ビシャス護衛士長


           *


 護衛省。ビシャス護衛士長は、身が震えるような戦慄を覚えていた。


「あっ……ぐぁ……ぐっううんあぐぁ……」


 突然、頬を真っ赤に晴らした、顔面真っ青なレザード副護衛士長が、部屋に駆け込んできたのだ。


 そして。


 『何事か!?』と、問いただす前に、扉が激しい音ともに開けられた。


「……っ」


 泥まみれの、糞の匂いをガンガンに醸し出しているエヴィルダース皇太子が、眼球を真っ赤に、バッキバキにして、駆け込んで来たのだ。


 当然、尋常な事態が起きたのは、聞くまでもない。どうやら、イルナス皇子が皇太子に内定されたことは間違いがなさそうだ。


 考えがそこに至った瞬間、ビシャス護衛士長は心の中で安堵した。へーゼン=ハムに奴隷にはさせられたが。


 ギリギリ。


 ギリギリのところで、生き残ったのだ。


 だが。


 エヴィルダース皇太子は、ビシャス護衛士長の胸ぐらを掴み、猛然と迫る。


「あのゴミの行方はどうなっている!? すぐに言え!」

「あ、あのゴミとは、どなたのことでしょうか?」

「ふざけるなあのゴミはあのカス以外に考えられないだろうがぁーーーーーーー!」

「ひっ、ひいいいいっ」


 言葉が通じない。会話が成り立っていない。キレまくっている。


「んっ……ぶっ……すぅ……」


 隣にいるレザード副護衛士長も、生まれたての子鹿の如くプルプル震えている。そして、ビシャス護衛士長も気分は同じだ。


 過去、今までに、いくつもの事件を揉み消してきたが、これほどまでに取り乱したエヴィルダース皇太子の様子は見たことがなかった。


 だが、大丈夫だ。冷静になってくれれば、わかってくれるはずだ。こちらは、エヴィルダース皇太子に意向に沿った行動をしているのだから。


 ビシャス護衛士長は、何度も自分に言い聞かせて、落ち着いた表情で尋ねる。


「も、もしかしてイルナス皇子のことでしょうか?」

「最初からそう言ってるだろう斬り殺されたいのか貴様ぁーーーーーーーー!?」

「ひっ……あが……っさっ……」


 エヴィルダース皇太子は、魔剣をビシャス護衛士長の喉元に当てる。完全にブチギレ状態。こんな暴虐無人の状態で、いったい、どうすればいいのだ。


「落ち着いてください、エヴィルダース皇太子」

「これが落ち着いていられらぁるかぁーーーーーーー!?」


 隣にいたアウラ秘書官の制止も聞かずに、皮一枚がブツっと破れて血が地面に滴る。


「あんっ……ぐっ……へぇ……」


 ビシャス護衛士長は、なんでこんな目に遭っているのか、まったく理解ができなかった。


 やがて。


 アウラ秘書官は、エヴィルダース皇太子の手を下げて、淡々と質問をする。


「ビシャス護衛士長。すでに、犬狢ケバク蛇封ダオフォン古虎ジェガンの派遣はされていますか?」

「も、も、申し訳ありませんが、捜査情報を明かすことはできません」


 本当はこんなことは言いたくはない。すぐにでも、『派遣していない』と回答をして、安心してもらいたいが、へーゼン=ハイムからは『明かせないで突き通せ』と指示されている。


 そして。


 エヴィルダース皇太子は、再び魔剣を喉元に突きつけて、額に顔をゴリゴリと近づけて迫る。


「んだとコラぁあああああああああ!? を誰だと思っている!? こ・う・た・い・しであるぅ! は、は、は……皇太子であるぞぉ!」

「ひっ……ひぃいいい……」


 なんなんだ、いったい。なんなんだ、この状態は。なんとか情報を明かして誤解を解きたいところだが、契約魔法に縛られていて、行動ができない。


 エヴィルダース皇太子のための行動なのに。


 エヴィルダース皇太子に殺されようとしている。


 アウラ秘書官は、それでも、再び手を下げさせて、質問を続ける。


「……では、へーゼン=ハイムとの尋問は何のために?」

「そ、そ、それも、捜査情報ですので明かせません。申し訳ありませんが。ご理解ください。私は、皇帝陛下から独立捜査権限を与えられている立場ですので」

「……なるほど」


 アウラ秘書官は落ち着いた表情で頷く。エヴィルダース皇太子も、『皇帝陛下』の言葉に反応したのか、悔しそうに顔を歪める。


 その様子に、ビシャス護衛士長は安堵する。


 ようやく、まともな話に移れそうだ。


 だが、アウラ秘書官は、ボソリと言葉を続ける。


「しかし……随分とお変わりになりましたね」

「ど、ど、どう言うことですか?」

「あなた、そんな性格キャラでしたっけ?」

「……っ」


 鋭い瞳に射抜かれ、ビシャス護衛士長は心の底から震える。ヤバい、挙動の不審さを疑われている。それは、その通りなのだが、今はそこは重要ではない。


 自分たちは、エヴィルダース皇太子に有利なように、事態を進めているのだから。


 だが……そんな彼の意志に反し、言わなくてはいけないことは、真逆の発言だった。


「じゅ、じゅ、じゅじゅ重大な事件ですのでぇ! た、た、たとえエヴィルダース皇太子であっても、も、も、申し訳ありませんがぁ!」

「……貴様……今、のたまったこと、本当にわかっているのか?」

「ひっ……ひっ……ひいいいいっ」


 なんだ。今、自分は、なんでこんなに追い詰められているのだ。派遣してないのに。犬狢ケバク蛇封ダオフォン古虎ジェガンの派遣をしていないのにも関わらず、なぜ、こんなことに。


「……君も、それでいいのか?」

「……っ」


 突然、アウラ秘書官から名前を呼ばれたレザード副護衛士長は、ビクッと肩を上下させる。


「確か、君のお父上は、ジルオッソ=レグラ様だったね?」

「……っ」


 超名門貴族のレグラ家当主は、エヴィルダース皇太子派閥だ。


 忖度しないでもいいのか? と聞かれているのだ。


「……」

「……」


          ・・・


 アウラ秘書官は、しばらく、ダンマリのレザード副護衛士長の挙動を見つめていたが、やがて、小さくため息をついてグラッセ筆頭秘書官に声をかける。


「すぐにジルオッソ様を呼び出して、ここに連れてきてください」

「……わかった」

「ちょ……ちょ……待っ……ぁんグゥ……」


 レザード副護衛士長は、立ち上がって何かを発そうとするが、言葉がうまく出てこずに、差し出した手は完全に無視される。


 そんな様子を眺めながら、アウラ秘書官はエヴィルダース皇太子に向かって口を開く。


「彼らは、すでにへーゼン=ハイムの手に落ちていると言っていいでしょう」


 !?


「な、なんだとっ!? き、き、貴様らっ……」

「ご、ご、誤解です! アウラ秘書官! いったい、何を根拠にそんなことを!?」


 ビシャス護衛士長は、眼球をガン開きにして弁明する。いや、図星。図星すぎるが、そこじゃない。安心して欲しい。犬狢ケバク蛇封ダオフォン古虎ジェガンの派遣をしていない。


 派遣していないんだ。


「おのれ、すぐに問い詰めて口を割らせろ! 八つ裂きにーー」

「無駄です。恐らく契約魔法に縛られて、口を割ることはないでしょう」

「……っ」


 何から何まで図星過ぎる。


「ジルオッソ様に、レザード副護衛士長を問い詰めさせればわかります。契約魔法は、厳しく挙動を制限されますからね。即座に訴えるのはいいものの、更迭までには、どちらにしろ時間が掛かる……やられたな」

「……っ」


 アウラ秘書官は、淡々と悔しげな表情を浮かべる。


「落ち着いてください! 何か誤解をなさってます! 本当に、いろいろと誤解なさってます!」


 言えないけど。


 細かいことは、全然言えないけども。


 なんとか、言葉に出さずに伝えたい。カンのいい、この男なら……アウラ秘書官には伝わるはずだ。


 自分たちは、犬狢ケバク蛇封ダオフォン古虎ジェガンの派遣をしていない。


 届け、この想いーー


「……ビシャス護衛士長、レザード副護衛士長。1つ、はっきりとさせたいんですけど」

「は、はい」


































「我々はイルナス皇子を誘拐してないです」

「あま……ちゃ?」

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