聖女


 再びヤンが目を開いた時。頭の中は非常にスッキリしていた。起き上がると、すでに、ヘーゼンは起きていて朝食の準備をしている。


「起きたら、お皿の準備でもしなさい」

「は、はい。わかりました」


 ヤンがちゃきちゃきと3名分の皿を出すと、スクランブルエッグを2皿分。ヤンとモスピッツァによそう。


「師も食べてくださいよ」

「僕は要らない」

「なら、私も食べません」

「君は食べなさい。命令だ」

「……」


 なんて頑固な男なんだとため息をつきながらも、自身の意見を覆す人じゃないので、あきらめて手早くフォークを卵に突き刺す。そんな中、急いで起きてきた神経質そうな男が食卓を見ながら渋い顔をする。


「……どうした? モスピッツァ、早く食べなさい」

「あの……これだけですか?」


 !?


「嫌なら食べるな。僕が食べるから」

「い、嫌じゃないです」


 モスピッツァは慌てて食べ始める。確かに貴族の金持ちは、奴隷にも水準の高い食事を取らせる場合が多い。しかし、以前、ドブ水のような汚水を飲まされそうになったにもかかわらず、それを言える精神力がすごい。


 しかし、ヘーゼンに気にした様子はない。よく殺さないなと感心する一方で、またよからぬことを考えているのではないかと邪推する。そんな思考をコップの水とともに流し込みながら、ヤンはヘーゼンの方を向く。


「あの、昨日の夜の話なんですけど」

「夜?」

「ほら、その……あれ? おとぎ話、読んでくれました……よね?」


 肝心の内容を思い出そうとすると、ヤンの頭の中にモヤがかかったようになる。


「なんだい、それは。夢でも見たんじゃないか?」

「……」


 ヘーゼンは本を読みながらつぶやいた。そして、そう言われると、なんだか自信がなくなってくる。記憶力は人以上にあると自覚はあるので、何かを忘れるという経験があまりないからだ。


 そんなヤンの悩みを尻目に、ヘーゼンは本を閉じて椅子から立ち上がる。


「さて。僕はこれから視察へと向かう。ついてきてくれ」

「ま、まだ食べ終わってないのに」

「無駄口を叩かず早く食べなさい」

「くっ……」


 いつも通り、平常運転で性格の悪い男だ、とヤンは思った。


 手早く準備を済ませて、30分ほどで外へと出向いた。郊外は、やはり焼け付くほどの熱射だったが、倒れている者――死体は少なかった。


「……救える者は簡易的な建物で住まわせてます。しかし、救えない命もありました」

「仕方ない。僕らは神ではないからな。さあ、行こう」


 そのまま歩き続けていると、一帯にテントが密集する場所があった。そこの人々はヤンを見つけると、まるで神を見たかのようにひざまずく。そんな様子を冷静に眺めながら、ヘーゼンはヤンの方を向く。


「長を呼んでくれ」

「わかりました」


 ヤンがひざまづいている者たちに向かって頼むと、すぐさま頷いて全力で走って行く。数分後、同じく全力で一人の老人が走ってきた。


「よくぞおいでくださいました聖女よ」

「や、やめてくださいよ」


 その呼び名は恥ずかしい。ヤンは顔を真っ赤にしながら言う。


「しかし……あなた様は我々を救ってくださった。なんの見返りもなしに」

「私が救ったんじゃありません。このヘーゼンという――」

「ヤン、いい」


 ヘーゼンは途中で言葉を遮る。恐らく、神格化させた方が得だと判断したのだろう。そして、そのまま長に向かって尋ねる。


「今は施しをまかなえていますが、当然、無限にはありません。これから、どう考えていますか?」

「聖女様。この男は?」

「えっ……としー「しもべです」


 !?


「し、しもべ!? ちょっと、なにを……」

「そうですよね、ヤン様」

「……っ」


 どうしよう、嫌が過ぎる、とヤンは思った。


「なるほど。聖女様のしもべですか。それなら、我々と同じようなものですな」

「同じではありません。私はヤン様の第一のしもべなので、序列が一番上です」

「な、なるほど。これは、失礼しました」


 長の老人がひざまずく。


「で? どうするか考えはありますか?」

「い、いえ。なにぶん、やっとその日暮らしから追われたもので」

「……でしたら、聖女様から考えがありますよね?」


 ヘーゼンがニコーっと、憎ったらしい笑顔を向けてくる。


「ほ、本当ですか!? 聖女様」

「……はい」


 ヤンは渋い表情で答えた。

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