おとぎ話


 翌日。ヤンは早朝に目が覚め、ベッドから飛び起きた。3時間ほど眠っただろうか、かなり疲れが取れている。


「もう3時間は寝なさい」


 隣のベッドで眠っているヘーゼンが目をつぶりながら言う。


「お、起きてたんですか?」

「長年の習性でね。動作を感じたら起きる体質になっている」

「こわっ!」


 いったい、どんな日々を過ごしてきたのかと、ヤンは驚愕の表情を浮かべる。


 ……いや。


すーって、戦場の中で過ごしてたんですよね?」

「僕の話はしない」

「け、ケチ」

「早く寝なさい」

「寝れないんですよ、目がさえちゃって」

「完全無欠に君の情緒など、どうだっていいんだがね」

「お、鬼! 悪魔!」

「今、君に倒れられたら困る。僕も民衆もな」

「……」


 その言い方はズルい。なんだか嬉しくなってきてますます寝れない。ヤンはヘーゼンのベッドに潜り込む。シーツは少し熱で暖かかった。ヤンはこの男を悪魔であるという説を強弁しているが、その説得力が少し薄れた。


「なんか……お話してください」


 ヤンは、ヘーゼンの背中に向かってねだる。


「話?」

「ほら。よくあるじゃないですか。子どもを寝かしつける時のおとぎ話とか」

「……断る」

「いやいや! してくれなきゃ寝ません!」

「……ふぅ」


 ヘーゼンは大きくため息をついて、ボソッとつぶやく。


「したら、寝るか?」

「はい、寝ます」


 そう答えると、ヘーゼンは寝返りをうって、ヤンの方を向く。どこまでも、澄んだ漆黒の瞳だった。


「じゃあ、とある魔法使いの話をしようか」

「魔法使い? 面白そう」

「……昔々、あるところに、高名な魔法使いの男がいました。その男は、優秀な跡継ぎを探していました」

「子どもがいなかったんですか?」

「いや。娘がいた。しかし、男は自らの強大な力を超える跡継ぎを欲していた。彼女には、それを継ぐ器がなかった」

「……」

「魔法使いの男は旅を続けました。何年も何年も。そこで、男はとある村に辿り着きました。何の変哲もない、麦畑が多い村。そこで、男は一人の少年を見つけました」

「その子が優秀な跡継ぎですね」

「さ、先読みは自重してくれよ」

「へへ……ごめんなさい」


 思えば、こうやってヘーゼンと普通の会話をしたことがなかった。嬉しいような、こそばゆいような、なんだか複雑な気分だ。


「その子の才能にすぐに気づいたんですか?」

「いや。しばらくは気づかなかった。あまりにも、その子の家はあまりにも普通だったから。少年も魔力はあったが、君と同じく平民だったし、性格がとにかく小生意気だった」

「……」


 ヘーゼンに言われたら、おしまいだろうなとヤンは思った。


「しかし、3日ほど滞在した時。その魔法使いは、普通であることの異常に気づきました。なぜなら、その夫婦の反応が、会話が、仕草が、すべて同じパターンで構成されていたからです」

「……」

「なんと、少年は、何年も前に死んでしまった父親と母親を魔法で動かしていました。村人たちでさえ気づかないほど高度なレベルで」

「……凄い」


 そして……悲しい話。


「その少年は紛れもなく天才だった。高名な魔法使いは、その才能に惚れ込んで、これまで抱えてきたすべての弟子たちを放りだし、その子を育てました」

すーみたいにスパルタだったんですか?」

「今の僕など比べものにならないよ」

「そ、そんなの死んじゃうじゃないですか」


 ヤンは心の底からそう思った。


「高名な魔法使いは、いつしかその少年を息子のように愛しました……いつかは自分の娘と幸せな未来を過ごすことを夢に見ながら」

「少年と娘は愛し合ってたんですか?」

「……ああ」

「……」

「それから十年以上が経過し、高名な魔法使いの娘が病気にかかりました。その男ですら手がつけられないほどの不治の病」

「……」

「その少年は娘を愛していたから。懸命に治療方法を探します。男は、どうしても、どうしても治って欲しくて……やがて、1つの薬を生み出しました」

「治療薬ですか?」

「ああ。だが、あまりにも強すぎた。それは、飲んだ者を不老不死に変える薬だった」

「……」

「結局、その薬を使うことなく娘は死んでしまいます。そして、残されたのはその治療薬を試作で飲んだ不老不死の少年だけ」

「……」

「100年経っても、200年経っても、その少年は死ぬことがありませんでした。その男は愛する者の死を、ただひたすらに見送るだけ……誰も居なくなった不毛な荒野を歩き続け、いつしか、少年は誰もが恐れる化け物になりました」

「……」

「高名な魔法使いは思いました。そうだ、自分がその少年の事を殺そう、と」

「……救いたいと思ったんですか?」

「……」


 少しの沈黙が流れて。


 やがて、ヘーゼンはボソッと口を開く。


「いや……希望になろうと思ったのかもしれない。少年に、希望さえあれば……なんとか絶望せずに生きていられる、と。彼の心の中は……結局、彼自身にもわからないのだけれど」

「……それで、その魔法使いと少年は、どうなったんですか?」

「……」

すー……もしかして、その少年て……」

「……さあ、もう寝なさい。明日は、早いのだろう?」


 ヘーゼンは、ヤンの頭を優しくなで、再び背中を向けた。

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