ブギョーナ(2)
誘拐の指示をした後、ブギョーナは、すぐに馬車に飛び乗り、エヴィルダース皇太子の邸宅へと向かった。
そして、到着するや否や、激しく扉を叩き、筆頭執事を呼び出す。
「どうされたのですか!? こんな夜更けに」
「あ!」
「……はっ?」
「うるさいどけぇ!」
「ぐっ……」
応対する執事を派手に突き飛ばし、腹の贅肉をブルンブルンと揺らしながら廊下を闊歩する。そして、部屋に着くと、ダンダンダンと激しくノックをする。
「あ、エヴィルダース皇太子殿下! あ、お話があります! 開けてください! あ、どうかお願いいたします!」
「……豚か? 人語を話すなと言ったはずだが」
部屋の中から軽蔑混じりの声が響くが、ブギョーナは気にせずに話を続ける。
「あ、ヘーゼン=ハイムを……あの男を意のままにする策がございます」
「……入れ」
「あ、はい!」
エヴィルダース皇太子は、1人だった。特に何かしている様子もない。今回の件があり、仕事も遊びも手につかないのだろう。
ブギョーナはニチャァと唾液を引っ張るような笑みを浮かべる。
「あ、ヘーゼン=ハイムの義母と妹を誘拐します」
「……あ?」
「あふぎょっ」
聞いた瞬間、ブギョーナは顎の贅肉をギュンと掴まれる。すぐさま身体を強く叩きつけられ、その鋭い眼光で睨まれる。
「貴様は脳みそも豚並みか? あの男はグライド将軍ですら凌駕した男だぞ? そんなに簡単にいく訳があるか!」
「あ、聞いてください! それは、単純にヤツ個人の武力が凄まじいと言うことです! あ、裏を返せば、ヤツ以外の戦力は大したことがないと言うことです!」
「……」
エヴィルダース皇太子は、しばし沈黙して考える。顎の肉を掴む力も少しだけ緩んだ。
「だが、聞けばヤツの衛士も将軍級の実力だと言うぞ?」
「あ、私の部下には将軍級を凌駕する手だれが3人います」
エヴィルダース皇太子も知っているはずだ。これまで、幾度となく、邪魔となる貴族たちを排除してきたのだから。
「……確かにガルナルク、ペテロ、ザナリリの実力は信頼できる」
「でゅふ、でゅふでゅふ……あ、そうでしょう? 私が彼らを使い、今まであなたの道を遮る者を、ことごとく始末してきたのですから」
「
エヴィルダース皇太子は素知らぬ振りをして答えると、瓢箪型の顔をした老人は高速で、ブルンブルンと、首肉を縦に揺らす。
「でゅふ……そうです、その通りです」
「……」
「仮に、ヘーゼン=ハイムの衛士が相当な手だれであっても、義母と妹……両方は守ることは不可能です」
どちらかと言うと、妹の方は陽動だ。自領を攻撃していると見せかけて、本命の
現在、ヘレナは、ネトの邸宅に暮らしている。分家の邸宅の情報は把握している。熟練の手だれ、ガルナルクであれば、確実に彼女を誘拐できる。
「あっ……んっ、はぁ」
瞬間、ヘーゼン=ハイムの目の前で、
彼女は交渉の道具だ。
絶対に傷がつかないように、丁重に扱わなければならない。だが、ヘーゼンと契約魔法を交わした後で少しくらいなら……ブギョーナはじゅるりと唾液を口から溢す。
「あ、はぁ……はぁ……あ、アウラ秘書官では、このような強引な手は使えないでしょう? ヤツのような堅物はこのような汚れ仕事は好んでやりません!」
自分は違う。常にエヴィルダース皇太子のために、汚れ仕事を自ら引き受けてきた。どんなに卑怯な手でも迷わず使ったし、誰もが目を背けるような欲望も叶えてきた。
エヴィルダース皇太子は、自分がいなければ困るはずだ。自分のような献身的な部下は他にいないのだから。この方の気性をすべて理解している者など、他にはいないのだから。
「……」
「あ、エヴィルダース皇太子! あ、私は今までずっとあなた様のために手を汚して参りました! これまでも、ずっとあなた様のために手を汚し続けます!」
「……あくまで、『貴様が、自発的に』だ。
その非情なる言葉に、ブギョーナはプルプルプルと顎の贅肉を揺らしながら頷く。
「あ、ええ、そうです! 私は、過去も、今も、そして……あ、これからも、自発的に、決してあなた様の知らないところで、手を汚し続けます」
「……ブギョーナ」
エヴィルダース皇太子は優しい声で、瓢箪型の老人の顎肉をなでる。
「
「あはっ……いえ! あ、いえ! あ、いいえ!」
ブギョーナはパァッと眼球をガン開きにして、涙を浮かべて首をブルンブルンと横に振る。やっと、いつものエヴィルダース皇太子が戻ってきてくれた。
そうだ。自分こそが、この高貴なお方の絶対的な理解者なのだ。
「だがな……」
エヴィルダース皇太子が笑顔を浮かべ耳元で囁く。
「
「あ、はい! もちろん、わかってますとも。その時には、奴隷にでも豚にでも、喜んで我が身を落とします」
「……そこまでの、覚悟ならばわかった。さすがは、我の最も信頼する秘書官だ」
「あっ……はぁ……」
ブギョーナは、あまりの嬉しさに恍惚の表情を浮かべた。
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