエヴィルダース皇太子につき従うだろう。今まで積み上げてきた莫大な賄賂と工作を、ゼロにはしたくないだろうから。


「……」


 軍人が心配だなと、アウラは思考する。


 ミ・シル伯に加え、ラージス伯はこちらの派閥に留めておかなくては、武力として物足りない。


「……」


 皇太子の任命式に、ヘーゼン=ハイムが何を仕掛ける気なのか。


 皆目検討がつかない状態に、アウラ秘書官は微かに笑みを浮かべた。

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