お願い


           *


 レザード副護衛士長は、耳を疑った。超名門家リグラ家の長男である自分に対して、エリート中のエリートのエースの自分に対して、同期の同僚に自分対して、目の前の男は、が高いと言ったのか?


 いや、そんな訳がない。


 絶対に、そんな訳が。


「ククククク……ハハハハハハハハハハハハハっ! アハハハハハハハハっ!」


 パンパン。


「……」

「ハハハハッ、いや面白いな、君は。そんなお茶目な面があるとは、知らなかったよ」


 そう大声で笑って。


 レザード副護衛士長は、ビシッと親指を立てる。


「ナイス、冗談ジョーク

「いや、違いますけど」


 !?


「ち、違うの!?」

「と言うか、さっきから妙に馴れ慣れしくないですか?」

「……っ」

「常識的に考えて初対面の相手に、そんな距離感はおかしいと思いますけど」

「いや、でも同期だし」

「さっきからよくわかってないんですけど、同期だから、なんなんでしたっけ?」

「……っ」


 レザード副護衛士長は、数歩後ずさる。


「い、いやほらよく言うだろ? 『同期のよしみ』って」

「……ふぅ。取り敢えず、あなたは、部屋の端っこで正座して、黙っててもらえますか?」


 !!?


「超名門リグラ家の長男だから、職場でもロクな指導がされず、随分と甘ったれて育てられたようですね。皇族が行方不明なんですよ? そんな緊急を要する場面で『同期だ』なんだと、現場を知らなさ過ぎる。TPOをわきまえてください」

「……っ」


 圧倒的超正論。


「あなたみたいな、良家のクソボンボンだと、誰も叱るに叱らないんですね。まあ、言われなくても、少しは上官の背中を見て、肌で感じて欲しいですね」

「な、なんだと? いったい、何を言ってーー」


 !!??


 す、すでに土下座をめている。


 ビシャス護衛士長が、清々しいほどに土下座していた。両手を地面につけ、額を地面に擦りつけて、涙を流している。


「どうか……どうか、お願いします。殺されてしまう。このままじゃ、我々、殺されてしまいますぅ」

「……っ」


 レザード副護衛士長は、目を疑った。


 あの、厳しいで有名な。どんな事態が起きても、取り乱さずに業務を遂行する、で有名なビシャス護衛士長が、取り乱しまくって、土下座し、上目遣いで命乞いをしているのだ。


 そんな様子を。


 ヘーゼンは、複雑そうな表情かおで、ため息をつく。


「いや、その代わり身の早さ、素晴らしいです。ですが、同時に失望しました。いいですか? あなたは皇帝陛下から、独立した捜査権を有しているんです。もっと、自信を持ってください」

「……っ」


 ビシャス護衛士長は、愕然とした表情を浮かべる。


 そんな綺麗事が通用する相手ではない。それだけ、今の皇帝陛下と皇太子の関係は、微妙なバランスで成り立っている。


 すでに、レームダックは始まっていて、実質的な権力はエヴィルダース皇太子に集中している。


 だが、皇帝は譲位のタイミングを自らが決めることができる。それ故、エヴィルダース皇太子は、皇帝に逆らうことができない。


 なので、皇帝陛下が激怒すれば、エヴィルダース皇太子は、その決定を受け入れざるを得ない。


 皇帝陛下の名の下に、エヴィルダース皇太子の捜査を強行すれば殺される。


 皇帝陛下に逆らい、エヴィルダース皇太子の捜査を取りやめても殺される。


「殺されてもいいじゃないですか?」

「……っ」


 それでも、ニッコリと。目の前にいる悪魔はその心うちを完全に読み切り、笑顔でビシャス護衛士長の肩を叩く。


「皇太子内定者を誘拐しようなど、帝国の皇位継承制度を根幹を揺るがす問題です。命掛けで……いや、一族が磔にされようと、汚名を着せられ、子々孫々まで根絶やしにされようと、正義を貫くべきです」

「はっ……ぐっ……へっ……ずぅまぁ……」


 子どもじゃないんだから。


 誰だって、歳を取ればわかる。この世の中は、どうしようもないほど不公平だ。帝国で皇族に逆らうことは即死罪であるし、ましてや皇太子に刃を向ければ、家族、いや、親族、いやいや、三族、いやいやいや、子々孫々まで殺し尽くされる。


「わ、私だって、できる限りはやっているんです! 別に職務を怠慢しているわけではない! そうしたかった訳ではない」


 ビシャス護衛士長は、泣きながら足の袖に縋り付く。


 そうだ。


 やれる範囲でやってきた。この帝国の悪を、超権力が及ばない範囲で摘発し、適度な秩序を保ってきた。なにも、自分たけが職務怠慢だった訳ではない。


 だが、目の前の黒髪の悪魔は、ニッコリと笑顔で気安く肩をポンポンと叩く。


「それって、あなたの、感想ですよね?」

「……っ」

「あなたは皇帝陛下から独立した権限を有しているのだから、誰にも忖度せずに捜査する義務を与えられている。その中で、死の危険があるのは業務性質上、仕方のないことじゃないですか。それを含めてあなたの仕事ですよ」

「……ふんっ……ぐひっ……きる……ぁ」


 さっきから、綺麗事ばっか。


 綺麗事で責めるの、ズルい。


 はい、論破、するの酷い。


「早くしてもらえませんかね? こうしてる間にも、イルナス皇太子の危険が迫ってますから。早く早く」

「駄目なんです! 犬狢ケバク蛇封ダオフォン古虎ジェガンは一度命じれば、その命令を完遂するまで止められない」


 そう言う組織なのだ。彼らは、あらゆる権力の干渉を許さない。エヴィルダース皇太子であろうと、一切の忖度をすることがなく目的を為す。そのためだけに育てられた、超精鋭集団なのだから。


「いや、頼もしい」

「……っ」


 へーゼンは、平然と言い放つ。


「なおさら、早くしてください。私のカンが確かならば、イルナス皇太子は、生きていますよ。こうしているのも、時間がもったいないので、さっさと命令してくださいませんか?」

「できませぇん! どうか……どうか……」


 ビシャス護衛士長は、断固として足の袖に縋りつく。ここは、譲れない。こんな1つの事件のために、命など、家族の命など、子々孫々の未来など、賭けられる訳がない。


「困りましたね……しかし、イルナス皇太子の派閥筆頭である私としては、厳正な調査をしてもらわないと」

「なんでもします! 私にできることなら、なんでも!」

「……なんでも? なんでも、かぁ」


 へーゼンは、首を傾げながら腕を組む。


「そちらの同期の方はどうします?」

「わ、わ、私は……」


 躊躇するレザード副護衛士長に、ビシャス護衛士長は猛然と駆け込み、頭を掴んで地面へと擦り付けようとしてくる。


「貴様もだろう!? さっさと、地べた這いつくばって、頭を下げんかぁ!」

「い、い、嫌だ! なんで、わ゛た゛し゛か゛ぁ゛」


 レザード副護衛士長は必死で抵抗する。


「ふざけるな! 今は貴様のくだらない自尊心プライドに構ってる暇はない! 死ぬんだぞ!? お前、死ぬんだぞぉ!? 下げろ下げろ下げろ下げろ下げろ下げろ下げろ下げろ下げろ下げろ下げろ下げろ下げろ下げろおおおおおおっ!」


 ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガン!


「うんぎゃあああああぃあぃあぃあああああああがぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぃぁぃ!」


 何度も何度も、レザード副護衛士長の額は、地面に叩きつけられ、パックリと開き、ぶっしゃあと景気よく流血する。


 やがて。


「えぐっ……えぐぅっ……ごめんなさぁぃ……お願い……ひまふぅ……」


 レザード副護衛士長は、泣きながら土下座する。


「ふぅ……仕方がないですね」


 ヘーゼンは、あきらめたようにつぶやき。





 























「では、私の奴隷になってください」

「「……っ」」

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