掃除


 翌日、ヘーゼンが起きて部屋から出てきた。モスピッツァは、満面の笑みで出迎える。


「おはようございます」

「……お願いがあるんだが」

「な、何ですか? なんでも、仰ってください!」

「なにも話さず、耳も塞いで、背中を向いて、うずくまっていてくれるかな?」

「……っ」


 性格が最悪すぎる、とモスピッツァは確信した。あらためて、とんでもない鬼畜主人だが、可能な限り従順でなければいけない。湧き起こる屈辱を噛み殺して、言われたまま部屋の隅っこでうずくまる。


「こ、これでいいですか? 私は従順なあなたの奴隷です」

「……できれば、息も吸わないで貰えると」


 !?


「そ、そんなの死んでしまうじゃないですか!?」

「ダメか?」

「だ、ダメです! い、嫌ですよ! 絶対に嫌だ」」

「……そうか。まあ、強制はできないからな」


 残念そうにボソッとつぶやき、ヘーゼンは自室から出て行った。足音が消え、モスピッツァは扉を開けて廊下を見渡す。誰もいないことを確認した後に、吐き捨てるようにつぶやいた。


「クソッタレめ」


 その後、部屋の掃除を始める。バケツに水を入れて雑巾掛けを何度も何度もこなす。


「掃除もしないのか、あの男は。まったく。部屋の汚れは心の汚れだ。きっと、濁っているから、目に入らないのだな」


 そんな風に独り言を言いながら、誠心誠意、綺麗にする。一目見て床がピカピカに見えるように、何度も何度も。


 4時間後。一通り、床の雑巾がけが終わった。太ももはパンパンだ。腕もかなり凝り固まっている。しかし、かなり綺麗になった。


「ククク……これだけピカピカにしていれば、あの異常者も見直すに違いない」


 目的は、ヘーゼンに取り入って、信頼を獲得すること。ヤツに近づけば近づけるほど、失言を聞く機会も増える。そのためには、自分がいかに使える奴隷であるかのアピールをしなくてはいけない。


 それから、更に2時間後。ヘーゼンが部屋に帰ってきた。扉が開き、またしてもモスピッツァは満面の笑みで出迎えた。


 案の上、ヘーゼンは驚いたような表情を浮かべていて、モスピッツァは内心でほくそ笑む。


「……お前が雑巾掛けをしたのか?」

「は、はい!」

「このバケツの水でか?」


 ヘーゼンは、側にあったドス黒い水を見る。


「はい! と言っても、もう3杯目ですが」


 当然、計算である。この部屋の汚れがどれだけあったのか。視覚的に自身の成果を見せるためである。


「……お前は、ここまでどうやって来た?」

「ここまでですか? いや、苦労しました。奴隷だから当然馬などは使わずに歩いてここまで。照りつけるような熱気を浴びながら、やっとの事でここまで来ました」

「そうか……」


 瞬間、ヘーゼンがモスピッツァの胸ぐらを掴み、思いきり壁に叩きつける。


「がっ……ぐええぇ」

「その腐った眼球くり抜いてやろうか?」

「な、な、なんでぇ?」

「ここまでやってきて、水が飲めなくて横たわっている者たちが見えなかったのか?」

「はっ……ぐっ……」

「ここの生活水は、配給量が決まっている。水を不正に売りさばくのを防ぐためにだ。僕も、ギリギリまでの量を絞って使用しているような状況の中……掃除にバケツ3杯もの水を使った?」


 ヘーゼンは、袖を強く締めながら尋ねる。


「ぐ、ぐる゛じ……ゆ゛、ゆ゛る゛じでぇ……」

「飲め」


 !?


「な゛、に゛を゛でずがぁ?」

「決まってるだろう? そこのバケツの水だ」


 そう言い捨てて、ヘーゼンはモスピッツァを床へ叩きつける。


「げほっ、げほっ……そ、そんなぁ……」

「当然だろう? ただでさえ、ギリギリの計算なんだ。こちらも、お前のために別の水を準備してやる余裕も、義理も、必要性も、意志もない」

「こ、こんなドス黒い……毒水、飲めません」

「では、飲むな」


 !?


「ひっ……そ、そんなぁ」

「外には水分であれば、なんでも口にする者たちが山ほどいる。基本的に奴隷を死なすのはよくないが、まあ、なんとかする」

「ひっ、ひいいいいいん! ご、ごめんなさぁああい!」

「いいか? 次、勝手に動いたら、お前の手足に縄をつけて、部屋の隅に置いておく。覚えておけ」


 ヘーゼンはそう言い捨てて、再び部屋を出て行った。


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