憎悪


          *


 モスピッツァは、言っている意味がわからなかった。


「あの……ろ過って何ですか?」

「……っ、それも知らないのか?」


 ヘーゼンは驚愕の表情を浮かべる。


「えっと……知ってます。その言葉自体は知ってます」


 反射的にマズイと思ったモスピッツァは取り繕った嘘をつく。


「……では、なぜろ過しない?」

「えっと……その必要性を感じなかったというか」


 そう言いながら。モスピッツァは必死に記憶を手繰り寄せる。ろ過……ろ過…なんだか、昔に習ったような気がするが、老化のためか全然覚えていない。


「いや。だって、腹壊すだろ」

「……っ、そう言う罰だったじゃないですか!?」

「違う。僕は確かにそのバケツの水を飲めと言ったが、罰ではない。ただ、もったいないから飲めと言っただけだ」

「はっ……くっ……」


 そんなテンションじゃなかったじゃん、とモスピッツァは思った。明らかに罰を与えるような言い方だった。公設奴隷は、不満をぶちまけたい衝動を必死に抑える。


「だいたい、君がお腹を壊したら、その治療を誰がやると思っているのだ? 僕はそんな無駄な指示はしない」

「その……教育とか、そんな目的で」

「なにもしないということに、教育など必要ないじゃないか」

「……っ」

「言っておくが、僕だって不本意なんだ。人的資本は貴重だから、本来なら有効活用したい。なにもしないで、ただ部屋の隅っこで黙って座っているだけなんて、生産性が皆無だからな。しかし、君の行動がことごとくマイナスになるのだから仕方がない」

「……っっ」


 なんて、ひどい奴なんだ、とモスピッツァは心から思った。


「何度も言っていると思うが、僕は君にミジンコほどの分量も期待していない。仕事があれば、やらせるが、今はそれもないので何もしないでくれ。待機だ」

「……わかりました」

「あと、ここまで言わなければいけないのも考えものだが、その水はキチンとろ過して飲みなさい」

「は、はい」


 ろ過……ろ過ってなんだろう、とモスピッツァは心の中で思う。


「では、お腹を出しなさい」

「ひっ……臓器取り出すんですか?」

「何を言っている? お腹を壊す前に治療するんだよ」


 ヘーゼンはモスピッツァの腹に数秒手を当てた。すると、モスピッツァの胃に沸いていた不快感が消え去った。


「す、すごい……」

「死んでくれるのは一向に構わないのだが、僕の関与が疑われるのはよくない。今度から気をつけてくれ」

「……」


 絶対に聞きたくない、しかし、聞かざるを得ない注意だった。


「あと、呼吸、排泄、飲食以外、何もするな」

「……っ」


 人間の尊厳を見事に踏み躙られたような、酷い指示がくる。自分がこんなヤツの信頼を得なくてはいけないことに、これ以上のない屈辱を感じる。


「……しかし、それでは」

「なにか指示する時は、こちらから指示する。自発的になにもしなければいい。難しい指示ではないはずだ」

「……わかりました」

「本当か?」

「ほ、本当です」

「では、なにをわかったか言ってみろ」

「じゃ、邪魔にならないようにします」

「違う。曲解するな。呼吸、排泄、飲食以外、何もするな」

「……はい」

「……言ってみろ。一言一句間違えることなく」

「呼吸、排泄、飲食以外、何もしません」

「よし。そこの隅っこで、100回連呼しなさい」

「……わかりました」


 モスピッツァは震える声で、部屋の端で連呼し始めた。そのたびに、湧き起こる感情。


 ……殺す。


「呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません」


 連呼するたびに、それは大きくなる。モスピッツァ中のドス黒い憎悪が、何度も何度も。


 ……殺す。殺す。殺す。


「呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません。呼吸、排泄、飲食以外、何もしません」


……殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。

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