悪魔
*
尋問が終わり、ヘーゼンが自室に入ると、中には1人の女性が立っていた。
青色の髪は腰まで長く、顔は非常に小さく整っている。背が高くスラッとした体型で、歩けば誰もが足を止めるほど美しい。
ラスベル=ゼレス。へーゼンの弟子であり、彼の手足となって働く秘書官でもある。
ヘーゼンは大きくため息をついて、対面の椅子への着席を促す。
「終わった。これで、僕の周囲に捜査が及ぶことはないし、
「……相変わらず恐ろしい方ですね」
ラスベルは思わず苦笑いを浮かべる。イルナス誘拐の黒幕である張本人が、天空宮殿護衛士長に尋問されて、逆に返り討ちにして堕とすのだから。
「ビシャス護衛士長が強者に尻尾をふる典型的な犬でよかったよ。まあ、20年以上もこんな魔窟の護衛長に居座っているんだ。酸いも甘いも知り尽くしている腐った男だと言うのは想像がついていたがね」
「……レザード副護衛士長は、優秀な方だと聞いておりますが」
「腐った蜜柑箱に放られれば、どんなに美味しい蜜柑でも腐る。彼は、配属された場所が悪かったな」
「……」
ラスベル自身、彼のようになってもおかしくはなかったと軽く身震いを覚える。
「君のおかげで、うまくことが運べた。尋問されたタイミングもよかったよ。見事に餌に釣られてくれた」
「……」
この
ヤンがイルナスを連れ去った後、彼の筆頭執事、側近、護衛などは、中々、護衛省に報告をしなかった。へーゼンの指示を受けたラスベルは、タイミングを伺い、彼らに護衛省に報告させるよう裏から誘導した。
早すぎても、遅すぎてもダメであると言う難儀なミッションだった。
「彼らは、このまま利用し続けるんですか?」
「できる限りは。まあ、でも、そこまで甘くはない。実際、彼らと契約魔法は結んでいないからな」
「えっ!?」
ラスベルは、驚愕の表情を浮かべる。
「契約魔法は、足がつく可能性を排除できない。彼らが
「で、でも……その時に、
「彼は、ヴァナルナース様の使用人だ」
「えっ!?」
「つい、先ほど彼女の元へ戻って、事の顛末を報告しているだろう」
「……なるほど」
公設秘書官の数は限られている。彼らの使用履歴を調べられれば、特定され、情報を吐かれる。その点、皇族の使用人はほとんど面が割れていない。少なくとも、任命式までは彼が特定される可能性は少ないだろう。
「惜しいですね。
「おかしな動きをすれば、気取られる。欲をかけば、足元を掬われる。そう言う相手だよ。僕らが対峙しているのは」
「……しかし、それでも契約魔法をかけないとは」
あまりにも、大胆不敵だ。
「悪魔の証明だよ。契約魔法を疑った時に、『かけられてないこと』の証明は容易ではない。時間稼ぎと言う意味では、こちらの方がより効果的だ」
「……」
悪魔、とシンプルに思った。
「それに、ビシャス護衛士長や、レザード副護衛士長と頻繁にやり取りもできない。アレでは、アウラ秘書官やモルドド秘書官は相手にはできない」
ラスベルは、背筋が凍るような心地に襲われる。冷静に引き際までわきまえているところも、この
そんな誘惑には、微塵も流れる様子がない。
そして、そんなラスベルの心を読んだかのように、ヘーゼンは小さくため息をつく。
「仕方がない。無能だと自覚していない味方は、有能な敵よりも遥かに厄介だ」
「……」
「僕らにできることは、ヤンたちが帝都を抜けるまで時間を稼ぐこと。あまりにも時間がなくて、やれることが少ないが、それも仕方がない」
「……っ」
十二分に暗躍しておいて。ラスベルは心の中でドン引きしながらも、報告を続ける。
「あとは、ヤンと他皇族の動き次第だな」
「……」
どうしても時間が足りないと言うのは、ラスベルも同意見だ。突発の事態に、急遽の逃亡劇とならざるを得なかった。やれるだけのことはやって送り出したが、後はヤンとイルナスを信じるしかない。
「……」
「……」
・・・
「「……はぁ」」
ヤンが心配だなぁ、と2人は思わず目を合わせてため息をつく。ラスベルと違って、あの子はまだ幼い。
才能は随一の少女であることは疑いはないのだが、安定性という意味では、心許ない。上にも下にも大きくブレる危険物のような存在だ。
「まあ、何事も経験だ」
「……」
この
ヤンに苦難を与えて育てようともしている。
だが、もはや、あの少女を妹のように思ってしまっているラスベルにとっては、心配で心配で仕方がないというのが本音だ。
だが、そんな心根を見通したようにへーゼンは答える。
「心配ない。僕が今までに心の底から認めた才能は、両手に収まる数ほどだ。そこに入っているのだから、君もヤンも優秀だということだ」
「……
やはり、絶対に年齢詐称してるだろうとラスベルは思う。ヘーゼンの見た目は20歳そこそこ。ラスベルよりも若いと言われても、なんら不思議のないほど若々しい。
しかし、魔法使いとしての腕は、大陸でも類を見ないほどの実力である。
「ラスベル、1つ忠告しておく。僕のことを知ろうとするな。その方が君のためだ」
「……」
ヘーゼンが何者であるのかを完全に知る者は、この帝国にはいない。すべてが謎に包まれている。
他国の英傑は、ヘーゼン=ハイムは悪魔のように扱う。
彼とともに戦争で戦い勝利した者は、ヘーゼン=ハイムは神の化身だと敬う。
「……」
ラスベルは、忘れられない。弟子であるヤンは、ある時ふとつぶやいた一言を。『
さまざまな噂が錯綜する中で、その評価も変わっていた。天才、英雄、異端……化け物、徐々に不気味な存在として恐れられ始めた。
デリクテール皇子が過度にへーゼンに警戒する理由も、ラスベルにはわかる気がした。一緒にいる時間が長ければ長いほど、その距離が縮まるどころか、遠くなる。
「まあ、適当な捜査隊を送るような指示はしておいた。あとは、ヤン次第だ」
ヘーゼンは、淡々とつぶやいた。
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