前線


          *


 それから、ヘーゼンはジオス王の部屋へ訪れた。深夜にも関わらず書類に目を通していた若き王は、以前の生気に満ちた様子とは打って変わっていた。


 表情が以前よりも引き締まり、目のクマがクッキリと浮かんでいる。


 ジオス王は、ヘーゼンの方を振り返り、尋ねる。


「どうした? 突然」

「まだ、起きていたんですか? 早くお眠りになってください」

「……そんなことを言いに来たのか?」

「『最近、お疲れになっている』とトマス筆頭大臣から聞いたので」

「ふっ。では、この膨大な書類をなんとかしてくれ」


 ジオス王の隣には、山のような羊皮紙が段積みで置かれていた。全て王印が必要な重要書類である。


 当然、優先度は分けられていて、王の承認が必要なものは限られているが、それでも毎日毎日大量に届けられる。


 ヘーゼンは少し首を傾げて笑顔を浮かべる。


「王印を、最も信頼できる者に持たせ、分担してください。もし、その判断で国が滅んでも、悔いの残らないほどの者を」

「……」

「抵抗がありますか? その感情がある内は大丈夫です。あなたは愚王にはならない」

「……」


 それでも中々納得しないジオス王を見て、ヘーゼンは苦笑いを浮かべる。この人は、やはり、思慮深い。そして、『王である』という責務を十分に感じている証拠だ。


 だが、ジオス王の責務は、王印を押すことだけではない。健勝な姿を見せること自体が、一番の仕事なのだ。


「疲れが見える王に人はついてこない。見た目で人は8割を判断いたします」

「……」


 人は疲れている者を見ていると疲れるものだ。逆に、健やかな者を見ると、元気になる。人というものは本当に不思議なものだとヘーゼンは思う。


 ジオス王の責任感は否定しない。ただ、周囲にそれを見せているようでは、賢王とは言えない。やがて、その意味が伝わったのか、ジオス王は観念して頷いた。


「……王印を、トマス筆頭大臣に預けよう」

「ありがとうございます。あと、化粧メークが上手い者を平民から連れてきましたので、明日の朝はそれで誤魔化し、以後、臣下の前では健勝に振る舞ってください」

「わかった。ところで、話は私の身体の心配だけか?」

「……」

 

 鋭いと、ヘーゼンは苦笑いを浮かべる。以前から比べると王子足る甘えと幼さが無くなった。王としての期間は短いが、濃密な日々を過ごした証拠だ。


「いえ。次の戦のことです」

「決まったか?」

「まだ、ヤンに調整させてます。ですが、近いうちに」

「……」


 しばらく沈黙が続いた後、ヘーゼンは口を開く。


「本題を話します。ジオス王、あなたには、戦の最前線に立って頂きたい」

「私が……」


 ジオス王の表情が曇る。当然だ。他の王子たちよりは遥かにマシだが、戦の経験は多くない。


「かつて、イリス連合国を成した若き先王ビュバリオは、諸王に対し武威を示すため、常に最前線に立たれました」

「……私に務まるだろうか?」


 死の恐れからくる不安ではない。むしろ、自分が前線に立つことで、期待通りの役割を果たせるかを心配している。


 当然、ヘーゼンにも不安はある。ジオス王が戦向きの性格かと言われると、そうではない。どちらかと言うと、後方で家臣を鼓舞する賢王のような役割が合っているのだろう。


 だが、今回はやってもらわなければいけない。


「イリス連合国が結成された時の逸話は聞いたことがありますか?」

「当然だ。子どもの頃に、もう100度は聞いたな」


 ヘーゼンは笑顔で頷き、話を続ける。


「当時のクゼアニア国の領土は、諸国と比べ最も小さかったと聞きます。彼が偉大であったのは、その勇気と行動をもって諸王に道を示したことです」

「……」

「今のイリス連合国は内輪揉めが噴出し、先王の時代を懐かしんでおります。あなたが立てば、ノクタール国は一層奮い立つ。イリス連合国の諸王も、臣下も、民も、あなたの姿に、かつての盟主の姿を重ねるはずだ」

「……わかった。要するに、対比を見せたいのだな」


 ジオス王の答えに、ヘーゼンは安堵した表情を見せる。


 後方の玉座で、家臣を怒鳴り散らす愚王と。


 最前線の戦場で、家臣を鼓舞する賢王。


 沈み行く夕陽を見る者は、やがて昇る太陽を望まずにはおれないのだ。


 これは、賭けだ。


 ジオス王が、かつての先王ビュバリオのような逸話を作ること。それこそが、この戦以後の明暗を決める。


 だが、決して分の悪い賭けではない。これまで、ジオスの葛藤を見てきて、そう思う。


「あなたの内諾が得られてよかった。恐らく、トマス筆頭大臣もドグマ大将も猛反対するでしょうからね」

「どちらにしろ、押し切るのではないか?」

「あの2人は、ノクタール国の礎です。無下にはできません。軍部、政務においても、対立軸があるのはマイナスだ。ジオス王の内諾を頂けなければ、私は折れることになっていたでしょう」

「……ヘーゼン=ハイム。貴殿は不思議な男だな」


 ジオス王は言う。


「そうですか?」

「最初は自分の意見のみを押し倒す、とんでもないやつだと思っていた」

「ま、まあ、間違ってませんね。ヤンは100%同調すると思いますし」


 思わず、ヘーゼンは苦笑いを浮かべる。


「……一つ聞く」

「何でしょうか?」

「この戦が終われば、ノクタール国を去るのか?」

「はい。帝国か死かはわかりませんが、それは決めてます」

「……そうか」


 ジオス王は頷き。




















「では、今のうちに言っておこう。この戦が終われば、一杯付き合ってもらおう」


 と命じた。


 

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