天空宮殿


           *


 天空宮殿。豪奢の限りを尽くした建物が立ち並ぶ中で、一際大きく煌びやかな邸宅が、エヴィルダース皇太子の邸宅だった。


 中は、帝国屈指の職人が丹精込めて製作した家具の逸品が並べられている。正に優雅という言葉を体現した空間の中で、エヴィルダース皇太子はいつものように報告を聞きながら、注がれた紅茶を口に運ぶ。


 側に控えるのは、筆頭秘書官のグラッセと第2秘書官のアウラ。2人はそれぞれ担当する地域で発生した事件、また派閥への取り込み状況などを説明する。


「そう言えば、アウラ秘書官」

「はい」

「ノクタール国との同盟破棄の段取りはどうなっている?」


 実質的には、帝国とノクタール国は同盟破棄を行なっているが、公式的には皇帝の玉璽が必要だ。だが、普通にあげると失態がバレるので、承認が多く必要な時に紛れて押させようという算段だ。


「今は案件が少ないので、再来週あたりで調整してます」


 そう報告した時、エヴィルダース皇太子の膝が小刻みに揺れ、椅子の肉がブルブルブルブルと小刻みに震え出した。


「……そなたにしては、手間取っているな。その前に、ドグマ家から情報が流出したらどうする?」

「事前に口は封じておきました。心配はありません」

「ははっ! そうか、さすがだ。しかし、あの暴走ジジイが軽はずみにポロッと漏らすとも限らないのではないか?」

「あり得ません」

「……絶対にか?」

「間違いありません」


 そのハッキリとした答えに、エヴィルダース皇太子は、機嫌が良さそうに頷いた。ここまで断言してしまって異なれば、恐らくは処分されるだろう。


 だが、アウラは『情報は漏れない』と絶対の確信していた。そして、実際には、ドグマ家当主ジルバの口止めはしていない。


 へーゼン=ハイムに対して行なったのだ


 アウラは、ノクタール国に対し自身の可能な限りの援助を行なった。それで、こちらの意思は伝わっているはずだ。よって、へーゼンがドグマ家に内情をバラすリスクは完全に消滅したと言っていい。


 しかし、そんな内情を知らないエヴィルダース皇太子は満足げに頷く。


「やはり、どこかの誰かさんと有能な秘書官は違うな。?」


 そう言って。


 自身の尻に敷いている四つん這いのブギョーナを見下した。


「あはい……ぐぐぐぐぐっ」


 太りきった老人は、油汗まみれの瓢箪型の顔を真っ赤にしたまま、プルプルしながら答える。


「……」


 最近、アウラが報告をする時、必ずと言っていいほどブギョーナは椅子になっている。『お前も失敗したらこうなるぞ』という意思表示なのだろう。


 その嗜虐性には、若干嫌気を覚える。


「はぁ。心地よい肉椅子になるしか能がない。まったくもって高い買い物だ。なあ、そうは思わんか?」

「……あはい。本当に申し訳ない」


 そんな風に、ブギョーナが愛想笑いを浮かべながら答える様子を、アウラはなんとも言えない表情で眺める。


 この老人は、人材面でエヴィルダースをずっと支えてきた功労者だ。それが、こんな形で屈辱を味合わされるなど、誰も思わなかっただろう。


「しかし、いいか? 情報封鎖はいずれ漏洩する。リスクを重視するそなたらしくない。再来週までには必ず報告をできるようにしろ」

「……1つ。イリス連合国の報告を入れてもよろしいですか?」

「おお、そうだ。どうなっている? 滅んだか?」


 思い出したかのようにエヴィルダースは食いつく。


「ノクタール国の本軍がヤアロス国に向かって進軍中。一つ前のレゴラス城まで陥落させ、首都ゼルアークを陥れようとしております」

「……っ」


 思わず。


 エヴィルダース皇太子が、椅子から立ち上がる。


「な、なんだそれは!?」

「一方で、クゼアニア国で元筆頭将軍バージストによるクーデターが発生。現在首都アルツールにてグライド将軍と対峙しております」

「ちょ……ちょっと待て!」


 口をあんぐりと開けて。まるで、何が起こったかわからないような反応を示した。アウラ自身、へーゼンからの伝書鳩デシトを受け取り同じような表情を浮かべた。


 それは、以前、軍師シュレイから受けた戦略と全く違っていたからだ。


 その時、自分すら偽るへーゼンを苦々しく思ったが、事態は驚くほど早く好転的に進行している。『結果オーライならそれでいいでしょう?』という声が聞こえてくる気がした。


「そんな大事な情報を、なぜすぐに持ってこなかった!」


 エヴィルダース皇太子が苛立ち怒鳴るが、アウラは動じない。想定内の反応だ。


「理由は2つ。情報の真偽確認に時間がかかりました。また、これは長期に渡って行われたものではなく超短期でほぼ同時に発生しております」

「……っ」


 エヴィルダース皇太子のみならず。筆頭秘書官のグラッセすら唖然とした。当然だ。


「私の見立てでは、イリス連合国と五分の状況です」

「イリス連合国には大将軍グライドがいる! 帝国があの大将軍にどれだけ煮湯を飲まされたか、わからないそなたではあるまい」

「……」


 結局のところ。事態の収束は、グライド将軍とへーゼン=ハイムの戦いに向かっている。イリス連合国の象徴は最終的には救国の英雄なのだ。


 その牙が残っている限りは、本当の勝利とは言えない。


 それを見越して五分だと言っているのだが、実際にへーゼン=ハイムを見ていない皇太子には理解できないのだろう。


「それで! どうするのだ!?」

「あっ……ぎいいいいぃ!」


 エヴィルダース皇太子が四つん這いのブギョーナの髪を思いきりむしり取る。ブチブチブチっと豪快に毛の抜ける音がして、老人は涙目で呻いた。


「報告をギリギリまで待つのが得策かと思います。へーゼン=ハイムは我々が想像しているよりも遥かに有能です。何が起こるのかを見極めねば取り返しのつかないことになる」

「……っ」


 アウラは冷静に答えた。


「しかし、すでに同盟破棄は行なったのだろう?」

「非公式にはそうですが、公式に陛下の承認は出ていません」

「詭弁だろうがそんなものは! ノクタール国は、帝国が裏切ったと見なして、敵対するに決まっている! その時にどうするのだと聞いているのだ!」

「……」


 エヴィルダース皇太子は激昂しながら怒鳴る。


 元々、同盟破棄を言い出したのは他ならぬエヴィルダース皇太子だ。あの時点ではアウラ以外の者が同じ判断だったとは言え、ここまで他人に向け追及ができるもの凄いなと密かに思う。


「その時は、お任せください。私が取りなします」


 逆に。イリス連合国が勝った時は破滅だ。ノクタール国軍に対して支援を行ったことも、いずれはバレる。そうなれば、この帝国を出ていくしか道がなくなる。


 面白いじゃないか、とアウラは微笑む。


「……何とか潰せんのか、ノクタール国を?」

「無理です。それこそ、公式的な同盟破棄が必要です」

「くっ……くそおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 エヴィルダース皇太子は、ブギョーナの胸ぐらを掴み、壁へと押し付けて思い切り殴る。溝落ち。脇腹打ち。肝臓打ち。正拳突き正拳突き正拳突き。


「あぎゃおえええええええええええええ!」


























 ブギョーナの叫びは部屋いっぱいに鳴り響いた。

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