人間


           *


 魔老ゼルギス。160歳を超える東の大魔法使いであり、精国ドルアナ、ザシリア商国の両国を束ねる指揮官でもある。


 髪はなく、禿げ上がっている。顔はしわだらけ。古臭い深緑のローブ。いわゆる、オーソドックスな魔法使いスタイルの老人は、馬車の中で、ひたすら睡眠に耽っている。


 そんな中。


すー! すー! 起きてくださいよ」

「ん……もう朝かの?」

「違いますよ、もう!」


 激しく老人を揺り動かすのは、一番弟子のパイロ=ラルである。こちらは16歳の若い少女だ。


すーは指揮官なんですから、もっと、こう、なんと言うか、指揮らなきゃ駄目だと思うんです!」

「……朝が来たら起こしてくれい」

「ちょ、ちょっとー!?」

「わかっとらんのお、小童こわっぱ。ワシは、旗振り役じゃない。ただの旗じゃ。ぶん回すのは、若いのがやる」

「はぁ……そんなもんですかねー」


 パイロが、あきらめたように自分も寝そべる。


「だが……楽しみじゃのう。この戦いで、どれだけの若き芽が出てくるのか」


 老人は目を瞑りながらつぶやいた。


           *

           *

           *


 ガッビーン。


 ヘーゼンが颯爽と去って行く中、ヤンとラスベルは、『あががが』と口を開けながらついて行く。


「ん……どうした?」

「いや鬼畜!?」


 ヤンが、やはり、ガビーンとする。


 罵詈雑言と呼ぶにはあまりにも生ぬるい。彼ら上級貴族たちの自尊心プライドを粉々に粉砕し、その価値、いや存在、いや魂ごと、徹底的に貶めた。


 海老反りの上級貴族たちが並ぶ光景は、もはや、ホラーであった。


「本当に信じられないです。よくもまあ、あんなことを」

「仕方ない」

「仕方なくなくなくないですか!?」


 ラスベルも、あらためて、ガビーンとする。気が動転し過ぎてもうよくわからないが、断じて『仕方ない』と言う、やるしかない的な行動とは捉えられない。


「いや、正直に言えば、厄介だった。『停戦』と言う選択肢をなくすためには、ある程度、彼らを焚き付ける必要があったからな」

「そ、それにしたって」

「アウラ秘書官の動きが、とにかく早かった。エヴィルダース皇太子に行動を制限された中で打てる目一杯の一手だろう」


 ヘーゼンが思考を巡らしながらつぶやく。


「……すー。『爵位が落ちるのを甘んじて受ける』って話、あれ、嘘ですよね?」


 ヤンがジト目で指摘する。


「嘘と言うのは、人聞きが悪いな。可能性の著しく低い仮定をして、想像させ、彼らにその未来を確定的に起こると錯覚させただけだ」

「そ、それを嘘って言うんじゃないんですか?」

「嘘ではない。仮に僕が彼らの未来を見通せる能力を持ったならば、それは嘘だが、未来は神ほどの能力がないとわからない。よって、間違っている可能性の高い未来を提示しただけだ。いわゆる、詐欺行為だな」

「うっ……ううっ。な、何を言っているのか、よくわからない」


 ラスベルが頭を抱えながら唸る。


「でも、彼らが徹底交戦をしない可能性もあるんじゃないですか?」


 異常者サイコパス耐性を持つヤンが尋ねるが、ヘーゼンは首を横に振り断言する。


「いや、彼らは徹底交戦を選択するさ」

「なんでそう思うんですか?」

「1つ目。彼らの大多数は自身の欲望を抑えられない。理性が本能に負けてしまう体質なのだ」

「……」


 上級貴族であれば、必ず帝国将官になることを義務付けられる。確かに、簡単な試験ではないが、上級貴族であるアドバンテージを活かし、かつ、7回もチャンスがあれば、必死に勉学と修練に勤しめば合格する。


 だが、彼らはそれをしなかった。現実から目を背け、欲望のまま、堕落的な生活を送っている者の典型だ。


「2つ目。彼ら上級貴族の大多数は、戦場を知らない。脳内では、お花畑のように映っているだろう。つまり、『やればできる』と思っているのさ」


 生死を分かつ場ではなく、あくまで、馬で戦場に駆け巡り、格好よく指揮を行う光景。いざ、戦場に立つことを思えば、理想的な自分を思い浮かべていることだろう。


 『まだ俺は、本気出してないだけ』理論だ。


「でも、それならマドンさんを使ったのはなんでなんですか?」

「それが、彼らの複雑なところさ。『自分たちでもやれる』と思っていると同時に負けるのが怖い。失敗をして恥をかくのが怖い。本当の実力を知るのが怖い」


 現実を知らないが故に増大した自己顕示欲。そして、現実を知ることを極端に恐れる自己保身。この2つの天秤で常に揺れている。


 だから、ヘーゼンは前者の秤に重しを乗せた。


「3つ目。彼らは、僕よりもアウラ秘書官の方が怖いのさ」

「……怖いのならば、アウラ秘書官の言う通り、停戦に従うのでは?」


 ラスベルが疑問を口にするが、ヘーゼンは迷わず首を振る。


「違う。爵位でしかアイデンティティを語れない彼らにとって、雲の上のアウラ秘書官に睨まれたら最後だ。従って、相談ができない。必然的に、残された選択肢は、徹底交戦をして、僕を負かすことしか思い浮かばない」


 ヘーゼン=ハイムより自分たちの方が有能だ。その事実をアウラ秘書官に知らしめる。そうすれば、きっと自分たちを見直すはずだと。


 すべての選択肢を遮断した今、彼らはそんな希望的未来しか見ることができない。


「……果たして、そんな思考に陥るでしょうか?」


 ラスベルが、信じられないようにつぶやく。


「弱い人間とは、そう言うものだ。未来に起こる悲観的観測よりも、近くにある確定的恐怖が勝る」


 そして。


 ヘーゼンは2人に向かって言う。


「ヤン、ラスベル。あらゆる人間を知りなさい。君たちに足りてないのは、そこだ」

「……」

「集団には、一定数、彼らのような者たちがいる。薄汚く、短絡的で、浅はかな思考に染まりきった者たちだ。そして、彼らを排除する思考は、選択肢の幅を狭める。今、攻めるべきは彼らの弱さだ」

「……」


 しばらく沈黙が続いたが、やがて、ラスベルが真剣な眼差しで尋ねる。


「そして……誰しもが弱い心を持つと?」

「そうだ。常に敵に勝利しようとするならば、汚い現実から目を背けることは許されない。そして、汚い自身の心から目を背けることも許されない」

「「……」」


 2人が複雑な表情を浮かべる中、マドンとセシルが馬で追ってきた。白髪の老将は馬に降りるや否や、ヘーゼンの前に片膝をつく。


「ヘーゼン=ハイム殿! 願わくば、今日を持って忠誠を誓わせて頂きたい」

「それは、ありがたい。不肖の弟子たちにも、あなたのように経験豊かな智者が必要だ」


 そう言って、黒髪の青年は馬を降り、帝国式の礼でマドンを迎えた。

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